第1期 第7話 朝まで、恋人のままで
「……帰りたくないって言ったら、困る?」
金曜日。
午後九時を過ぎた、ユウキの部屋。
ベッドの端に並んで座ったまま。
ミヤビは、そんなことを言った。
「もう少しだけ」
彼女の指がユウキの手に絡む。
「恋人らしく、一緒にいたい」
その意味が分からないほど、ユウキも子供ではなかった。
二人とも十八歳。
付き合ってから、毎週のようにキスをした。
抱きしめ合った。
今日だって、何度唇を重ねたのか覚えていない。
それでも。
その先だけは。
まだだった。
*
「ミヤビ」
「うん」
「それ、本気で言ってる?」
聞くと。
ミヤビは俯いた。
「……うん」
いつもの彼女なら。
『どういう意味だと思ったの?』
なんて笑って誤魔化したはずだ。
けれど今夜は違う。
絡めた指に、少しだけ力が入る。
「でも」
「でも?」
「ユウキくんが嫌なら、帰る」
「嫌じゃない」
即答してしまった。
ミヤビが顔を上げる。
「……ほんと?」
「好きな彼女にそんなこと言われて、嫌なわけないだろ」
「そっか」
嬉しそうに笑う。
なのに。
その笑顔には少しだけ緊張が混じっていた。
ユウキは、ふと思う。
「ミヤビ」
「ん?」
「無理してない?」
目を見て聞いた。
「俺に合わせなくていいから」
その瞬間。
ミヤビの瞳が揺れた。
「……なんで?」
「なんとなく」
「こういうとき普通、男の子って喜ぶんじゃないの?」
「喜んでる」
「喜んでるんだ」
「そこ拾うなよ」
「ふふっ」
ようやく、いつもの笑顔が戻った。
「でも」
ユウキは続ける。
「ミヤビが後悔するなら嫌だ」
しばらく。
彼女は何も言わなかった。
やがて。
こつん。
ユウキの肩に額を預ける。
「……優しくしないでよ」
「なんで」
「もっと好きになっちゃうから」
「それは別にいいだろ」
「よくない」
小さな声だった。
「私には、よくないの」
「ミヤビ?」
「なんでもない」
顔を上げる。
そして。
「キスして」
ユウキは頬に触れた。
ゆっくり。
唇を重ねる。
*
一度。
離れる。
もう一度。
今度はミヤビから。
三度目。
四度目。
抱きしめたまま、何度も唇を重ねる。
いつもと同じはずだった。
なのに。
今夜だけは、一度離れるたびに互いの距離が近くなっていく気がした。
「ユウキくん」
「ん?」
「好き」
「俺も」
「もう一回言って」
「好きだよ」
「……もう一回」
「好き」
ミヤビが笑う。
「何回言わせるんだ」
「いっぱい」
「なんで」
「覚えておきたいから」
「来週も言うよ」
「再来週も?」
「言う」
「卒業しても?」
「そのつもり」
「大学生になっても?」
「同じ大学受かったらな」
「じゃあ勉強頑張らないと」
「最初から数学できるくせに」
「あれは忘れて」
二人で笑った。
それから。
またキスをした。
今度は、長かった。
*
やがて。
二人はベッドに横になった。
向かい合って。
すぐそばに相手の顔がある。
「……近いね」
ミヤビが囁く。
「今さら?」
「今までより近い」
ユウキは彼女の髪をそっと撫でた。
「嫌?」
「もっと」
「え?」
「撫でて」
言われた通りにする。
さらさらした黒髪。
ミヤビは目を細めた。
「落ち着く」
「猫みたいだな」
「にゃー」
「適当すぎるだろ」
「じゃあ」
ミヤビがユウキの胸元に潜り込む。
「これなら?」
「甘えん坊」
「今日だけ」
「来週もやりそう」
「ばれた?」
抱きしめる。
ミヤビも背中に腕を回す。
しばらく。
言葉は必要なかった。
聞こえるのは。
時計の音。
互いの呼吸。
そして。
近すぎるくらいの鼓動。
「ねえ」
「うん」
「電気、消して」
ユウキの心臓が跳ねた。
「……いいの?」
「うん」
「本当に?」
「何回聞くの」
「大事だから」
