第2話 王冠を水に沈める
「ねえハインツ、盥ってある? それと大きめの杯と、水をたっぷり」
王冠を台に戻してから頼むと、宝物庫番は白い眉をぴくりと上げた。
「た、盥でございますか? 詰所に洗い物用のものがございますが……殿下、いったい何の儀式で?」
「儀式じゃないよ。ちょっとした確かめ算さ」
ハインツの足音が階段の上に消えると、俺は大目録をもう一度めくった。
王冠の行には重さのほかに寸法も記載されている。直径、高さ、帯の幅。
百年前の宝物庫番は、よほど几帳面な男だったらしい。
待っている間に、もう一度王冠を手に取る。
帯の内側を指の腹でなぞっていくと、裏の縁に髪の毛ほどの段差があった。
継ぎ目だ。
本物の鍛造品なら、こんなところに継ぎ目は要らない。表と裏を別々に作って、あとから貼り合わせた証拠である。
おいおい、勘弁してくれよ。
前世の店でも年に一度は持ち込まれた手口じゃねえか!
◇
戻ってきたハインツが抱えていたのは、木の盥と銅の大皿と、陶器の水差しだった。
大皿の真ん中に盥を据え、縁ぎりぎりまで水を張る。一滴でも足せば決壊する寸前で手を止めた。
「よし。ハインツ、王冠をここに沈めます」
「沈め……っ!? で、殿下、それは国の――」
「大丈夫だって。金は水じゃ傷まないから。……本物なら、ね」
最後の一言は、ほとんど自分に言い聞かせていた。
本音を言えば、ここでやめたい気持ちもある。
沈めて答えが出てしまえば、もう知らないふりはできない。外れの第七王子が国の秘密を一つ抱えこむことになる。
だが前世の俺は、客の持ち込んだ品から目を逸らしたことが一度もなかった。今さら逸らせるか?
両手で王冠を持ち、水に下ろす。
沈む。
縁から水があふれて大皿に流れ落ち、王冠がすっかり沈みきったのを見届けてから引き上げ、布で丁寧に拭って台に戻し、それから大皿にたまった水を一滴残さず杯に移して、空の杯の重さを差し引く。
頼むから金であってくれ、と祈る自分と、もう答えを知っている自分が、同じ胸の中で睨み合っている。
目盛りが止まる。
六百三十五粒。
あふれた水の重さは、沈めた物の大きさそのものだ。
同じ大きさの水に比べて王冠が何倍重いかを計算すれば、中身の見当がつく。
七千三百十を六百三十五で割ると、十一と半分。
「……あー、やっぱりかよ」
声が勝手に漏れた。悔しいのか、ほっとしたのか、自分でもよく分からない。
金は同じ大きさの水の十九倍と少し重い。
細工のために銀や銅を混ぜた王冠の金でも、十七を割ることはまずない。
銀なら十と半分、鉛なら十一と少し。
十一と半分という数字は、どう転んでも金の側には入らない。
中身は鉛だ。鉛の芯に薄い金の皮をかぶせれば、ちょうどこのくらいの数字になる。
それに宝石を嵌め直してある。前世の業界で「張りもの」と呼んでいた代物である。
理屈は単純で、だからこそ結果は明白だった。
鉛は安くて柔らかく、金ほどではないにせよ重い。偽物の芯にするなら、これ以上の素材はない。手間と度胸さえあれば、の話だが。
「殿下……いま、何と?」
ハインツの声がかすれていた。
前世の世界には、風呂に浸かって同じことに気づき、裸のまま街を走り回った学者がいたらしい。
あいにく俺は服を着ているし、喜んで走り出す気分でもない。
「ハインツ、これ……偽物だよ。芯は鉛で、表に金を張ってあるんだ」
宝物庫番の手が台の縁を探り、強く握りしめた。
「そんな、はずは……」
老人は動揺を隠せずに唇を震わせ、王冠のほうに顔を向ける。
あの白く濁った目には、たぶんこの王冠の輪郭くらいしか映っていない。
「戴冠式の朝、私がこの手で台座から陛下の御前へお運びしたのです。重うございましたよ、腕が震えるほどに」
