第1期 第8話 好きだから、嘘が増えていく
「今日で、終わりにする」
土曜日の午後。
仁科ミヤビは、そう決めていた。
昨夜から今朝まで。
ユウキの部屋で過ごした。
抱きしめられて。
何度もキスをして。
同じベッドで朝を迎えた。
初めてだった。
誰かと過ごした翌朝に、
――帰りたくない。
そう思ったのは。
だから、決めた。
他の関係は全部終わらせる。
ユウキだけの彼女になる。
そのはずだった。
*
待ち合わせ場所は、駅から少し離れた喫茶店だった。
向かいに座る男は、ミヤビより二歳年上。
付き合いは一年以上になる。
そして。
ミヤビが最も依存してきた相手だった。
「最近、連絡減ったよね」
「……うん」
「なんで?」
ミヤビは膝の上で拳を握る。
言え。
今日で終わりにしたい。
たったそれだけだ。
「私……」
スマートフォンが震えた。
画面を見る。
ユウキ。
『勉強始めた』
続けて。
『ミヤビもちゃんと勉強しろよ』
思わず笑いそうになった。
「誰?」
「……友達」
また。
嘘をついた。
「男?」
「違う」
また一つ。
「最近、変だよ」
向かいの男が言う。
「俺のこと嫌いになった?」
その瞬間。
胸の奥がざわつく。
嫌いになったわけではない。
ただ。
ユウキを好きになった。
だから終わらせたい。
それだけなのに。
「ミヤビ」
名前を呼ばれる。
「俺から離れるの?」
怖い。
その言葉が。
異常なほど怖かった。
昔からそうだった。
誰かが自分から離れていく。
誰かに必要とされなくなる。
その想像だけで。
胸に穴が開くような感覚がする。
「……分からない」
言ってしまった。
「分からないって?」
「少し、考えさせて」
終わらせられなかった。
*
帰り道。
ミヤビは一人だった。
スマートフォンを開く。
ユウキとのトーク画面。
『勉強終わった』
『そっちは?』
涙が出そうになる。
『私も今終わったよ』
嘘。
『お疲れ』
『来週楽しみ』
その一言だけで。
胸が温かくなる。
同時に。
痛くなる。
「……ごめんなさい」
誰にも聞こえない声で。
そう呟いた。
*
それから一週間。
ユウキは何も知らなかった。
学校ですれ違えば。
ミヤビはいつものように他人の顔をする。
そして。
姿が見えなくなった途端。
『今、目合った♡』
メッセージが届く。
『学校でニヤニヤするなよ』
『ユウキくんもしてたよ』
『してない』
『してた』
そんなやり取りが。
楽しかった。
金曜日だけではなく。
朝も。
昼も。
夜も。
ミヤビからの連絡が来る。
付き合う前より。
明らかに増えていた。
木曜の夜。
電話もかかってきた。
『ユウキくん』
「どうした?」
『声聞きたかった』
「明日会うだろ」
『明日まで長い』
「あと十五時間くらい」
『長いよ』
「寝たら一瞬だろ」
『じゃあ寝るまで電話して』
「勉強は?」
『今日は終わり』
「仕方ないな」
『やった』
電話越しの声が嬉しそうだった。
それから一時間。
どうでもいい話をした。
最後。
『ユウキくん』
「ん?」
『好き』
「俺も」
『大好き』
「俺も好きだよ」
沈黙。
『……もう一回』
「好き」
『もう一回』
「明日直接言う」
『けち』
「おやすみ」
『おやすみ』
切ろうとして。
『待って』
「何?」
『……明日、いっぱいキスして』
ユウキは数秒黙った。
「電話で言うことか、それ」
『だってしたいから』
「……俺も」
電話の向こうで。
ミヤビが笑った。
*
金曜日。
放課後。
「お邪魔します」
「いらっしゃい」
もう三度目。
ミヤビがユウキの部屋へ来ること自体。
少しずつ日常になっていた。
「ユウキくん」
「何?」
玄関のドアが閉まる。
鍵がかかる。
次の瞬間。
ミヤビが抱きついた。
「おっと」
「会いたかった」
「学校で見ただろ」
「見るだけじゃ足りない」
「昨日電話もした」
「声だけじゃ足りない」
「欲張りだな」
「うん」
顔を上げる。
「だから」
目を閉じた。
ユウキは笑う。
