第1期 第9話 その名前は、誰?
恋人のスマートフォンなんて、見るものじゃない。
佐藤ユウキはそう思っていた。
誰と連絡を取っているのか。
何を話しているのか。
恋人だからといって、すべてを知る権利があるわけではない。
だから。
本当に偶然だった。
見るつもりなんてなかった。
ただ。
テーブルの上に置かれていたミヤビのスマートフォンが震えて。
画面が光った。
そこに。
知らない男の名前と。
たった一行。
メッセージが表示された。
『明日はいつもの場所でいい?』
明日。
土曜日。
そして。
――いつもの場所。
「……誰?」
思わず。
声が出た。
*
金曜日。
午後七時二十三分。
ユウキの部屋。
二人で夕食を食べ終えて。
ミヤビがキッチンで食器を洗っていた。
「ユウキくん?」
水道が止まる。
「どうしたの?」
振り返る。
ユウキの視線の先。
テーブル。
スマートフォン。
ミヤビの表情が。
一瞬で変わった。
「……見た?」
「通知だけ」
ユウキはすぐ答えた。
「勝手に中は見てない」
「そっか」
ミヤビは手をタオルで拭く。
それからスマートフォンを手に取った。
画面を消す。
「友達だよ」
「男?」
「……うん」
「そうなんだ」
それだけ。
ユウキは追及しなかった。
ミヤビが目を瞬く。
「聞かないの?」
「何を?」
「明日、何するのとか」
「友達と会うんだろ?」
「……うん」
「だったら別に」
ユウキはそう答えた。
けれど。
胸の奥に。
小さな何かが引っかかった。
*
「ユウキくん」
「ん?」
「怒った?」
「怒ってない」
「ほんと?」
「男友達くらいいるだろ」
「……いる」
「なら普通じゃん」
ミヤビは何も言わない。
むしろ。
怒ってほしかった。
『会うな』
そう言われたら。
断る理由にできたかもしれない。
自分では切れない関係を。
ユウキに切ってもらえたかもしれない。
そんな最低なことを考えて。
さらに自己嫌悪する。
「ミヤビ?」
「……キスして」
「急だな」
「してほしい」
ユウキは少し迷ってから。
彼女の頬に触れた。
短いキス。
離れる。
「これでいい?」
「もう一回」
二度目。
「もう一回」
三度目。
それでも。
ミヤビの表情は晴れない。
「どうした?」
「……足りない」
「何が?」
答えず。
ミヤビは抱きついた。
強く。
「ちょ、ミヤビ」
「このまま」
「いいけど」
「ぎゅってして」
ユウキも腕を回す。
「これくらい?」
「もっと」
抱きしめる力を強くする。
「……ユウキくん」
「ん?」
「私のこと好き?」
「好きだよ」
「どれくらい?」
「何だその質問」
「答えて」
ユウキは少し考える。
「金曜日が楽しみになるくらい」
ミヤビの胸が痛んだ。
「メッセージ来たら嬉しいくらい」
「……うん」
「卒業しても一緒にいたいって思うくらい」
ミヤビは。
何も言えなくなった。
「ミヤビ?」
「もう一回」
「何を?」
「好きって言って」
「好き」
「……私も」
その声は。
震えていた。
*
その夜。
二人はベッドに並んでいた。
いつもなら。
ミヤビから距離を縮めてくる。
なのに今日は。
少し離れている。
「ミヤビ」
「ん?」
「こっち来ないの?」
「……行っていい?」
「毎週勝手に来るだろ」
「今日は聞きたいの」
「おいで」
その一言で。
ミヤビはユウキの胸へ飛び込んだ。
「うわ」
「……好き」
「どうしたんだよ、今日」
「好き」
「分かったって」
「大好き」
「うん」
「ユウキくん」
顔を上げる。
「キスして」
唇が重なる。
一度。
二度。
離れると。
ミヤビが追いかける。
三度目。
四度目。
「……ミヤビ」
「まだ」
五度目。
今夜のミヤビは。
まるで何かを忘れようとするみたいだった。
ユウキの胸元を掴んで。
離れないように。
何度も。
何度も。
「ミヤビ」
ようやく。
ユウキが肩に手を置いた。
「一回止まろう」
「……嫌?」
「違う」
「じゃあ」
「なんかあった?」
その質問に。
ミヤビは固まった。
「何もないよ」
即答。