「うん。七百八十グラム……じゃなくて、一万二千粒あれば、震えて当然だと思うよ」
俺はハインツの手を取り、王冠に触れさせた。
皺だらけの指が金の帯をなぞり、宝石の縁をなぞり、それから王冠を持ち上げようとして止まる。
「……軽い」
かすれた一言のあと、老人はしばらく王冠から手を離さなかった。
慰めの言葉は、たぶん要らない。
いまのこの人に要るのは、誰がやったのかという答えのほうだ。
◇
「財務卿閣下に、すぐお知らせせねば!」
ハインツが顔を上げる。宝物庫は財務省の管轄なのだから、真っ先にそう考えるのは当然だ。
「待って、ハインツ」
自分でも驚くほど強い声が出た。
「鍵は三本あるって言ってたよね? ハインツと、父上と、財務卿と」
「左様でございますが……」
「じゃあさ、この王冠をすり替えた誰かは、その三本のどれかで入ったことになるんじゃない?」
宝物庫番の顔から、すうっと血の気が引いた。
言いたくはなかった。
財務卿が犯人と決まったわけじゃない。鍵を預かる部下もいるだろうし、合鍵という手もある。
しかし質屋の帳場で覚えたことがひとつある。盗品を持ち込む客ほど、なぜか一番まともな顔をしているのだ。
「だからさ、誰にも言わないで、まずは全部量らせてほしいんだよ。第一室も第二室も、目録に載ってる品は一つ残らず。ね?」
「全部を、殿下おひとりで?」
「重さを量るのだけは得意だからね。秤一台ぶんの才能だし」
冗談のつもりだったのに、ハインツは笑わなかった。
かわりに、きびきびと頷く。
「……承知いたしました。では明朝、大目録をご用意しておきます」
腹の中では犯人への怒りが煮えているのに、頭のほうは妙に楽しげに明日の段取りを考え始めている。大目録の巻末の一覧によれば、第一室と第二室で六十二品。一日で量りきる。前世の棚卸しに比べれば軽いものだ。
それに、正直に言えば胸が躍ってもいるのだ。帳場の奥で何十年も鍛えた目と手が、この国の誰も気づかなかったものを見つけたのだから。
我ながら、因果な性分である。
◇
「リオお兄さまっ、見ーつけたっ!」
樫の扉の陰から、寝間着姿の小さな影が飛び出してきた。
「ミア!? なんでここに……乳母は?」
「寝ちゃった! だって、人形を量ってくれるって約束したでしょ?」
九つの妹は悪びれもせずに青い目の人形を差し出してくる。礼拝堂での約束を律儀に覚えていたらしい。
ハインツが「王女殿下まで……」と天井を仰いだ。
「王女殿下、ここは冷えます。お風邪を召しますぞ」
「へーきだもん!」
まいったね、と思いながらも頬が緩む。
今夜この地下に溜まった重たい空気を、この子は一歩で吹き飛ばしてしまった。
「はいはい、お預かりします。……あ、いや、ちょっと貸してごらん」
うっかり質屋の口上が出た。ミアは気にした様子もない。
人形を受け取ると、目盛りがすっと滑る。
「千九百二十粒」
「せんきゅうひゃく……それって、重い? えらい?」
「えらいえらい。綿がぎっしり詰まってる、いい人形だよ」
答えながら、ふと引っかかった。
抱え直したとき、顔のあたりに妙な手応えがあったのだ。綿の人形にしては、妙に手応えが重い。布と綿と、ガラスの目玉が二つなら、こんな目方にはならないはずだ。
……いや、今夜はもう勘弁してくれ。王冠一つで腹いっぱいだっての。
ミアは満足したのか俺の膝に頭を載せ、そのまま寝息を立て始めた。
仕方なく背中におぶい、ハインツのランプを先に立てて階段を上る。
ずしりと、背中に温かい重みが乗った。
重いな、と文句を言いかけて、なぜだか嬉しくなる。前世では、誰かをおぶって階段を上ることなんて一度もなかった。
目盛りが勝手に浮かぶ。四十三万粒と、ちょっと。
さっきの王冠よりはるかに重くて、こっちは正真正銘の本物だ。