「はいはい」
「はいは一回」
「注文多いな」
頬に手を添える。
キス。
「ん」
離れる。
「もう一回」
二度目。
「もう一回」
三度目。
「まだ玄関だぞ」
「昨日いっぱいしてって言った」
「覚えてたのか」
「ユウキくんとのことは覚えてるよ」
四度目。
そして。
ミヤビが胸元へ顔を埋めた。
「……やっぱり落ち着く」
「玄関で?」
「場所じゃないの」
ユウキの背中へ腕を回す。
「ユウキくんだから」
*
その日の夕食は。
二人でオムライスを作った。
「見て」
ミヤビがケチャップで文字を書く。
『ユウキ♡』
「恥ずかしくない?」
「全然」
「俺が恥ずかしいんだけど」
「じゃあユウキくんも書いて」
「何を」
「ミヤビ大好き、って」
「長い」
「じゃあ♡だけ」
仕方なく。
ユウキもミヤビのオムライスにハートを書く。
「……これでいい?」
ミヤビは。
しばらくそのハートを見つめていた。
「食べないの?」
「もったいない」
「ケチャップだぞ」
「ユウキくんが書いてくれたから」
「また書くよ」
「ほんと?」
「それくらいなら」
「じゃあ毎週」
「毎週オムライス食うの?」
「それもいいね」
ミヤビは笑った。
そんな未来が。
本当に来ればいい。
心からそう思った。
*
午後九時。
二人はベッドに並んでいた。
先週より。
ずっと自然に。
ミヤビがユウキの胸元に寄り添う。
「ねえ」
「ん?」
「今日も泊まっていい?」
「そのつもりで来たんだろ」
「ばれた?」
「荷物増えてる」
「ちゃんと着替え持ってきた」
「計画的犯行だな」
「彼氏の家に泊まるのは犯罪ですか?」
「じゃないです」
「なら問題なし」
ミヤビが笑う。
それから。
少しだけ静かになった。
「ユウキくん」
「何?」
「私が毎週泊まったら、迷惑?」
「別に」
「ほんと?」
「むしろ嬉しい」
ミヤビの目が揺れる。
「……嬉しい?」
「好きな彼女と一緒にいられるんだから」
「そっか」
ぎゅっと。
抱きついてくる。
「じゃあ」
小さな声。
「ずっとこうしてて」
ユウキは彼女の背中に腕を回す。
「いいよ」
「離さないで」
「今日は甘えすぎじゃない?」
「金曜日だから」
「金曜日なら何でもありか」
「ユウキくんの日だから」
その言葉に。
ユウキは笑った。
意味を。
完全に勘違いしたまま。
「俺の日?」
「うん」
ミヤビが顔を上げる。
「金曜日は、ユウキくんだけ」
嘘ではなかった。
金曜日だけは。
本当にユウキしかいない。
だからこそ。
残酷な言葉だった。
*
「ミヤビ」
「ん?」
「キスしていい?」
「聞かなくてもいいよ」
「一応」
「恋人なんだから」
唇が重なる。
一度。
二度。
三度。
今夜は。
ミヤビの方が離れようとしなかった。
ユウキの胸元を掴んで。
唇が離れると。
また自分から近づいてくる。
「……今日どうした?」
「何が?」
「いつも以上にくっついてくる」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「じゃあいいの」
もう一度。
キス。
「ユウキくん」
「うん」
「好きって言って」
「好き」
「もう一回」
「好きだよ」
「もっと」
「大好き」
ミヤビは。
泣きそうな顔で笑った。
「私も」
そして。
また唇を重ねた。
*
夜は深くなっていった。
部屋の明かりが消える。
同じ布団。
互いの体温。
暗闇の中で何度も名前を呼ぶ。
唇を重ねて。
抱きしめ合って。
互いがそこにいることを確かめるように。
やがて。
言葉より近い距離で。
二人だけの時間が静かに過ぎていった。
*
深夜。
「ユウキくん」
「ん……?」
「寝た?」
「半分」
「半分寝るって何」
「眠いってこと」
「そっか」
ミヤビはユウキの胸に頬を寄せる。
「じゃあ寝ていいよ」
「ミヤビは?」
「もうちょっと起きてる」
「なんで?」
「幸せだから」
眠そうだったユウキが。
少しだけ目を開ける。
「意味分からない」