その言葉に。
ミヤビは少しだけ笑った。
「大丈夫」
そして。
「ユウキくんといたい」
部屋の明かりが消えた。
*
暗闇。
カーテンの隙間から、街の明かりだけが差し込んでいる。
「ユウキくん」
「ここにいる」
「手」
「ん」
探るように伸びてきた指を握る。
「キスして」
唇を探す。
少しずれて、頬に触れた。
「そこ違う」
「暗いんだから仕方ないだろ」
「下手」
「じゃあミヤビから」
「しょうがないなあ」
暗闇の中。
柔らかな唇が触れる。
一度。
二度。
三度。
やがて。
数える意味もなくなった。
「ユウキくん」
「うん」
「好き」
「俺も好き」
「……大好き」
抱きしめる腕に力が入る。
ミヤビの体温が近い。
もう、間に何も挟みたくないと思うほどに。
それでも。
ユウキは急がなかった。
何度も確かめた。
本当にいいのか。
怖くないか。
嫌になったらすぐ言ってほしい。
そのたび。
ミヤビは。
「うん」
と答えた。
そして最後に。
「ユウキくんだから、いいの」
そう囁いた。
その夜。
二人は初めて。
キスより先へ進んだ。
*
時計が日付を越えても。
二人は眠らなかった。
同じ布団の中。
ミヤビはユウキの胸に頬を預けている。
「……ねえ」
「ん?」
「寝た?」
「寝てたら返事できないだろ」
「それもそうだね」
静かな笑い声。
「ユウキくん」
「なに」
「後悔してる?」
「してない」
「即答」
「ミヤビは?」
「……してないよ」
少し間があった。
「ただ」
「ただ?」
「怖い」
「何が?」
ミヤビは答えなかった。
代わりに。
ぎゅっと抱きついてくる。
「ミヤビ?」
「もう少しこのまま」
「いいけど」
「朝まで」
「うん」
「起きても、隣にいて」
「俺の家なんだからいるだろ」
「そういう意味じゃない」
「じゃあどういう意味?」
沈黙。
やがて。
「……なんでもない」
またそれだ。
秘密。
ユウキにはまだ。
その言葉の重さが分からなかった。
*
深夜二時。
ユウキは眠っていた。
ミヤビだけが目を開けている。
すぐ隣。
穏やかに眠る彼氏。
暗闇の中で。
ミヤビはそっとユウキの頬に触れた。
「……ごめんね」
小さく。
本当に小さく呟いた。
今夜。
ユウキは何度も聞いてくれた。
大丈夫か。
本当にいいのか。
そして。
好きだと言ってくれた。
だからこそ。
胸が痛かった。
ユウキにとって今夜が特別だったことを。
ミヤビは知っている。
自分が彼の「初めて」の相手になったことも。
だから。
言えなかった。
自分には。
彼が思っているような「初めて」は残っていなかったことを。
それどころか。
恋人になったあとも。
すべての関係を終わらせられていないことを。
「最低だ……私」
涙が一滴。
枕に落ちた。
それでも。
ユウキの隣から離れたくなかった。
ミヤビは彼の胸に顔を寄せる。
すると。
眠っているはずのユウキの腕が。
無意識に彼女を抱き寄せた。
「……ずるいよ」
涙を拭う。
「そんなことされたら」
もう。
戻れなくなる。
本当に。
この人だけが欲しくなる。
*
翌朝。
ユウキが目を覚ます。
最初に感じたのは。
自分の胸元にある温もりだった。
「……ミヤビ?」
「ん……」
眠そうな声。
黒髪が枕いっぱいに広がっている。
昨日のことを思い出す。
途端に顔が熱くなった。
「……おはよう」
ミヤビが目を開ける。
「おはよ」
数秒。
見つめ合う。
「ユウキくん」
「何?」
「朝だね」
「朝だな」
「隣にいるね」
「いるな」
ミヤビが嬉しそうに笑った。
そして。
「おはようのキス」
「そんな習慣いつできた?」
「今」
軽いキス。
離れる。
「もう一回」
「朝から?」
「朝だから」
二度目。
「もう一回」
「多いって」
「昨日より少ない」
