第1期 第6話 二人きりの部屋で
『俺の家とか?』
『……行きたい』
送ってしまってから。
仁科ミヤビは、その五文字を何度も読み返していた。
佐藤ユウキの部屋。
二人きり。
恋人になってから初めて迎える金曜日。
ただ遊びに行くだけ。
そう考えればいい。
なのに――。
『じゃあ金曜日、学校終わったら来る?』
『うん』
『散らかってても文句言うなよ』
『お掃除してあげよっか?』
『それは恥ずかしい』
『じゃあベッドの下も見るね』
『絶対やめろ』
思わず笑った。
『楽しみにしてる♡』
送信する。
スマートフォンを胸元に抱える。
「……金曜日」
最近。
一週間の中で、その曜日だけが特別になっていた。
*
そして金曜日。
午後四時十二分。
「……ここ?」
「ここ」
ユウキが住むマンションの前。
ミヤビは建物を見上げた。
「緊張してきた」
「来たいって言ったのミヤビだろ」
「それとこれは別」
「帰る?」
「帰らない」
即答だった。
エレベーターに乗る。
二人きり。
扉が閉まる。
ミヤビがそっとユウキの手を握った。
「どうした?」
「なんとなく」
指を絡める。
「誰もいないよ」
「だから?」
「……キスしてもいいよ」
「まだエレベーターだぞ」
「誰か乗ってくるまで」
「そういう問題か?」
ミヤビが笑う。
次の瞬間。
軽く背伸びをして、ユウキの頬に唇を触れさせた。
「はい、一回目」
「勝手に数え始めるな」
「今日は何回するかな」
「競技じゃないぞ」
エレベーターが止まる。
扉が開く。
ミヤビは何事もなかったように手を離した。
「案内してください、彼氏さん」
「急に他人行儀になるなよ」
「ふふ」
*
「お邪魔します」
玄関。
靴を揃えて。
ミヤビが部屋へ入る。
「……へえ」
「何?」
「男の子の部屋だ」
「そりゃ俺の部屋だからな」
「もっと散らかってると思ってた」
「どういうイメージだよ」
「ベッドの周りに服とか落ちてる感じ」
「昨日片付けた」
「やっぱり」
「言うな」
ミヤビが楽しそうに笑った。
部屋は広くない。
机。
本棚。
テレビ。
そして壁際にベッド。
ミヤビの視線がそこで一瞬止まった。
ユウキも気づく。
二人とも何も言わない。
「飲み物取ってくる」
「うん」
逃げるようにキッチンへ向かったユウキを見て。
ミヤビは小さく笑った。
「……かわいい」
*
最初の一時間は、本当に普通だった。
ジュースを飲む。
お菓子を食べる。
テレビを見る。
受験の話をする。
「志望校、やっぱりあそこ?」
「第一志望はな」
「私も受けようかな」
「ミヤビならもっと上狙えるだろ」
「大学って偏差値だけで選ぶものじゃないでしょ?」
「まあ」
「同じ大学だったら楽しいと思わない?」
言われて。
ユウキは少し想像した。
大学生になった二人。
授業終わりに待ち合わせて。
一緒に帰る。
「……楽しそう」
「でしょ?」
ミヤビが笑う。
その笑顔を見て。
ユウキは自然に思った。
卒業しても一緒にいたい、と。
けれど。
その未来を想像した瞬間。
ミヤビの胸には別の感情が生まれていた。
(その前に、ちゃんとしなきゃ)
他の関係。
終わらせなければいけない。
分かっている。
なのに。
怖くて踏み出せない。
*
午後六時。
二人はソファに並んで映画を見ていた。
最初は普通に座っていた。
十分後。
肩が触れた。
二十分後。
ミヤビがユウキの肩にもたれた。
三十分後。
ユウキの腕がミヤビの肩を抱いていた。
そして四十分後。
「……映画見てる?」
ユウキが尋ねる。
「見てるよ」
「さっきから俺の顔しか見てないけど」
「ユウキくんの方が面白い」
「それ褒めてる?」
「褒めてる」
ミヤビが顔を上げる。
視線が合う。
