14話〜支度〜
「そう…大公閣下は予定が合わないのね」
アリシアはジョシュアから送られてきた手紙を読んで溜息を吐いた
あの後、ジョシュアがアールにアリシア訪問の予定日を決めるため、空いている日を聞いてくれたらしいが、やはり大公という立場上中々予定は開けられないという
「でもそうよね、仕方ないわ。また会える日に行きましょう」
「あら、お嬢様。そんなことなさらずともすぐにお会いできますよ」
部屋で花瓶の花を変えていたアンがアリシアのつぶやきに答えた
「どうして?」
「お嬢様、お忘れですか?婚約した女性は、花婿側の家族を招待して晩餐会を開くのですよ」
「…あ」
アリシアは思い出したように声を漏らした
一般的な教養を学ぶ授業で教わったのだが、すっかり忘れていたらしい
そんなアリシアを見たアンは困ったように眉を下げて笑った
「つまりは公爵家で開かれます」
「そっか、晩餐会が開かれるのは婚約が成立してから1ヶ月以内だから…」
「はい、すぐにお会いになれます」
他人に言われてから思い出すことがあるように、アンの言葉で、アリシアは一般的な教養で習った晩餐会の内容を、段々と鮮明に思い出していった
皇帝の署名により婚約が正式に成立した後、婚約した男女はそれを大々的に祝うのではなく、家族の祝い事としてひっそりと祝うのだ
大々的に祝って、婚約者を誰かに奪われることのないようにという配慮らしい
“誰か奪われたのかな…”
そう思うと複雑な気分になると、表情を少し曇らせた
晩餐会は、女性側の家で1ヶ月以内に開かれるのが一般的だ
「た…確かジョシュア様と婚約したのは今月だから…」
アリシアは「大公子様」と言いそうになった言葉を、慌てて修正した
大丈夫だろうかとチラリとアンに目線を向けると、微笑んでいたためホッと息を漏らした
「はい、少なくとも来月の頭には開かれると思いますよ。
ですから、挨拶はその時でも大丈夫ですよ」
アンの言葉に溜息を吐いていた時の暗い表情は明るくなった
「ですからお嬢様」
「何?」
「これからは、礼儀作法の授業のレベルアップです」
アンが黒板とシンプルな皿とカトラリーを持ってきた瞬間、アリシアの顔が引きつった
それもそのはず、アンの授業は確かに一流なのだが、かなり厳しい
いつも優しいアンは何処に行ったのだと思うほどなのだ
アリシアも礼儀作法の授業中のアンは少し苦手だった
“アン自身は好きなんだけど…!”
「さ!始めますよ!大公閣下の前でお嬢様に恥をかかせるわけにはいきませんから!」
「はぁい…」
流石に恥をかくのはイヤだと思ったアリシアは、大人しく従うことにした
そして、アンのスパルタな授業を何とかこなし、アンから合格の言葉を聞くに至るまでに1ヶ月が経った
****
「それそっちに持って行って!」
「ちょっと!そこどいて!」
「クロスは!?テーブルに置いとけって言っただろ!」
公爵家は早朝から慌ただしかった
いつも穏やかで優しい使用人たちの怒号が響いている
「お嬢様!起きてらっしゃいますか!?」
バンと激しい音を立てて部屋の扉が開かれ、その音でアリシアはモゾモゾと体を起こした
「…おはよぉ」
「はい、おはようございます!さぁ立ってください!
