第3期 第1話 南イノリは、待っていた
四月。
大学二年生。
新しい講義。
新しい教室。
新しい時間割。
そして。
佐藤ユウキの隣には。
もう桜井アヤネはいない。
*
「ユウキ、おはよ!」
朝。
キャンパスの正門。
大西アグリが手を振る。
「おはよう」
「顔死んでる」
「朝一だから」
「ほんと?」
「ほんと」
「アヤネのこと考えてた?」
ユウキは。
少しだけ。
黙った。
「……ちょっと」
「そっか」
アグリは。
それ以上。
聞かなかった。
*
カナダへ行ったアヤネとは。
連絡を取っている。
毎日ではない。
でも。
数日に一度。
写真。
メッセージ。
時々。
ビデオ通話。
『雪すごい!』
『こっちまだ春』
『時差つらい』
『寝ろ』
『ユウキが冷たい』
『今そっち午前二時だぞ』
そんなやり取り。
以前より。
距離は遠い。
でも。
完全に切れたわけではない。
それが。
良いのか悪いのか。
まだ分からなかった。
*
「佐藤くん」
声。
振り返る。
南イノリ。
白いシャツ。
淡い色のカーディガン。
長い髪。
いつも通り。
静かな表情。
「おはようございます」
「おはよう」
「新学期初日から寝不足ですか?」
「分かる?」
「目の下」
「みんな俺の顔見すぎじゃない?」
「見ていますから」
「……え?」
イノリは。
一瞬止まる。
そして。
「人の顔は見て話すものです」
「そっちか」
「他に何が?」
「何でもない」
少しだけ。
イノリの耳が赤かった。
*
三人で。
講義室へ向かう。
「アグリ」
「ん?」
「時間割同じ?」
「午前は同じ」
「イノリは?」
「一限だけです」
「じゃあ二限別か」
「はい」
「寂しい?」
アグリが。
ニヤニヤしながら言う。
イノリは。
真顔で。
「少し」
答えた。
「え」
アグリが止まる。
ユウキも。
少し驚く。
「……何ですか?」
「いや」
アグリが。
イノリを見る。
「今年のイノリ、攻める?」
「何を?」
「なんでもない」
そのとき。
ユウキだけ。
意味が分かっていなかった。
*
講義。
教授。
黒板。
数式。
ユウキは。
久しぶりに。
集中できていた。
横。
イノリ。
ノートを取る。
十五分後。
小さな紙。
机の上。
『ここ分かりません』
ユウキは。
横を見る。
イノリは。
黒板を見たまま。
『あとで』
紙に書く。
戻す。
しばらくして。
もう一枚。
『今は?』
『授業中』
『先生より佐藤くんの方が分かりやすいです』
『聞け』
『嫌です』
『なんで』
『佐藤くんに教えてほしいので』
ユウキの手が。
止まった。
横を見る。
イノリは。
まだ。
黒板を見ている。
でも。
頬が。
少し赤い。
*
講義終了。
「イノリ」
「はい」
「今の」
「数学の質問ですね」
「違う」
「では何でしょう」
「……いや」
イノリが。
少し笑う。
「佐藤くん」
「何?」
「放課後」
「うん」
「教えてください」
「数学?」
「はい」
「ほんとに数学?」
「何だと思ったんですか?」
「何でもない」
「そうですか」
また。
笑った。
*
昼。
学食。
ユウキ。
アグリ。
イノリ。
三人。
アヤネの席だけ。
空いている。
「……なんか変」
アグリが言う。
「何が?」
「四人だったじゃん」
「そうだな」
「アヤネ、うるさかったし」
「それ本人に言え」
「もう言ってる」
「強い」
イノリは。
静かに。
空いた席を見る。
「でも」
「ん?」
「戻ってきたら」
小さく笑う。
「また四人ですね」
ユウキは。
その言葉を聞いて。
少しだけ。
胸が痛んだ。
*
戻ってきたら。
二年後。
自分たちは。
どうなっているのだろう。
*
「ユウキ」
アグリが言う。
「止まった」
「何が?」
「顔」
「また?」
「アヤネ?」
「……まあ」
「まだ好き?」
今度は。
アグリ。
遠慮しなかった。
ユウキは。
少し考える。
「好きだよ」
「そっか」
「でも」
「うん」
「前とは違う」
「どう違う?」
「分からない」
正直だった。
*
イノリは。
何も言わない。
でも。
箸を持つ手が。
少しだけ。
止まっていた。
*
放課後。
図書館。
二人。
ユウキと。
イノリ。
「ここ」
「はい」
「この式変形して」
「こう?」
「違う」
「……難しいです」
「高校の範囲だぞ」
「忘れました」
「またか」
「桜井さんみたいですね」
ユウキの動きが。
一瞬止まる。
イノリが。
すぐに。
「すみません」
「いや」
「言わない方がよかったですね」
「大丈夫」
「……ほんとに?」
「うん」
*
「イノリ」