二人とも。
次に何をするのか分かっていた。
ユウキから顔を寄せる。
キス。
短く触れる。
離れる。
ミヤビが追いかける。
二度目。
「……映画」
「止めよっか」
「うん」
リモコンを取る。
画面が止まる。
部屋が静かになった。
「ユウキくん」
「なに?」
「もう一回」
三度目。
今度は少し長い。
離れたあと。
ミヤビはユウキの胸に頬を寄せた。
「心臓速い」
「誰のせいだよ」
「私?」
「他に誰がいる」
「私も速いよ」
ユウキの手を取る。
自分の胸元――ではなく、その少し上へ添える。
制服越しに伝わる鼓動。
「ほら」
「……ほんとだ」
「緊張してる」
「ミヤビでも?」
「するよ」
「慣れてそうなのに」
その一言。
ミヤビの表情が一瞬固まった。
「……どういう意味?」
「あ、いや。いつも余裕あるから」
「そっちか」
ほっとしたように笑う。
ユウキは気づかなかった。
*
「ねえ」
「ん?」
「ベッド座っていい?」
「なんでわざわざ聞くんだよ」
「彼氏のベッドだから」
「ソファと何が違うんだ」
「……意味が?」
ユウキが固まる。
ミヤビが吹き出した。
「冗談」
「お前な」
「顔真っ赤」
「うるさい」
ミヤビはベッドの端に腰掛けた。
ぽんぽん。
隣を叩く。
「来ないの?」
「行くけど」
ユウキも隣に座る。
さっきまでのソファより。
妙に距離を意識してしまう。
「ユウキくん」
「ん?」
「抱きしめて」
言われるまま。
腕を回す。
ミヤビも抱きつく。
「……あったかい」
「ミヤビ冷たいな」
「手?」
「うん」
「緊張してるからかも」
「そんなに?」
「だって」
耳元。
小さな声。
「好きな人のベッドにいるんだよ?」
言われた瞬間。
ユウキの鼓動が跳ねる。
「そういうこと言うなって」
「どうして?」
「意識する」
「してよ」
ミヤビが顔を上げた。
「彼女なんだから」
唇が重なる。
一度。
二度。
三度。
さっきより近い。
抱きしめたまま。
何度もキスを交わす。
「ミヤビ」
「ん……?」
「好き」
ミヤビの動きが止まった。
「……急に言うのずるい」
「言いたくなった」
「もう一回」
「好き」
ミヤビは嬉しそうに目を細める。
「私も」
そして。
「大好き」
今度はミヤビからキスをした。
*
どちらからだったのか分からない。
抱きしめ合ったまま体勢を崩して。
気づけば二人はベッドの上に横になっていた。
向かい合う。
距離は数センチ。
「……ユウキくん」
「うん」
「緊張してる?」
「めちゃくちゃ」
「私も」
「嘘だ」
「ほんと」
ミヤビがユウキの胸元をつまむ。
いつもの余裕のある笑顔ではなかった。
「キスして」
ユウキは彼女の頬に触れる。
ゆっくり顔を近づけた。
唇が重なる。
離れる。
額を寄せる。
また重なる。
「……もう一回」
「何回するんだよ」
「いっぱい」
「答えになってない」
「じゃあ」
ミヤビは笑った。
「数えられなくなるまで」
また唇が触れた。
ユウキの腕の中へ、ミヤビが身体を寄せる。
そのまましばらく。
二人は言葉を忘れた。
ただ抱きしめて。
時折、名前を呼んで。
またキスをする。
窓の外は、いつの間にか暗くなっていた。
*
午後八時四十七分。
「……そろそろ帰らないと」
ミヤビが言った。
けれど。
動かない。
ユウキの胸元に顔を埋めたままだ。
「帰る気ある?」
「ない」
「即答かよ」
「泊まりたい」
その一言で。
空気が変わった。
ユウキが黙る。
ミヤビも。
数秒。
「……冗談」
先にミヤビが笑った。
けれど。
少しだけ寂しそうだった。
「今日は帰る」
ベッドから起き上がる。
髪を整える。
「送るよ」
「うん」
立ち上がろうとしたユウキの袖を。