「幸せな時間って、寝るともったいない気がしない?」
「明日起きてもいるだろ」
「……うん」
「なら寝ろ」
頭を撫でられる。
「おやすみ、ミヤビ」
「おやすみ」
少しして。
ユウキの呼吸が一定になる。
ミヤビは眠れなかった。
スマートフォンを見る。
土曜日。
日付が変わっている。
通知。
あの男からだった。
『明日会える?』
胸が冷たくなる。
隣を見る。
ユウキ。
自分を信じて眠っている。
返信欄を開く。
『会えない』
打つ。
これでいい。
送ればいい。
けれど。
『この前の話、ちゃんとしたい』
追加のメッセージ。
指が止まる。
怖い。
関係を終わらせることが。
それ以上に。
今は。
ユウキを失うことが怖い。
なのに。
その二つの恐怖の間で。
ミヤビはまだ正しい方を選べなかった。
『少しだけなら』
送信。
直後。
激しい自己嫌悪が押し寄せる。
「……何してるんだろ」
スマートフォンを伏せる。
隣で眠るユウキの胸に。
もう一度身体を寄せる。
「ごめんね」
そして。
眠っている彼の唇へ。
そっとキスをした。
*
翌朝。
「おはよう」
「……おはよ」
ユウキが目を開けると。
ミヤビがすぐ隣で笑っていた。
「何時?」
「七時半」
「早い」
「起きちゃった」
「土曜なのに」
「ユウキくん」
「ん?」
「キス」
「起きて最初の言葉がそれ?」
「おはようって言ったよ」
「二言目じゃん」
「早く」
「はいはい」
軽く唇を重ねる。
「もう一回」
「歯磨きしてからにしない?」
「気にしない」
「俺が気にする」
「じゃあ一緒に歯磨きしよ」
「狭いぞ」
「いいじゃん」
ミヤビがベッドから起きる。
それを見て。
ユウキは思った。
こんな毎日も悪くない。
毎週金曜日だけではなく。
いつか。
毎日。
同じ部屋で朝を迎える。
そんな未来があったら。
幸せなのかもしれない。
*
午前九時。
玄関。
「じゃあ、また学校で」
「うん」
「来週も?」
「来る」
「泊まる?」
「泊まる」
「即答だな」
「嫌?」
「嬉しい」
「……好き」
不意打ちのキス。
「じゃあね」
「駅まで送るよ」
「今日はいい」
「なんで?」
「予定あるから」
ユウキは気にしなかった。
「友達?」
ミヤビの胸が痛む。
「……うん」
嘘。
「そっか。気をつけて」
「うん」
ドアを開ける。
でも。
出られなかった。
「ミヤビ?」
「……最後に一回だけ」
「さっきしただろ」
「お願い」
ユウキは不思議そうな顔をして。
それでも。
優しくキスをしてくれた。
「これでいい?」
「……うん」
「じゃあ来週」
「ユウキくん」
「ん?」
「大好き」
「俺も」
扉が閉まった。
*
三十分後。
ミヤビは電車に乗っていた。
ユウキの家から離れていく。
唇には。
さっきのキスの感触が残っている。
それなのに。
これから会うのは。
別の男だった。
最低だ。
自分でも分かっている。
それでも。
まだ切れない。
一人になることへの依存が。
長い時間をかけて作った歪んだ関係が。
ミヤビの足首に絡みついている。
*
一方。
ユウキは。
何も知らない。
ミヤビが忘れていったヘアゴムを見つけて。
『忘れ物』
写真を送る。
返事。
『来週まで持ってて♡』
『了解』
それだけ。
ユウキは机に向かう。
数学の問題集を開く。
受験。
卒業。
大学。
その先。
未来には。
当然のようにミヤビがいると思い始めていた。
そして。
ミヤビもまた。
同じ未来を望んでいた。
だからこそ。
嘘が増える。
失いたくないから言えない。
言えないから、さらに隠す。
隠すために、また嘘をつく。
好きになればなるほど。
秘密は重くなる。
そして次の金曜日。
二人の関係に初めて。
小さな亀裂が入る。
きっかけは。
ミヤビのスマートフォンに表示された――
**ユウキの知らない男からのメッセージだった。**
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




