第11話 天秤通りの両替商
ごおん、とひびの入った茶碗を叩いたような鐘の音が、下町の屋根の上を渡っていった。
「……ひでえ音だな」
思わず呟いてから、慌てて口を押さえる。
隣を歩く大男がちらりとこちらを見下ろした。
「…………殿下。言葉が」
「ちょっと、リオでしょ? 今日の僕は王宮出入りの両替商の見習いで、グスタフは僕の叔父さん。そういう話になったじゃん」
「……は。叔父です」
叔父です、と真顔で言う近衛騎士の背丈は俺の頭二つぶん高い。似ても似つかないとはこのことだ。
祝福の儀から十二日目。
三日がかりで父上と兄上を説き伏せ、ようやく王都グランツの下町に出る許しをもらった。
理由は二つある。
一つは、宝物庫の偽物を作った職人を探すためだ。三十一品もの張りものを、それも宝物庫番の手をごまかせるほど精巧に仕上げられる腕の持ち主は、そう多くない。金を扱う職人なら、両替商の集まる通りに必ず縁がある。
もう一つは、自分でもうまく言えない。
母の生まれた通りを、一度この目で見ておきたかったのだ。
王妃様の話を聞いてから四日、妙にそわそわして落ち着かないのだから、我ながら子どもっぽい。
◇
天秤通りは名前のとおりの通りだった。
石畳の両側に間口の狭い店がずらりと並び、どの軒先にも天秤を描いた看板が下がっている。
朝の早い時刻なのに、荷車を引いた商人や、袋を抱えた職人や、旅装の男たちが行き交って、通り全体が金の擦れる音で騒々しい。
前世の上野の問屋街を思い出して、胸がむずむずした。こんな場所、嫌いになれるわけがないだろ?
看板を一つずつ確認していくと、通りの一番奥にひときわ古い店があった。
看板の天秤は色が褪せて、木目が浮き出ている。ほかの店の看板が新しく見えるほどだ。
――ベック両替店。
心臓が一つ、どくんと強く打った。
ここか? ここが、母の生まれた家なのか!
嬉しいのか怖いのか分からないまま、扉の取っ手を握る手のひらに汗がにじむ。
扉を押すと、からんと鈴が鳴った。
「いらっしゃい。両替? それとも質の相談?」
帳場の奥から顔を上げたのは、俺と同じくらいの年の少女だった。
栗色の髪を後ろで一つに縛り、袖をまくり上げている。目つきは鋭く、手は止まらない。台の上の小さな天秤に金貨を載せ、分銅を足し、帳面に書きつけ、次の金貨に手を伸ばす。その間、一度も迷わない。
おいおい、なんて手際だよ!
前世の店にこの子がいたら、俺は帳場を譲って隠居していたかもしれない。
それから俺の視線は、彼女の手もとの分銅に吸い寄せられた。
真鍮の、使い込まれて角の丸くなった分銅が、古い木箱にずらりと並んでいる。側面に、何か小さな印が――。
「ちょっと。じろじろ見ないでくれる? それ、うちの家宝なんだから。触ったら追い出すよ」
「あ、ごめん。いい分銅だなと思って」
「当たり前でしょ。この通りで一番古くて、一番正しい分銅だもん」
少女はふんと鼻を鳴らし、俺の頭から爪先までを値踏みするように眺めた。
「で、あんた誰? 見ない顔だけど」
「リオっていいます。王宮出入りの両替商の見習いで……こっちは叔父のグスタフ」
「叔父さん? 全然似てないけど」
「…………母方です」
グスタフが真顔で答えた。少女の眉がぴくりと上がる。
母方なら似てなくていいのか? その理屈はよく分からない。俺は吹き出すのを堪えるのに必死だった。
◇
「見習いねえ。じゃあ、腕を見せてもらおうか」
少女は台の下から木の盆を引き出した。
獅子金貨が二十枚、無造作に並んでいる。
「この中に、縁を削られた金貨が何枚か混じってる。客が持ち込んだやつ。何枚か当てたら、話くらいは聞いてやる。……あたしはノーラ。この店の、今の店主」
今の、という言い方が妙に引っかかった。
