第3話 宝物庫の分銅は二箱ある
翌朝、俺は朝食もそこそこに北棟の地下へ下りた。
「おはようございます、殿下。……本当に、すべてをお量りになるので?」
「もちろん! 第一室と第二室で、目録に載ってるのは六十二品だよね?」
「左様でございます。第三室の金の備えは三本の鍵がそろわねば開きませんし、奥の始祖の間は陛下の鍵でしか開きません。ですから、その六十二品で……」
「じゃ、昼までに半分。夕方までに残り半分ってとこかな」
「ひ、昼までにぃ!? でございますか!?」
ハインツの声が裏返った。
前世の店では、年末の棚卸しで一日三百点は量ったものだ。六十二なんて朝飯前である。
もっとも今朝は朝飯をほとんど食べていないのだが。
◇
段取りは単純だ。
驚いたことに、ハインツは大目録を五十年かけてそらで覚えていた。品名も、重さも、粒の端数までだ。
そのハインツが目録を唱え、俺が品を手に取って重さを言う。合わなければ、俺が余白に小さく印をつける。疑わしいものは昨夜と同じく盥で確認する。
「えー、王笏。四千二百粒」
「……三千百十。はい、印ね」
「宝珠。六千五百粒」
「三千九百。これも印だね」
「先王陛下の印章指輪。百八十粒」
「百八十と、ちょっと。おっ、本物! いい金使ってるなあ」
読み上げるハインツの声は、印が三つ四つと増えるたびに細くなる。
俺のほうはといえば、悪い癖が出てしかたがない。
指輪を手に載せれば「この台座、前世なら三十万は付く」と値踏みし、首飾りを広げれば「留め金だけ本物かよ、手抜きしやがって」と毒づく。それを口に出さずにいるだけで、ずいぶん体力を消耗する。
楽しい、と言ったら罰が当たるだろうか。
国の宝が半分偽物かもしれないという朝に俺の指は久しぶりの仕事に浮かれている。
昼過ぎには第一室を終え、夕方には第二室の棚もすべて空にした。
壁際に一か所だけ、宝剣を掛ける金具が空いている。
「ねえ、そこは?」
「宝剣『獅子の牙』でございます。三年前から、第三王子殿下にお貸ししておりまして」
マティアス兄上が腰に吊っている、あの派手な剣か。
あとで量らせてもらう口実を考えておこう、と頭の隅に書き留める。
◇
「……殿下。印は、いくつになりましたか?」
最後の品を棚に戻したところで、ハインツが訊いた。
目録の余白を指でたどって数え直す。何度数えても答えは変わらない。
「三十」
量れた六十一品のうち、三十。
量れなかった最後の一品、兄上の宝剣が偽物なら、ちょうど半分になる。
ハインツは大目録の革表紙に手を置いたまま、黙って数を数え直している。
浮かれていた気分が、少し落ち着いた。
半分。冗談みたいな数字だ。
腹立たしいのを通り越して、呆れてしまう。こんなに堂々と盗まれて、誰も気づかなかったのか?
この老人が五十年守ってきた蔵を、誰かが何年もかけて、平気な顔で空にしていったのだ。
「ハインツ、宝物庫って毎年点検してるんだよね?」
「は、はい。年に一度、副管理官のクラウスが立ち会いまして、そこの天秤ですべてを量り、点検記録に記すことになっております」
第一室の隅には真鍮の大きな天秤が据えてある。
皿の差し渡しは前世の盆くらいで、腕は黒く磨かれ、支柱には王家の紋章が彫ってある。立派な道具だ。
これで毎年量っていて、三十品もの偽物に誰も気づかない?
そんな馬鹿な話があるか!
王冠ひとつで三百グラムも違うのだ、天秤なら派手に傾く。
天秤の脇の戸棚を開けると、黒檀の分銅箱が収まっていた。
蓋を開ければ大小の真鍮の分銅が、布張りの穴にきっちり並んでいる。
一番大きい「千粒」の分銅を指でつまむ。
千と、二粒。
擦り減っても、湿気を吸っても、このくらいの差は出る。正直な分銅だ。
じゃあ、どうやって?
