第13話 金羊商会に質入れを
王都の大通りに面したその建物は、天秤通りのどの店より三回りは大きかった。
磨き上げた石の壁にガラスの嵌まった大きな窓。軒先には金色の羊の看板。
厨房の粉袋の焼き印と、クラウスの控えの紙にあったのと、まったく同じ羊だ。
ここが、国の宝を質に取った商会の王都支店か。
看板を見上げているだけで、手のひらがじっとりと汗ばんでくるのが自分でも情けない。正直に言えば、怖い。この建物の奥のどこかに財務卿と通じた連中がいるかもしれないのだ。
そのくせ、前世の質屋の血が騒いでもいる。同業の大店の帳場をのぞけるなんて、そうそうある機会じゃない。
「……殿、いえ、リオ。自分は外で待機しております」
「うん。何かあったら、窓を叩いて」
グスタフは軒下に陣取り、腕を組んで金色の羊を威圧するように睨み上げた。
通りすがりの子どもが、その顔を見て泣きながら逃げていった。……まあ、いいか。
◇
「いらっしゃいませ。金羊商会へようこそ。ご用向きは両替で? それとも、お預け入れで?」
「質をお願いしたくて。これなんですけど」
俺は懐から布の包みを出した。
王宮の厨房の古い食器を、ボリス料理長に一本だけ譲ってもらった銀の匙だ。紋の入っていない、見習いが持っていてもおかしくない品である。
「拝見いたしましょう」
帳場の奥から現れたのは、三十がらみの細身の男だった。
片眼鏡をかけ、髪をきっちりと撫でつけ、商人らしい柔らかな笑みを浮かべている。胸の名札には「番頭マルクス」。
男は匙を受け取ると片眼鏡の奥で目を細めた。
ほんの一瞬、その瞳に淡い光がよぎる。
「銀の匙。混ぜ物の少ない、良い銀ですねえ。お預かりできるのは、銀貨二枚まででございます」
スキルか?
しかも、品物を見るだけで名と値が分かる類いの。
「もしかして、【鑑定】ですか?」
「お若いのにお詳しい。ええ、祝福で授かりましてね。おかげさまで、この若さで番頭を務めさせていただいておりますよ」
マルクスは誇らしげに片眼鏡を押し上げた。
鑑定。前世で読んだ小説にもよく出てきた、品物の正体を見抜く便利なスキルだ。天秤なんかより、よっぽど当たりの部類である。
……と、普通なら羨むところなのだが。
◇
俺の後ろで順番を待っていた中年の女が、震える手で台の上に腕輪を置いた。
「あの、これを……亡くなった夫が、行商人から買ってくれた金の腕輪なんです。娘の嫁入りの支度に、どうしても……」
マルクスの瞳にまた淡い光がよぎる。
「金の腕輪。価値は金貨三枚。良いお品ですね。三枚までお貸しできますよ」
女の顔がぱっと明るくなった。
その拍子に腕輪が台の端から転がり落ちそうになる。
「危なっ!」
とっさに手を伸ばして受け止めた瞬間だった。
目盛りが滑る。百八十粒。
そこまではいつもどおりだ。ところが止まった目盛りの横に、もう一本、見たことのない細い線がふわりと浮かんだ。
線は、腕輪の輪郭をなぞるように揺れていた。
外側だけが重い。内側は、すかすかに軽い。まるで中身のない殻を手に載せているみたいに。
……何だ、これ?
重さだけじゃない。重さがどこに偏っているかが、分かる?
心臓がどくどくと鳴った。うそだろ、まだ伸びるのか、このスキル?
祝福の儀から半月。俺の天秤に目盛りがもう一本増えたのだ!
