第1話 重さが分かるだけのスキル
「重さが分かるだけ? 王家の恥だな」
四つ上の兄、第三王子マティアスの声が礼拝堂の高い天井に響く。
並んだ貴族たちも扇の陰で肩を揺らしている。
俺の手には祝福の儀で授かったばかりの銀の天啓板がある。
浮かんでいる文字は【天秤】。
ヴァーゲ王国の第七王子リオネル、十五歳。一生に一度の儀式で、見事に外れを引き当てたわけだ。
「ええと……古い記録にもない名でございますな」
司祭長が困惑した顔で白い眉を下げる。
「量りの類いかと存じますが。殿下、試しにこれを」
差し出された銀の聖杯を両手で受けた瞬間、頭の奥に目盛りが浮かび、天秤の針に似た細い線がすっと滑って止まった。
三百十二グラム。こっちの言い方なら麦粒で四千八百とちょっと。
笑われているのは分かっている。なのに目盛りが止まった瞬間の手応えが、妙に心地いい。
「……四千八百粒、くらいです」
「くらい、だと?」
マティアスが鼻を鳴らした。
「そんなもん、市場の秤でも分かるだろ? 剣聖の弟が秤一台ぶんかよ。笑わせるなって」
ごもっとも。
直前に祝福を受けた伯爵家の次男は【炎槍】を授かり、礼拝堂が拍手で揺れたばかりだ。比べるのも気の毒な話である。
貴族たちの視線には、同情と嘲笑が半分ずつ混じっていた。
十五の祝福で剣でも魔法でもなく秤一台ぶんの才能を授かった王子なんて、王国の長い歴史でも俺くらいのものだろう。
ところが当の本人は腹の底で小躍りしているのだから、世話はない。
物心ついた頃から俺の頭には別の男の一生が入っている。
東京は北千住、駅から歩いて七分の「菊池質店」の三代目。帳場に三十年座り続け、五十八で倒れた質屋のおやじ、菊池修三だ。
指輪が十八金かメッキか、時計の中身が本物か。その見極めだけで飯を食ってきた男である。
そんな男に、重さが麦一粒まで分かる手をくれた?
冗談じゃねえ。こいつは当たりも当たり、大当たりだ。
店の奥の電子秤より正確な手。前世の俺が喉から手が出るほど欲しかった代物だ!
嬉しくて口の端が勝手に上がりそうになるのを、俺は奥歯で噛み殺した。
◇
陛下は玉座から天啓板を一瞥し、すぐに目を伏せた。
父上と呼ぶべき人なのに、俺の顔を見ると決まって遠くを見る。
母が亡くなってからの十年、その癖は変わらない。寂しくないと言えば嘘になる。それでも儀式に顔を出してくれただけましか、とほっとする自分もいて、我ながら安い男だ。
陛下の隣で王太子ジークハルトが眉間に皺を寄せた。
「次の者を呼べ。時間が押していると言ったはずだが?」
「おや、お待ちくださいませ、陛下」
すっと進み出たのは財務卿のベルンハイム伯爵だ。
痩せて背が高く指の長い男で、近づくと甘い香水が鼻につく。
「第七王子殿下のお力、無駄にするのは惜しゅうございます。ちょうど宝物庫の目録の照合が滞っておりまして……重さを量るのがお得意なら、うってつけではございませんか?」
貴族の列からくすくすと忍び声が漏れる。
宝物庫の目録係。要するに地下の倉庫番だ。
外れの王子は人目につかない場所にしまっておけ、という話である。
「はっ、ぴったりじゃないか。天秤殿には地下の黴臭い蔵がお似合いだ」
マティアスが手を叩き、王太子は興味もなさそうに視線を外した。
こんな扱いには慣れている。慣れているはずなのに、陛下がどう答えるのかだけは気になってしまう。
「……任せる」
陛下は短く答えて席を立ち、一度もこちらに目を向けずに退出した。
胸の奥がちくりと痛む。
十年もこうなのだから慣れたつもりでいた。だが前世で五十八年生きた男の心臓でも、父親の背中はこたえるらしい。
まあいい、と息を吐く。
地下の倉庫番? 上等じゃねえか。