「本当に?」
「うん」
「ならいいけど」
「……信じるの?」
「彼女だろ」
たった四文字。
その言葉が。
今のミヤビには。
何より痛かった。
*
部屋の明かりを落とす。
同じベッド。
ミヤビはユウキの腕の中にいた。
今夜も。
二人は互いの体温を確かめるように寄り添った。
何度も名前を呼んだ。
何度も唇を重ねた。
そして。
夜が深くなるほど。
言葉は少なくなっていった。
ただ。
すぐそばにいる。
それだけで。
ユウキには十分だった。
ミヤビには。
十分すぎるほど幸せだった。
だから。
怖かった。
朝が来ることが。
*
午前一時十二分。
「ユウキくん」
「ん……」
「寝た?」
返事はない。
眠っている。
ミヤビは。
そっとベッドを抜けた。
テーブルへ向かう。
スマートフォンを取る。
通知。
『明日11時で』
昼間の男。
返信していない。
ミヤビは画面を見つめる。
そして。
『明日は行けない』
打った。
送信。
数秒。
返信。
『なんで?』
『話あるんじゃなかった?』
続いて。
着信。
心臓が跳ねる。
出ない。
切れる。
もう一度。
着信。
「……っ」
ミヤビはスマートフォンを握りしめる。
そのとき。
「ミヤビ?」
背後から声。
心臓が止まりそうになった。
「ユ、ユウキくん」
「何してるの?」
「……水飲もうと思って」
嘘。
「そっか」
眠そうな声。
「早く戻ってきて」
「うん」
ユウキは。
疑っていなかった。
ミヤビはスマートフォンの電源を切った。
ベッドへ戻る。
「寒い」
ユウキが言う。
「ごめん」
「こっち」
腕が伸びる。
抱き寄せられる。
「……あったかい」
「ミヤビが出てくからだろ」
「もう出ない」
「うん」
「朝までいる」
「当たり前だろ」
ミヤビは。
暗闇の中で目を閉じた。
その言葉を。
永遠の約束みたいに感じた。
*
翌朝。
土曜日。
八時。
「おはよ」
「おはよう」
目を覚ましたミヤビは。
ユウキの頬にキスをした。
「一回」
「朝から数えるの?」
「二回」
また。
「三回」
「歯磨き」
「昨日も言ってた」
「大事だから」
「じゃあ頬」
ちゅ。
右。
ちゅ。
左。
「これなら?」
「……まあ」
「じゃあ唇は歯磨きのあと」
「予約制なの?」
「予約しました」
ミヤビが笑う。
昨夜までの不安が。
少しだけ消えていた。
*
朝食を終えたあと。
二人はソファに座っていた。
ミヤビのスマートフォンは。
まだ電源を切ったまま。
「珍しいな」
「何が?」
「スマホ触らないの」
「ユウキくんがいるから」
「俺とスマホ関係ある?」
「あるよ」
ミヤビが肩にもたれる。
「ユウキくんといるときくらい、他の人のこと考えたくない」
一瞬。
ユウキは昨日の通知を思い出した。
『明日はいつもの場所でいい?』
「……昨日の友達?」
聞いた。
ミヤビの身体が。
ほんの少し硬くなる。
「うん」
「今日会うんだっけ」
「……会わない」
「予定変わった?」
「断った」
「そうなんだ」
「嬉しい?」
「え?」
「私が男の人と会わないの」
ユウキは苦笑した。
「そりゃ、少しは」
「嫉妬した?」
「ちょっと」
ミヤビが顔を上げる。
「ほんと?」
「彼女が知らない男と『いつもの場所』とか言ってたら、気にはなる」
「……そっか」
「でも友達なら仕方ないだろ」
「ユウキくん」
「ん?」
ミヤビが。
唇を重ねた。
「……ごめん」
キスのあと。
小さく言った。
「何が?」
「嫉妬させたから」
「それくらいなら別に」
違う。
謝っているのは。
そこではない。
けれど。
本当のことは言えなかった。
*
昼前。
ミヤビが帰る時間になった。
玄関。
「来週も?」
ユウキが聞く。
「来る」
「泊まる?」
「泊まりたい」
「じゃあ着替え忘れるなよ」
「うん」
「あと勉強道具」
「えー」
「受験生だぞ」
「ユウキ先生が教えて」
「最初からできるだろ」
「教えてもらう時間が好きなの」
「そういうこと言えば許されると思ってる?」
「許してくれる?」
「……まあ」
「やった」