戸棚の中を手で探っていくと、奥の板の手前で指先が何かに当たった。
同じ黒檀、同じ大きさ、同じ真鍮の留め金。
「ハインツ、分銅箱っていくつある?」
「一つきりでございますが……?」
二つ目の蓋を開ける。
見た目は一つ目とまったく同じ分銅が、同じように並んでいた。「千粒」の刻印があるものをつまみ上げる。
六百粒。
目盛りの線は、あるべき位置のはるか手前でぴたりと止まった。
大きさは同じなのに重さだけが六割しかないのは、中を削って空洞にしてあるからだ。
ほかの分銅も片っ端から量ってみると、どれも中を抜いてあり、軽さはまちまちだった。
「うわ……六掛けかよ」
質屋の符丁で、元値の六割を「六掛け」と呼ぶ。
軽さの違う分銅を組み合わせれば、どんな偽物でも目録の数字どおりに釣り合わせられる。張りものの王冠を皿に載せ、反対の皿にこいつらを積めば、点検記録に「目録どおり」と書ける寸法だ。
見つけた、という興奮で指が熱くなる。同時に腹の底から怒りが湧いた。
ふざけやがって!
これを作った奴は、最初から毎年の点検をごまかすつもりで、この箱を宝物庫番の目と鼻の先に置いたのだ。
「殿下……それは、いったい」
「点検をすり抜けるための、二つ目の分銅箱だよ。誰かが用意して、ここに隠しといたんだ」
ちょうどそのとき、樫の扉が控えめに叩かれた。
「し、失礼いたします。副管理官のクラウスでございます。日誌の確認に……あっ、で、殿下?」
入ってきたのは四十がらみの痩せた男だった。
撫でつけた髪に一筋の乱れもなく、指先には古いインクの染みがある。几帳面を絵に描いたような男だ。
その男の目が、俺の手の中の分銅に吸い寄せられる。
ほんの一瞬だった。
だが帳場で三十年、客の顔色を見てきた俺には十分すぎる一瞬だった。
「やあ、クラウス。目録の照合を任されてね、分銅を一つ見せてもらってたんだよ」
「さ、左様で……お、お役目、ご苦労さまでございます」
クラウスの指先は小刻みに震えていた。それなのに日誌に署名する字だけは驚くほど整っている。
彼は深く一礼すると、逃げるように階段を上っていった。
◇
足音が消えてから、俺は戸棚の二つの箱を並べてハインツに訊いた。
「ねえハインツ、この箱が二つあるの、気づかなかった?」
「……お恥ずかしい話でございますが、私の目は三年ほど前から、ほとんど見えておりませんので」
ハインツは、明日の天気でも話すような口ぶりで言った。
「品物の形は手が覚えております。どこに何があるかも足が覚えております。ですから陛下にも財務卿閣下にも申し上げずに、務めてまいりました。辞めれば、この老いぼれに行く当てなどございませんので。……いやはや、お恥ずかしい」
分銅箱が二つあることに気づかなかったのは、そういうわけか。
なるほど、と腑に落ちる。責める気にはなれない。
目が見えなくなっても毎朝あの階段を下りてくる宝物庫番なんて、前世の店にいたら給料を倍にしてやるところだ。
「ハインツ。じゃあさ、こうしよう」
俺は分銅を箱に戻し、老人の皺だらけの手にそっと載せた。
「これからは僕が目で、ハインツが覚えてる係。二人で一人前の宝物庫番だ。……ね、どう?」
ハインツは分銅箱を両手で抱えて首をかしげ、やがて真面目くさって頷いた。
「……では、殿下が目で、私が覚えている係。して、分銅箱はどちらの係が持つのでございましょう?」
「そこ大事ぃ?」
「大事でございますよ。重いので」
秤一台ぶんの王子と、目の見えない宝物庫番。
我ながらこんなに頼りない二人組もないが、なぜだか嬉しい。まあ、悪くない。




