第15話 軽い金貨は、新しい金貨
「――で、なんで朝っぱらから、うちの帳場が金貨の山になってるわけ?」
二十日目の朝。
ベック両替店の帳場の上には、獅子金貨がうずたかく積まれていた。造られた年ごとに十の山、ぜんぶで千枚ある。
「昨日、ノーラが頼んで回ってくれたからじゃん」
「頼んだけどぉ! ほんとに貸してくれるとは思わないでしょ!」
ノーラが頭を抱えた。
二日前の夕方、俺は彼女にだけこう打ち明けたのだ。お父さんの無実をはっきりさせるには、もっとたくさんの金貨を、造られた年ごとに量ってみる必要がある、と。
ノーラは昨日一日かけて、天秤通りの店を一軒ずつ回った。
父さんの無実のためなんです、一日だけ貸してください、と頭を下げて。
結果がこれだ。
向かいの老両替商は「ヨハンには若い頃に命を拾ってもらった」と言って百枚。隣の店の髭の親父は「あいつが削るわけがねえ」と言って二百枚。三軒先の未亡人は、亡き夫の帳面まで添えて百五十枚。
どの店も、ここ三年の金貨とそれより古い金貨を、律儀に年ごとに分けて袋に詰めてくれていた。
前世の商店街でも、こういうことはあった。
誰かが困れば、みんなで少しずつ持ち寄る。そういう通りは、たいてい長く続く。
胸がじんと熱くなった。この通りで母が育ったのだと思うと、なおさらだ。
「で、リオ。これ、どうすんの?」
「量る」
「……天秤、三台あるけど」
「いや、手で」
「……は?」
◇
一枚目をつまむ。百二十粒。
二枚目。百二十粒。
三枚目。百二十粒。
指先で一枚ずつ確認しては、年ごとの山の隣に移動させていく。
帳場の向こうでは、トビが「ひゃくいち、ひゃくにぃ……」と数を数えている。
入口ではグスタフが仁王立ちで警戒にあたり、金貨の山に寄ってくる客を片っ端から眼光で追い返していた。商売の邪魔もいいところである。
ハンナおばさんが「まあまあ、皆さんご苦労さま」と温かい茶を配って回り、なぜかグスタフにだけ蜂蜜の飴を三つ握らせていた。……あの人の甘党は、とうとう下町にまで知れ渡ったらしい。
途中でトビが帳場によじ登ってきて、「リオ兄ちゃん、おれは何粒ぃ?」と腕を突き出した。
触れた瞬間、目盛りが勝手に浮かぶ。
「三十八万粒と、ちょっと」
「すげー! 金貨三千枚ぶんだ!」
計算が速い。さすがベック家の子だ。
半刻ほどで三百枚を越えたあたりから、ノーラの顔つきが変わってきた。
最初は呆れ、次に疑い、やがて、そんなもの見たくなかったという顔になる。
「……ねえ、ほんとに量ってんの、それ?」
「量ってるって。百二十、百二十、百二十……全部、ちゃんと百二十」
そう。
全部、ちゃんと百二十粒なのだ。
古い金貨も、ここ三年の金貨も、削られていない限り一枚残らず百二十粒だった。麦一粒の狂いもない。
千枚を量り終えたとき、俺は帳場に突っ伏しそうになった。
重さは変わっていない?
じゃあ、ヨハンさんの削り跡の奥が赤かったのは何だったんだ。あの厚ぼったい手触りは?
まさか俺の指が、生まれて初めて間違えたってのか?
焦りで、こめかみがじわりと汗ばむ。
千枚も借りて、通りのみんなに頭を下げさせて、結果が「何もありませんでした」では済まない。ノーラにも、牢の中のヨハンさんにも、顔向けができない。
奥歯を噛みしめた、そのときだった。
「……リオ。重さが同じなら、大きさが違うんじゃないの?」
ノーラが、なんでもないことのように言った。
顔を上げる。
ノーラは天秤の脇の、水を張った桶を見ていた。両替商が金の混ぜ物を確かめるときに使う、あの桶だ。
「父さん、言ってたよ。重さだけ見てたら、いつか騙されるって。だから、うちには桶があるんだって」
……ああ、そうか。
俺としたことが。王冠のときに自分でやったことを、すっかり失念していた。
重さを変えずに金を減らす方法は、ある。
金を抜いたぶん、軽い銀や銅を多めに混ぜればいい。そうすれば重さは同じまま、大きさだけがわずかに膨らむ。
あの厚ぼったい手触りの正体は、それだ!
