11話〜愚計〜
エブリンはもう日も暮れた夜、皇宮からの帰路についていた
揺れる月明かりのみが差し込む薄暗い馬車の中で、悔しそうに幼い小さな爪を噛んでいた
噛むたびに少しばかり痛みが走るが、彼女の苛立ちの前では、意味をなさなかった
「なんなのよ…!ちっとも役に立たないじゃない!」
吐き捨てるような声と共に、エブリンの手の中にある、黒のネックレスがミシッと不吉な音を立てる
まるで意思を持っているかのように、怪しげな光をうっすらと放ち、暗がりの馬車の中で妖しく煌めく
それは、今のエブリンの力の源とも呼べるものだった
「あのバカ皇子!頭も悪いし、傲慢だし、自惚れてるしなんなのよ!」
エブリンの怒りの元凶はエイベルだった
彼女は特にエイベルに恋心を抱いているわけではない
ただ、彼を使うことが彼女の目的にとっての最善だというだけだ
そこに恋情も、友情も、そこには一切ない
「神力も、今の神和力じゃ数分が限界だし…」
“だからこそのコレ…”
手の中にあるネックレスを意味ありげに眺める
【アーティファクト】
親和力を一時的に増幅させ、神力を強力なものとする工学品
ただし、これによって多くの犯罪が起こり、危険だと判断されたため、世界的に禁止とされている違法物だ
エブリンもこれが持っているだけで犯罪だということはわかっている
だが、例え法を犯したとしても彼女はこれを持っていたい理由があった
「お嬢様、到着しました」
その声にエブリンはアーティファクトをポケットの中にしまった
「ありがとう」
淡々とした声で礼を述べながら、御者の男に手を取られて馬車を降りる
こぢんまりとしてはいるが、緑と白が基調の洗練された屋敷が彼女の目の前にあった
そして屋敷の入り口をくぐるとき、彼女の顔には寸分違わぬ作り物の笑みが浮かんでいた
「ただいま」
「お、おかえりなさいませ…お嬢様」
作った笑みを浮かべて屋敷の中に入ったエブリンの姿を見た1人の侍女が、驚いたような怯えたような表情をした
ここはアスーフィア帝国の南の一部にあるリュール伯爵領にある伯爵邸
つまり、エブリンの家だ
「…何?私が私の家に帰ってくることがそんなに変なこと?」
「い、いえ!申し訳ありませんお嬢様…」
エブリンの目が細められ、射るような視線が侍女に向けられる
10歳とは思えないような目で睨みつける彼女に侍女が怯えて体を縮こませ、勢いよく跪き頭を下げる
遠くからその声を聞いた他の使用人たちが、ヒソヒソと話す声がエブリンの耳に入ってくる
“どいつもこいつも…”
エブリンは冷ややかな目で一瞥すると、その声はピタリと止んだ
するとそれを聞きつけたのか、バタバタと足音が聞こえてくる
「エブリン…帰ってたのね」
「えぇ、ただいま戻りました…お母様」
やって来た麻色の髪の女はエブリンの母であり、リュール伯爵夫人のカミア・リュールだった
寝巻き姿で慌てて駆けつけたのだろう
息を切らしながらも、その目は心配そうにエブリンに注がれていた
「あなた!今何時だと思ってるの⁉︎」
「皇宮に行くのは止めないけれど、まだ10歳なのよ⁉︎日が落ちてから帰ってくるなんて…」
夫人は溜息を吐き、頭に手を当てる
エブリンは必死に叱る母を、冷ややかな目で見下ろす
「…申し訳ありません、お母様」
そんな母を納得していないような目で見るエブリンは、まるで他人事のような声色で謝罪し、くるりと背を向けて去っていく
カツカツと不満げな大きな音を立てながら屋敷を歩いていく
白い扉の前まで来ると、エブリンは勢いよく部屋の中に入り、バタンと大きな音を立てて扉を閉める
その瞬間、彼女の顔からは無垢な仮面が剥がれ落ちる
「…ご安心くださいませ、お母様」
呟いたその声は冷たい
エブリンの瞳はいつものような愛らしい麻色の瞳ではなく、濁った茶色い瞳をしていた
「私が必ず…あ痛ッ!」
突如エブリンは目を押さえ、その場に蹲った
彼女のふわふわとしたピンクのドレスに真っ黒な雫を落としていく
涙でも血でもない、他のナニカ
「…これなのね、代償」
エブリンが抑えていた手の隙間から、冷たく光る茶色の瞳と皺がよった眉間が見える
そこからもドクドクと黒い液体が流れ、彼女の手やドレスを汚していく
エブリンは痛む目を押さえながら、体を動かした
呻きながら向かった先は、机の引き出しだった
身を預けるように机にもたれかかると、複数ある引き出しの中の、鍵付きの引き出しを解錠し、開ける
その中には魔法陣のようなものが描かれており、それが何で描かれたのかは色と独特の匂いから血だとすぐにわかる
エブリンはポケットから取り出したアーティファクトを魔法陣の中心に置いた
すると、置いた瞬間から魔法陣が光始め彼女の目から溢れていた黒い液体も治った
「ハァッ…ハァッ…」
エブリンは息を切らしながらその場に倒れ込み気を失った
浅い息を繰り返し、苦しそうにするエブリンの額には脂汗が滲んでいた
そして、彼女の顔色は真っ青を通り越し死人のように白くなっていた
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アーティファクトというのは、所持者の精神を崩壊させる。
だが、それ以外にも欠点があった
それは、‘所持者の生命力を削る’というものだった
殆どの人間がその欠点を知らない
どの国の皇帝も知っている人間はどの代にもいないだろう
勿論、ここにいるエブリンも知らない
彼女は、黒い液体が溢れるのは精神の崩壊を意味しているのだと思っている
それが具現化したのが、この液体なのだと
彼女の知らぬところで、ゆっくりと確実に命の灯火は削られていく
けれど、彼女はそのことに気が付かない
己の幼さゆえの愚かさと、底なしの執念の先に待つ破滅に___
彼女はまだ何も知らない
“あの皇子に負けず劣らず愚かな子だよねえ”