嬉しさで叫び出しそうになるのを、奥歯を噛んでこらえる。こんな場所で小躍りしたら、それこそ怪しまれる。
それに感動している場合でもない。
この腕輪は、外側に薄い金を張っただけの空洞だ。中に何か軽いものが少し詰めてある。
「……すみません、番頭さん。これ、中が空っぽですよ」
「は?」
マルクスの笑みが固まった。
しまった、出しゃばりすぎたか? だが黙っていれば、この人は偽物を担保に借金を背負うことになる。それは、どうしても見過ごせなかった。
「金なのは外側の皮だけなんです。中は空洞で、たぶん錫か何かが少し詰めてあって……金貨三枚の値打ちは、ないと思います」
女の顔から血の気が引いた。
マルクスは片眼鏡を外し、無言で腕輪を受け取ると、帳場の奥から自分の天秤と水の入った杯を持ってきた。
量り、沈め、また量るその手際を眺めているうちに、ふと分かった。この男、鑑定のスキルを持っているくせに、ちゃんと秤も使いこなせるのだ。敵方の番頭をちょっと好きになりかけている自分に気づき、慌てて首を振る。
やがてマルクスは、深く息を吐いた。
「……おっしゃるとおりです。比が、金の半分もない」
「えぇっ……じゃあ、夫は、騙されて……」
女がその場にへたり込みそうになる。
慰めの言葉を探して見つからず、口が勝手に別のことを言った。
「旦那さんは騙されたんでしょうけど、奥さんを騙したわけじゃないですよね? 金の腕輪だって信じて、奥さんに贈ったんだから」
女は目を赤くして、腕輪を両手で握りしめた。
ちっとも気の利いた台詞じゃない。だが前世で、女房の形見の指輪を質に入れに来た爺さんに、俺は同じことを言った。言わずにはいられなかったのだ。
「それと、その外側の金の皮だけでも、天秤通りのベック両替店に持っていけば、ちゃんと量って買い取ってくれますから。リオの紹介だって言えば、たぶん……ちょっとはおまけしてくれます」
女は何度も頭を下げて帰っていった。
ノーラに怒られそうだが、まあ、そのときはそのときだ。
◇
女が帰ったあと、マルクスは片眼鏡をかけ直して俺をまじまじと観察した。
「君、手に載せただけで分かったのかい?」
「えっと……手が、人よりちょいと正確なんですよね」
「私の【鑑定】は、品物の『名』と『世間の値』を読むスキルでね。作った者が金の腕輪として作り、売った者が金の腕輪として売れば、私の目にも金の腕輪と映ってしまう。偽物を見抜くのは、昔から苦手なんだ。だから秤を手放せない」
自嘲気味に笑う男の顔は、さっきまでの商人の笑みよりずっと人間くさかった。
名を読む鑑定と、重さを読む天秤。
なるほど、と腹の底で腑に落ちた。マルクスの目は品物の名札を読み、俺の手は中身を量る。偽物を見破るなら、どうやらこっちに分があるらしい。
ここぞとばかりに俺は見習いらしい顔で質問した。
「あの、勉強のために教えてほしいんですけど。質の期限って、そんなにきっちり守るものなんですか?」
マルクスは得意げに指を立てて解説した。
「もちろん。うちは期限の日の、正午の鐘が鳴り終わるまで待つ。一刻でも過ぎれば質流れだ。それから、請け出せるのは質札の原本を持ってきた者だけ。写しじゃだめだよ」
写しじゃ、だめ?
俺たちの手もとにあるのは、クラウスが書き写した控えだけだ。背中を冷たい汗が伝う。
「大きな質も、ここの金庫に?」
「いやいや。大口のお品はザルツの本店の金庫に移すんだ。流れたら、そのまま本店からザルツ評議会に献上する。それがうちの決まりでね。献上すると、商会長が評議会で一目置かれるって寸法さ」
原本だけ。正午の鐘。ザルツの本店。
一つ聞くたびに、胃のあたりがずしりと重くなる。王冠も王笏も始祖の分銅も、もうこの国には無いのだと思うと、足もとの床が少し傾いたような気がした。
渡された質札には、金色の羊の紋と番号と期限が刷り込まれていた。
銀の匙一本で、銀貨二枚。期限は三月後の今日。
帰ろうとした俺の背中にマルクスが声をかけた。
「君、いい手をしてるねえ。どこの店の見習いだい? うちで働かないか。給金は今の店の三倍出すよ」
三倍。
頭の中の算盤が、また勝手に弾いた。
時給、六十円。
外で待っていたグスタフにその話をすると、近衛騎士は金色の羊の看板を見上げ、低く呟いた。
「……安いですね」
敵の帳場からの引き抜きにしては、たしかに安く見積もられたものである。