国で一番値の張る品がずらりと並ぶ蔵だぞ。質屋のおやじを放り込む場所としちゃあ、天国みたいなものだ。
「リオお兄さまーっ!」
礼拝堂の扉をくぐった途端、腰に小さな体が飛びついてきた。
九つの妹、第二王女のミアだ。青い目の人形を胸に抱え、俺の上着に顔をうずめている。
「あのね、ミアはね、天秤、すてきだと思うの! だってほら、あれも天秤でしょ?」
ミアの小さな指の先には、祭壇の上に下がる王家の紋章の旗。
剣を載せた天秤。建国の昔から「公正な裁き」の印だと教わってきた図柄である。
紋章に天秤を掲げる家で、天秤のスキルが恥ときたもんだ。
ミアの無邪気さが嬉しいのに、胸の奥はまだ少し痛む。吹き出しそうになるのをこらえて、俺はミアの頭を撫でた。
「ありがと、ミア。兄さまはね、けっこう気に入ってるんだよ」
「ほんと?」
「ほんとさ。今度ミアの人形も量ってあげよう」
「やったぁ! 約束ね!」
◇
その晩、宝物庫番のハインツがランプを手に西棟まで迎えに来た。
「殿下、お待たせいたしました。……目録係のお勤め、まことに今宵からで?」
ハインツは七十を過ぎた小柄な老人で、先々代の王の頃から五十年も宝物庫を守ってきたという。
白く濁った目を細め、壁に手を添えて北棟の地下に続く階段を下りる。
足取りは慎重だが迷いがない。
「なに、この老いぼれにも嬉しいことがございましてな。宝物庫に王族の方が足を運ばれるのは、十年ぶりでございますよ」
十年。
国の宝を詰めた蔵に、十年も王族が来ていない?
老人の弾んだ声に釣られて、こちらの頬も緩む。その一方で、十年という数字だけが妙に不自然に響いた。
地下二階の突き当たりに扉が三つ。
鉄の扉、青銅の扉、樫の扉。
ハインツは腰の鍵束から一本を選び、順に開錠した。
「鍵は三本ございましてな。私と、財務卿閣下と、陛下と……三本そろわねば開かない扉もございますが、第一室なら私の鍵だけで足ります」
樫の扉を抜けると石の床から冷気が這い上がり、掲げたランプの光がガラスの箱の中で何かに反射した。
王冠だ。
赤い天鵞絨の台に鎮座し、金の地に大粒の紅玉と青玉が並んでいる。
おいおい、こいつは前世の店なら金庫ごと警察を呼ぶ品だぞ。
壁際の台には王笏と宝珠も並んでいる。職業柄つい値踏みを始め、前世の相場では桁が足りずに断念した。
「陛下の戴冠式以来、二十五年。どなたもお被りになっておりません」
ハインツが台に置いた革表紙の分厚い本は、百年前に編纂された『大目録』だという。
品物ごとの名と寸法、それに重さまでが粒の単位で記録されている。
指でたどれば、目当ての行はすぐに見つかった。
――王冠 一万二千粒。
「目録係でしたら、お手に取ってご確認いただいて構いません。ただ、どうか、お手柔らかに……」
俺は手袋をはめてガラスの蓋を持ち上げ、王冠を両手で抱えた。
頭の奥で目盛りの線が滑る。
滑って、止まる。
七千三百十粒。
グラムに直せば四百七十五。目録に記載された数字は七百八十。
……三百グラムも、どこに消えた?
手袋の中で指先が冷たい。
念のため台に戻し、もう一度慎重に抱え直す。目盛りは寸分違わず同じ位置で静止する。
帳場で三十年、何千という品を手に載せてきた身だ。この差が計量の誤差でも擦り減りでもないことくらい、すぐに分かる。
「おや、殿下? いかがなさいました」
「いや……ちょっと、ね」
ハインツの白く濁った目が、心配そうにこちらを探している。
言うべきか? 打ち明けたとして、この目の悪い老人に何を背負わせる?
それに鍵は三本ある、と言っていた。
腹の底に、ざらりとした嫌な予感が溜まる。
なのに質屋の血だけは、とんでもない品に出くわしたときの胸の高鳴りを覚えているのだから始末が悪い。
ヴァーゲ王国の王冠が、軽すぎる。