ミヤビがつまんだ。
「その前に」
「何?」
「最後」
「何が最後?」
答えの代わりに。
キス。
「今日最後のキス」
「……本当に?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
玄関まで行く。
靴を履く。
「じゃあね」
「駅まで送るって」
「うん」
ドアを開けようとして。
ミヤビが振り返った。
「やっぱりもう一回」
「最後って言っただろ」
「追加」
キス。
離れる。
二人で笑った。
*
駅のホーム。
電車が来るまで三分。
「ユウキくん」
「ん?」
「来週も部屋行っていい?」
「いいけど」
「ほんと?」
「毎週でも」
「……それ、本気にするよ?」
「いいよ」
ミヤビが嬉しそうに笑う。
電車が入ってくる。
扉が開く直前。
「ユウキくん」
「何?」
ミヤビが耳元に顔を寄せる。
「次は、もう少し長く一緒にいたい」
それだけ言って。
電車に乗った。
扉が閉まる。
ユウキはホームに取り残された。
「……もう少しってどのくらいだよ」
答えはなかった。
*
電車の中。
ミヤビはドアにもたれ、自分の唇に触れていた。
幸せだった。
ただ同じ部屋にいて。
話して。
抱きしめてもらって。
何度もキスして。
それだけで。
どうしようもないくらい満たされていた。
(ユウキくんだけでいい)
初めて。
そう思った。
だったら。
他の六人を終わらせればいい。
今ならできる。
ミヤビはスマートフォンを開く。
最初の相手。
『話したいことがある』
送信。
二人目。
同じ文章。
三人目。
そこで。
指が止まった。
返信が来る。
『別れ話?』
心臓が縮む。
別の相手からも。
『急にどうした?』
そして。
『俺、何かした?』
怖くなった。
嫌われる。
責められる。
一人になる。
昔から胸の奥に居座っていた恐怖が、一気に蘇る。
「……無理」
画面を閉じた。
二人には送れた。
けれど。
残り四人には送れなかった。
*
一方。
帰宅したユウキは。
ベッドを見つめていた。
さっきまで。
そこにミヤビがいた。
枕には長い黒髪が一本だけ残っている。
「……何やってんだ俺」
拾い上げてから。
さすがに気持ち悪いと思って捨てた。
ベッドへ倒れる。
天井を見る。
思い出す。
腕の中にいたミヤビ。
『大好き』
その声。
「……俺も好きだな」
もう疑う余地はなかった。
完全に。
仁科ミヤビに恋をしている。
*
翌週の金曜日。
ミヤビは再びユウキの部屋へやってきた。
今度は最初から。
二人とも先週より緊張していなかった。
映画を選んで。
夕食を一緒に作って。
皿を洗って。
ベッドに並んで座る。
そして。
当然のようにキスをした。
一度。
二度。
何度も。
やがてミヤビがユウキの肩に額を預ける。
「ねえ、ユウキくん」
「ん?」
「今日は……」
言葉が止まる。
「今日は?」
ミヤビは顔を上げる。
その表情には。
いつものからかうような笑顔がなかった。
「……帰りたくないって言ったら、困る?」
ユウキは答えられなかった。
時計の針だけが進む。
ミヤビの指が。
そっとユウキの手を握る。
「もう少しだけ」
小さな声。
「恋人らしく、一緒にいたい」
二人の距離が。
また縮まった。
その夜が。
二人にとって何を意味するのか。
まだユウキには分かっていなかった。
ただ。
次の金曜日を境に。
二人はもう、キスだけで顔を赤くしていた頃には戻れなくなる。
そして同時に。
ミヤビが抱えている秘密も。
少しずつ。
彼女自身では隠しきれないほど、大きくなり始めていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