だが訊く前に、ノーラは自分の天秤を引き寄せていた。勝負のつもりらしい。
いいね、と思う。
前世でも、新入りの目利きを試すのに同じことをやった。
「じゃあ、お先に」
俺は金貨を一枚ずつ指でつまんでいく。
獅子金貨は、正しくは一枚百二十粒。
百二十。百二十。百十八。百二十。百十七と少し。百二十……。
二十枚を確かめるのに、ノーラが三枚目の金貨を天秤に載せたところまでしかかからなかった。
「ええと……三枚かな。この端のと、真ん中の二つ目と、それから右から五つ目。百十八、百十七と少し、百十九。全部、縁の刻みがわずかに浅いよね」
ノーラの手が止まった。
「……はぁ?」
彼女は無言で俺の指摘した三枚を天秤に載せ、分銅を足し、もう一度足し、眉間に皺を寄せた。
それから残りの十七枚も、一枚残らず量り直した。
「……合ってる」
「よっしゃ」
「よっしゃ、じゃなーい! なんで分かるの!? あんた、天秤も持ってないじゃん!」
「手がね、人よりちょいと正確なんだ」
嘘はついていない。
ちょいと、の部分を除けば。
口では澄ましていたが、腹の中では拳を突き上げていた。母の生まれた店の帳場で、一本取ったのだ。こんなに愉快なことがあるか?
ただ、量りながら一つだけ、口に出さずにおいたことがある。
削られていない十七枚のうち、刻印の新しい五枚だけが、手に載せたとき妙に厚ぼったい気がしたのだ。
重さはぴったり百二十粒。なのに、指の腹に当たる縁の感触がわずかに違う。
気のせいかもしれない。いや、前世の俺の指は、こういうときの「気のせい」を外したことがない。
◇
勝負のあと、ノーラは渋々といった顔で茶を淹れてくれた。
「……悪かったね、試すような真似して。最近、変な客が多いんだよ。うちの父さんが捕まってから」
「捕まった?」
「二月くらい前。金貨削りの罪だって」
ノーラは湯呑みを両手で包み、窓の外を睨んだ。
「両替商が金貨を削るなんて、八百屋が野菜を盗むみたいなもんでしょ? そんなの、あるわけないじゃん。父さんは、金貨一枚だって誤魔化したことのない人なのに……っ」
声は強いのに、湯呑みを握る指が白かった。
聞いているこっちの腹の底まで、かっと熱くなる。会ったこともない男の話なのに、なぜだか他人事に思えなかった。
金貨削り。縁を少しずつ削って、削りくずの金を貯める古い手口だ。前世の世界でも昔は横行していたと聞く。
両替商がそれで捕まれば、店の信用は地に落ちる。客が減ったのも当然だろう。
そのとき、また鐘が鳴った。
ごおん。茶碗にひびが入ったような、あの濁った音。
「あの鐘、ひどい音だね」
「濁り鐘ね。二年前に財務卿様が大聖堂に寄進した、新しい鐘。でかいだけで音は最悪。通りのみんな、そう呼んでる」
財務卿?
またその名前かよ。
ほんの一瞬、喉の奥にざらりとしたものが引っかかった。だが今日のところは、そっちを詮索している場合ではない。
「ねえノーラ。金を薄く延ばして張る仕事をしてる職人って、この辺にいる?」
「金張り? 箔屋なら隣の通りに三軒あるけど……なに、あんた本当に見習い?」
ノーラは疑わしげに目を細め、やがてふっと肩の力を抜いた。
「まあいいや。手は本物みたいだし。あんた、明日からうちで手伝いなよ。父さんがいなくて、量りが追いつかないの」
「え、いいの?」
「日給、銅貨三枚。文句ある?」
ない。あるわけがない。
母の生まれた家で、帳場に座らせてもらえるのだ。嬉しくて、口元が勝手ににやけてしまう。
ただ、頭の中の算盤が勝手に弾いた数字だけは、どうにも黙っていてくれなかった。
日給、銅貨三枚。前世の時給に直すと、ざっと二十円。
ヴァーゲ王国第七王子、本日付けで時給二十円の仕事に就く。