「比較対象がおかしい」
三度目。
四度目。
「……ミヤビ」
「ん?」
「幸せそうだな」
何気なく言った。
その瞬間。
ミヤビの動きが止まる。
「……うん」
少しだけ。
泣きそうな顔で笑った。
「幸せだよ」
ユウキは理由を聞かなかった。
ただ。
抱きしめた。
ミヤビも抱きしめ返した。
*
朝食は二人で作った。
といっても。
トースト。
目玉焼き。
インスタントのスープ。
それだけ。
「なんか新婚さんみたい」
ミヤビが言う。
「気が早すぎる」
「いいじゃん。想像くらい」
「大学にも受かってないぞ」
「じゃあ大学卒業したら?」
「さらに先になったな」
「ユウキくん」
「ん?」
「私がお嫁さんだったら嫌?」
「……嫌じゃない」
「そこは嬉しいって言って」
「嬉しいよ」
「ほんと?」
「ほんと」
ミヤビは笑う。
その顔を見て。
ユウキも笑った。
何も知らずに。
*
午前十時。
ミヤビは帰っていった。
玄関で。
「じゃあね」
「うん」
「来週も来ていい?」
「もちろん」
「泊まっても?」
「……親御さんに怒られないなら」
「大丈夫」
「ならいいよ」
「ほんと?」
「毎週は勉強できなくなるけど」
「じゃあ勉強もする」
「本当か?」
「たぶん」
「信用できない」
笑い合う。
最後に。
ミヤビが背伸びをする。
キス。
「来週も」
「うん」
「絶対ね」
「分かってる」
扉が閉じる。
その瞬間まで。
二人は。
どこにでもいる幸せな恋人だった。
*
マンションを出たミヤビは。
スマートフォンを開いた。
通知が溜まっている。
金曜の夜から今朝まで。
返信していなかったメッセージ。
『昨日何してた?』
『最近避けてない?』
『今日会える?』
別々の名前。
ミヤビは立ち止まる。
昨日までなら。
怖くて断れなかった。
けれど。
今は。
ユウキの腕の中で迎えた朝を覚えている。
「……終わらせる」
一人目。
『もう会えない』
送信。
二人目。
『ごめんなさい。終わりにしたい』
送信。
三人目。
指が震える。
それでも送った。
四人目。
五人目。
そして――。
最後の一人。
『別れよう』
文字を打つ。
送信ボタンへ指を伸ばす。
そのとき。
着信。
画面いっぱいに表示された名前を見て。
ミヤビの顔から血の気が引いた。
長い間。
自分が一番依存してきた相手。
切らなければいけない。
分かっている。
なのに。
指が動かない。
着信が切れる。
直後。
メッセージ。
『今日会って話そう』
ミヤビは画面を見つめた。
「……会って、終わらせればいい」
自分に言い聞かせる。
ただ別れ話をするだけ。
それで全部終わる。
今日で。
ユウキだけの彼女になれる。
そう信じて。
『分かった』
送信した。
*
同じ頃。
ユウキはベッドのシーツを整えていた。
昨日までとは違って見える部屋。
スマートフォンが震える。
ミヤビ。
『昨日ありがとう』
続けて。
『来週も泊まりたい』
そして。
『大好き♡』
ユウキは笑った。
『俺も』
送信する。
それから。
机の上に数学の問題集を開いた。
来週も会える。
再来週も。
卒業しても。
大学生になっても。
そんな未来を。
当たり前のように信じていた。
けれど、その日の午後。
ミヤビは。
最後に残った一人との関係を終わらせるために、会いに行く。
そしてそこで。
彼女自身が一番恐れていた弱さに。
もう一度、負けることになる。
**ユウキだけの彼女になりたい。**
その願いと。
**誰かに捨てられるのが怖い。**
その依存が。
初めて真正面からぶつかる。
次の金曜日。
ユウキはまだ何も知らないまま。
笑顔でミヤビを部屋に迎えることになる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