ミヤビが笑う。
「じゃあ」
背伸び。
キス。
「また金曜日」
「うん」
もう一度。
「これは?」
「来週分の前払い」
「じゃあ俺からも」
ユウキからキス。
「これは?」
「知らない」
「なにそれ」
二人で笑った。
そのまま。
あと二回。
三回。
結局。
玄関を出るまで五分以上かかった。
*
マンションを出る。
ミヤビはスマートフォンの電源を入れた。
大量の通知。
その中に。
昨夜の男から。
『分かった』
『じゃあ来週でいい』
ミヤビは立ち止まった。
そして。
『来週も会わない』
送る。
『もう会えない』
さらに。
『好きな人ができたから』
送信。
指が震える。
怖い。
それでも。
今度こそ。
終わらせる。
返信。
『彼氏?』
ミヤビは少し迷って。
『うん』
と答えた。
数分後。
『そっか』
『じゃあもう連絡しない』
それだけ。
ミヤビは画面を見つめた。
拍子抜けするほど。
簡単だった。
「……終わった」
涙が出た。
悲しいからではない。
安心したからだった。
これで。
ユウキだけ。
そう思った。
*
しかし。
ミヤビには。
まだ言えていないことがあった。
終わらせた。
確かに。
今日で。
他の男たちとの関係は、すべて終わった。
けれど。
過去そのものが消えたわけではない。
ユウキと付き合ったあとも。
完全に関係を切るまで時間がかかったこと。
何度も嘘をついたこと。
そして。
ユウキが自分だけを恋人だと思っていた期間にも。
自分には他の相手がいたこと。
全部。
まだ。
隠したままだ。
*
それから。
一か月が過ぎた。
十一月。
十二月。
冬が来た。
毎週金曜日。
ミヤビはユウキの部屋へ来た。
二人で受験勉強をした。
夕食を作った。
映画を見た。
抱きしめ合った。
何度もキスした。
時には朝まで一緒に過ごした。
そして。
ミヤビは本当に。
ユウキ以外の男とは会わなくなった。
その生活は。
彼女がずっと欲しかったものだった。
*
十二月最後の金曜日。
ベッドの上。
ミヤビはユウキの胸に頬を預けていた。
「ユウキくん」
「ん?」
「卒業したらどうする?」
「大学行く」
「そうじゃなくて」
「何?」
「私たち」
ユウキは少し考える。
「付き合ってるんじゃない?」
「卒業しても?」
「ミヤビが嫌じゃなければ」
「嫌じゃない」
即答。
「じゃあ付き合ってるだろ」
「大学が別々でも?」
「別れたいの?」
「嫌」
「なら答え出てるじゃん」
ミヤビが顔を上げる。
「……ずっと?」
「先のことは分からないけど」
ユウキは。
彼女の髪を撫でた。
「俺は、ずっと一緒にいたいよ」
ミヤビの目が潤む。
「泣くことか?」
「……嬉しいから」
「最近よく泣くな」
「ユウキくんのせい」
「なんで俺」
「好きにさせたから」
「最初に数学できないふりしたのミヤビだろ」
「それは言わない約束」
「してない」
「今した」
ミヤビが唇を尖らせる。
ユウキは笑って。
そこへキスをした。
「ずるい」
「何が?」
「怒れなくなる」
「じゃあもう一回」
「……うん」
二度目。
三度目。
やがて。
ミヤビは目を閉じて。
ユウキの胸元へ顔を寄せた。
幸せだった。
本当に。
だからこそ。
言えなかった。
*
冬が過ぎる。
受験が終わる。
そして。
三月。
卒業式の日が近づいてくる。
二人が付き合い始めて。
約半年。
ミヤビは。
もう完全にユウキだけを見ていた。
けれど。
過去は消えない。
嘘も消えない。
そして卒業式まで。
あと三週間。
ユウキのスマートフォンに。
知らないアカウントから。
一通のメッセージが届く。
『佐藤ユウキくんですよね』
『仁科ミヤビと付き合ってるって、本当ですか?』
続いて。
一枚の写真。
そこには。
ユウキの知らない男と並ぶ。
ミヤビの姿が写っていた。
そして。
写真の日付は――。
**ユウキとミヤビが恋人になった翌日の、土曜日だった。**
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




