12話〜従者〜
黒いローブを被った人物が大公家へと来ていた
まだ使用人が多く起きている時間だが、その人物を見ても誰も何も言わない
その人物はジョシュアの部屋の前まで来ると扉をノックした
「入れ」
返事を待ってから中に入ると、ジョシュアとじぃと呼ばれていた男が月明かりが差し込む部屋で待っていた
「で?報告は?」
ローブをとり、顔が顕になる
「イリス」
その人物は、公爵家で料理長を務めているイリスだった
イリスはいつもよりも眉間に皺がよった顔をしていた
「…エブリン・リュールがアーティファクトを使っている場面を目撃しました」
「へぇ、アーティファクト」
興味深そうに溢す自身の主人にイリスは不快感を顔に出す
それを見たジョシュアはフッとバカにしたような笑みを浮かべた
それに青筋が立つのがわかったイリスは大きく溜息をついた
「一体何をどうやったら、あの純粋なお嬢様を騙そうだなんて思うんですか」
「やだなぁ、騙してなんかいないよ
それに婚約の話を持ちかけたのは彼女の方だ」
「それに関しては、あんたから聞いてます」
あの小さな主人が、なぜこの男と婚約しようと思ったのか、イリスには理解できなかった
だがイリスからしてみれば、この婚約にはあまり賛同できない
彼はジョシュアのアリシアに対する執着心を知っているから
「イリスは僕よりもアリシアの方を敬ってるよね。僕が本当の主人なのに」
「あなたよりもお嬢様の方が仕えていて気分がいいですからね」
「ふぅん、まぁいいけどさ
いずれアリシアは大公妃となるんだ。
君もそうなったら戻ってくるだろう?」
イリスの心は嫌な気持ちでいっぱいだった
あの小さな主人と年は変わらないはずなのにも関わらず、全てを見透かされているような感覚がたまらなく嫌だった
“お嬢様も何故こんな男と…”
「…俺を公爵家にやったのはあなたじゃないですか。お嬢様のことを逐一報告しろと」
「うん、そうだね」
イリスが公爵家にいる理由は1つ
本当のイリスの主人であるジョシュアにアリシアの様子を報告するように命じられたのだ
スパイといえばスパイなのかもしれないが、公爵家の家業でもある鉱山発掘に関しての情報なんかは盗むことはない
ただアリシアのことのみを報告するだけだ
そして、イリスがジョシュアに命じられたことはもう1つ
“命にかえてもお嬢様を守ること…か”
初めは知りもしない箱入り娘のために命を賭けるなど、イリスは馬鹿げていると思った
だが、この主人に逆らえないため従うしかなかった
“それが今ではこれか…絆されたな”
アリシアは感情を表に出すこともない、ただ淡々と仕事をしているだけのイリスを何故か気に入り、突き放しても追いかけてくる子供だった
よく言えば好奇心旺盛、悪く言えば鬱陶しかった
それでも、彼女の自身に向けるパッとした花のような明るい笑顔にイリスは絆された
今では、真の雇用主のジョシュアよりもアリシアの方を敬っている始末だ
例え今、アリシアが目の前で襲われ、自分の命で助かるのなら、イリスは迷いなく自分の命を差し出すだろう
それほどまでにアリシアという少女は彼にとって存在そのものが心地いいものだった
「イリスは使える人間を選ぶからなぁ
じぃとよく似てる、さすがは親子」
「私よりもイリスの方が選びますがね」
以前にジョシュアとじぃが話していたじぃの息子というのはイリスのことだった
親子揃って、ジョシュアに仕えている
彼が優秀だったから、というのもあるが彼らがジョシュアに仕えている理由は1つ
逆らえないのだ、絶対に
とある事件の日、まだ幼かったジョシュアによって命を救われて以来
“忌々しい”
「あ、アリシアは元気?婚約の件嬉しそうだった?」
明るく聞いてくる主人に怒りが込み上げた
アリシアに仕えている時は感じない感情だった
公爵の頭を叩いたりすることはあるが、この少年程には怒りを感じない
「…公爵様と一悶着ありましたが、嬉しそうでしたよ」
「あぁ、あの親バカな公爵閣下か」
いずれは義父になるのだから仲良くしたいな。なんて笑いながら話す主人をなんとも言えない気持ちで見つめる
本当はアリシアは泣きそうな顔をしていたが、それを言えば公爵に何かするかもしれないとイリスは口をつぐんだ
“嘘は言っていない”
一悶着あったのも本当のことだったし、嬉しいと言っていたのも本心だとイリスには分かっていた。複雑ではあったが
「イリス」
そんなことを考えていると、ジョシュアに名を呼ばれ、そちらに意識を戻す
ジョシュアの顔を見た瞬間、ゾッとした冷たい何かが体を戦慄させた
常日頃から無表情のイリスの顔が少し崩れた
美しいのに恐ろしい笑みだった
「嘘はいけないな、もう一度聞くよ。アリシアは喜んでた?」
イリスは息を詰まらせた
これがたった12歳の少年から発せられる殺気だろうか
「…嘘じゃありませんよ、公爵様が怒っているかで心配そうな顔はしていましたが、婚約自体は喜んでました」
イリスが殺気に耐えながらそう告げると、ジョシュアからは何事もなかったかのように殺気は消え去った
「そっか、なら良かった」
無意識に止めていた息をハッと吐き出す
改めて末恐ろしい少年だと理解せざるおえなかった
「これからも僕のアリシアをよろしく頼むよ」
「…はい」
“僕の…ね”
この少年に命令されたこととはいえ、まだ幼いアリシアが、さらに幼い頃から見てきた身としては、その行く末が案じられ、複雑な心境だった
イリスからしてみれば、皇子に嫁ぐのとジョシュアに嫁ぐのはそこまで変わりない苦労をすることが目に見えている
せめて、彼女が幸せになる道を選べますように。
そして、あの花のような笑顔が、この少年の影によって摘み取られることがないよう、イリスはただ祈るばかりだった。