今日は忙しいですよ!」
アンは勢いよくカーテンを開け放ち、まだ薄明かりの空が広がる外の光を部屋いっぱいに招き入れた。
それすらも寝起きのアリシアには眩しかったらしく、目をキュッと瞑っている
アンはそんなアリシアの手を引っ張ってなんとか立ち上がらせる
「お嬢様は嫁ぐ前に朝の弱さも克服しなければなりませんねぇ」
「うぅん…」
まだ目が覚め切らないアリシアの手を引いて風呂へと向かう
ぼーっと立ったままのアリシアの服を脱がせて、お湯の張られたバスタブへと入れると、流石に目が覚めてきたらしく言動がはっきりしてきていた
「さ、腕を上げてください。熱くはないですか?」
「うん、大丈夫。いい香りがするね」
「香油を入れえていますからね、お嬢様がお好きそうな香りのものを選びました」
アンはアリシアの腕をタオルで洗いながら、アリシアの言葉に答えている
バスタブの湯からは、アリシアの好きな爽やかな香りが漂ってきている
こういう場合、多くの令嬢は甘い花の香りを選ぶのだが、アリシアは甘い香りというものがどうも苦手なのだ
だからいつもアリシアの部屋も、たまに入れられる香油もレモンとハーブのような爽やかな物が多い
「さ、これでお終いです。次は髪とドレスと…」
「は、早く上がろう?」
その場でブツブツと、残っている仕事を呟き始めたアンにアリシアは声をかける
仕事が多いのは大変だと、アリシアは改めてアンを尊敬した
「侍女長、お嬢様の湯浴みはもう終わりましたか?」
「あ、ごめんなさい!もう終わったから少し待っていて!」
風呂の扉の外から、まだ若い女の声が聞こえた
アンは慌ててアリシアの体を柔らかなタオルで拭き上げ、ゆったりとしたワンピースを着せて部屋を出た
「ごめんなさいね」
「いえ!お嬢様おはようございます」
「えっと、ユリ…だったかしら?」
「私の名前を憶えていてくださったのですか!?」
若い侍女、ユリはアリシアの言葉に驚きながらも嬉しそうな表情をした
公爵家には多くの使用人がおり、公爵であるレオも夫人であるベイリーですら使用人全ての名前は覚えきれていない
だが、アリシアは5歳のころから夜こっそり、そして少しづつ使用人の名前と顔を一致させたのだ
顔と言っても写真の技術はこの世界にないので、それぞれの特徴で覚えたのだ
“ってゲームのストーリーであったんだよね”
「えぇ、いつも髪を乾かしてくれるのあなただから」
「はい!あ、兎に角お掛けください。乾かしながらお話しますね」
アリシアはドレッサーの椅子に座り、ユリはそのアリシアの後ろに立つと髪に手をかざした
冷たい風がアリシアの首に触れる、そよ風ほど弱くはないが普通の風ほど強くはない丁度いい風量だった
「私が授かった神力は風
その名の通り、風を操れるんです。と言っても神和力はそこまで多くないので、これくらいしかできませんが…」
「ううん、そんなことないわ。十分すごいよ」
「そ、そうですか?お嬢様にそう言っていただけると光栄です…」
照れたように笑うユリの姿を鏡越しに見つめるアリシアはお世辞じゃないのにと少し不貞腐れる
実際、アリシアはユリの話を聞いてかなり驚き、そして感心したのだ
“こんなに繊細に神和力をコントロールできるなんて…”
風を操るということは、下手をすれば竜巻すらも起こすことができる能力なのだ
今、彼女のコントロールが少しでもズレればアリシアは浮かび上がっていたかもしれない
それを一度もぶれず、しかも髪を乾かし動かしながら出来るのだから感心以外の何物でもない
「本当にすごいわ」
「そ、そんなに褒められると照れますね…
はい!終わりました!」
「ありがとう」
湿っていた髪がいつものサラサラでフワフワとした美しい髪に戻り、それを予想していたように部屋の扉が再び勢いよくと開いた
「お嬢様!次は着替えですよ!髪のセットもしますから忙しいですよ!」
「あ…う…」
目の前にずらりと並ぶ、化粧品やアクセサリーの数々を見て、アリシアは顔を青ざめさせた
この後にある、目が回るほどの忙しさが目に見えて分かる
“でも、他の人たちはもっと忙しいのよね…”
朝から聞こえてきていた叫び声に、使用人たちはこれよりも忙しいのだと容易に想像ができる
「分かった!私頑張る!」
「その意気ですお嬢様!さぁまずはドレスです!」
「うん!」
アリシアの言葉に、アンは嬉しそうだが後ろに控えている侍女たちは、何してるんだろう。とでも言いたげな目でアリシアたちを見ていた
だが、2人はそんなことにも気が付かず士気を高めている
そのあともかなり慌ただしかった
ドレスを着た後も、化粧をしてネックレスをつけ…と美しく飾り立てられた
だが、一番大変だったのは髪のセットだった
「ここ持って!」
「はい!」
「アン様これですか!?」
「それじゃない!その隣!」
「はい!」
アリシアはされるがままなので、その様子を黙ってみている事しかできなかった
チラリと目だけを動かして窓を見ると、もう日が落ち始めていた
“忙しすぎて、時間が分からなかった…どうりでお腹がすいているわけだわ”
先程から空腹を覚えていたアリシアは、手でお腹を押さえた
何故なら__
クゥゥゥゥ~…
先程まで声が飛び交っていた部屋が静まり返った
アリシアは顔が真っ赤になっていた
アンはクスクスと笑いながら、アリシアに飴を差し出した
「晩餐会がありますが、このくらいなら大丈夫です
気が付かず申し訳ありません、そうですよね朝から何も召し上がっていませんでしたね」
「…ありがとう」
消え入りそうなほど小さな声でお礼を言ったアリシアは、飴玉を口に運んだ
侍女たちもクスクスと笑っており、アリシアは顔から火が吹き出そうだった
“恥ずかしい…!”
こうして、晩餐会の準備は着々と進んでいった