「ノーラ、桶貸して! それと杯を二つ!」
「え、ちょ、今度は何!?」
◇
帳場がしんと静まり返った。
トビも数えるのをやめ、グスタフさえ入口から首を伸ばしてこちらを見ている。
古い金貨を百枚、桶に沈める。
あふれた水を杯に集めて量ると、六百八十粒。
ここ三年の金貨を百枚、同じように沈める。
あふれた水は――七百八十粒。
百粒も多い。
同じ百枚、同じ重さなのに、新しい金貨のほうがひと回り大きいのだ。
頭の中で割り算をする。
古い金貨は比が十七と半分。混ぜ物の少ない、まっとうな金貨の数字だ。
ここ三年の金貨は、十五と少し。
金が二割ほど抜かれている計算だ。
抜いたぶんを銀と銅で埋めて、重さだけ帳尻を合わせてある。表面だけ金の色を濃く仕上げれば、見た目では誰にも分からない。
改鋳だ。
国の造幣所が、この三年、中身の薄い金貨を造り続けている。
背中がぞくりとした。
王冠一つの話じゃない。国じゅうの人間の財布に入っている金貨が、知らないうちに二割ずつ目減りしているのだ。重さは同じなのに、中身だけが。
「……リオ」
ノーラの声が低くなった。
「これ……父さんの削り跡と、関係あるよね? そういえば父さん、捕まる前に、近頃の金貨は手触りが変だって、こぼしてたことがある……」
「うん……お父さんは正しかったんだ」
ノーラは唇を噛み、桶の水面を睨みつけた。
その目は、ひどく怒っていた。
俺も同じ気持ちだった。
この国の誰かが、この三年、国じゅうの金貨から金を抜き取っていた。それに気づいた両替商を一人、罪人にして牢に放り込んで。
こんなふざけた話があるか。そんな真似をしておいて、この国の誰が金貨を信用する?
「……ねえ、リオ。だからなの? ここ二年くらい、麦も油も、どんどん値上がりしてるの」
ノーラがはっとしたように言った。
そうだ。目端の利く商人は、新しい金貨が「軽い」ことに薄々気づいている。だから同じ品にも多めの金貨を要求する。
物の値段が上がって困るのは、いつだって財布の薄い人間からだ。
「これ、どうすんの? 役所に言う?」
「言ったら、ノーラのお父さんみたいに、また誰かが捕まるだけだよ。……ちゃんとした人に預ける。僕の雇い主の、一番偉い人に」
ノーラは疑わしそうに目を細めたが、それ以上は追及してこなかった。
建国祭まで、あと百日。
質に入った宝と、中身の抜かれた金貨。この国の「重さ」が、二重に狂っている。
◇
夕方、借りた金貨を一枚残らず元の袋に戻し、年ごとに数を確かめて、通りの店に返して回った。
その晩、俺は西棟の自分の部屋で、兄上に宛てて査定書を書いた。
品名、獅子金貨。ここ三年の鋳造分。重さは正。比は十五と少し。判定――。
判定の欄に「改鋳」と記入するとき、ペン先がわずかに震えた。この二文字を書いた紙は、きっとこの国で一番重い紙になる。
ちなみに、通りの最後の店に袋を返し終えたところで、ノーラにこう訊かれた。
「……ねえ。今さらだけど確認していい? 千枚、全部手で量ったの?」
「手で」
ノーラは俺の顔をまじまじと見て、それから心底あきれたように言った。
「バカなの?」
ひどい。
前世の年末の棚卸しに比べれば、千枚なんて半日仕事なのに。