「はい」
「アヤネと連絡取ってる?」
「時々」
「何話す?」
「秘密です」
「え」
「女同士なので」
「怖い」
「佐藤くんの悪口も」
「やめろ」
「冗談です」
「イノリも冗談言うんだな」
「失礼ですね」
少し。
空気が軽くなった。
*
勉強。
一時間。
二時間。
外。
夕方。
「今日はここまで」
「ありがとうございます」
「分かった?」
「半分」
「低い」
「でも」
イノリが。
ノートを閉じる。
「楽しかったです」
「数学が?」
「佐藤くんといた時間が」
また。
直球。
*
ユウキは。
言葉に詰まる。
「イノリ」
「はい」
「そういうこと」
「何ですか?」
「簡単に言う?」
「簡単ではないです」
イノリは。
ユウキを見る。
真っ直ぐ。
「ずっと言えなかったので」
ユウキの胸が。
小さく鳴った。
*
「……ずっと?」
「はい」
「いつから?」
イノリは。
少しだけ。
目を逸らした。
「一年生の春」
「そんな前?」
「はい」
「俺、アヤネと付き合ってた」
「知ってます」
「じゃあ」
「だから言いませんでした」
「……」
「恋人がいる人に告白する趣味はないので」
以前も。
聞いた言葉。
*
「でも今は」
イノリが言う。
「誰の恋人でもない」
「……」
「違いますか?」
「違わない」
「では」
少し。
頬を赤くして。
「少しくらい」
「うん」
「期待してもいいですか?」
*
ユウキは。
すぐに。
答えられなかった。
アヤネ。
ミヤビ。
過去。
そして。
今。
目の前。
イノリ。
*
「俺」
ユウキが言う。
「まだ」
「分かってます」
「何も言ってないけど」
「分かります」
「便利だな」
「見ているので」
今度は。
誤魔化さなかった。
*
「私は」
イノリは続ける。
「急ぎません」
「またそれ?」
「また?」
「アヤネも言ってた」
「……そうですか」
少しだけ。
複雑そう。
「でも」
「うん」
「私は私です」
その言葉。
前にも。
聞いた。
『私は桜井アヤネです』
胸の奥に。
少しだけ。
温かいものが生まれた。
*
図書館を出る。
並んで歩く。
駅。
夕方。
「佐藤くん」
「何?」
「一つお願いがあります」
「内容による」
「今度の日曜日」
「うん」
「二人で出かけませんか?」
「デート?」
ユウキが。
冗談半分で言った。
イノリは。
止まった。
*
そして。
「はい」
と答えた。
*
今度は。
ユウキが止まる。
「……はい?」
「デートです」
「本気?」
「本気です」
「俺、まだ」
「付き合ってほしいとは言いません」
「……」
「ただ」
イノリは。
少し笑う。
「一度くらい」
「うん」
「女の子として見てほしいです」
*
日曜日。
駅前。
ユウキは。
少し早く着いた。
五分。
十分。
「佐藤くん」
声。
振り返る。
*
そこに。
いつもとは。
違うイノリがいた。
淡いクリーム色のワンピース。
小さなバッグ。
髪も。
少しだけ。
いつもより整えている。
「……どうですか?」
「何が?」
「服」
「似合ってる」
イノリが。
目を丸くする。
「即答ですね」
「聞いたから」
「……ありがとうございます」
頬が赤い。
*
「今日はどこ?」
「水族館です」
「王道」
「調べました」
「何を?」
「デートスポット」
「本気だな」
「本気だと言ったでしょう」
「そうだった」
イノリが。
少し前を歩く。
そして。
振り返る。
「行きましょう」
ユウキは。
その後を。
追った。
*
水族館。
青い光。
大きな水槽。
魚。
「綺麗」
イノリが。
少しだけ。
子供みたいに笑う。
「魚好き?」
「好きです」
「知らなかった」
「言ってませんから」
「他に何好き?」
「数学は嫌いです」
「それは知ってる」
「甘いもの」
「普通」
「静かな場所」
「それも分かる」
「佐藤くん」
ユウキの足が。
止まる。
イノリは。
正面を向いたまま。
「今のは」
少しだけ。
耳が赤い。
「好きなものの続きです」
*
「……攻めるな」
「一年待ちましたから」
「アヤネ出国してまだ一週間くらいだぞ」
「告白はしてません」
「十分近い」
「嫌ですか?」
ユウキは。
答える。
「嫌じゃない」
イノリは。
少しだけ。
嬉しそうに笑った。
*
クラゲの水槽。
青い光。
二人。
並んで座る。
「綺麗ですね」
「うん」
「佐藤くん」
「何?」
「今日は」
「うん」
「桜井さんのこと考えました?」
直球。
ユウキは。
少し驚く。
「考えた」
「何回くらい?」
「数えてない」
「そうですか」
「嫌?」
「嫌です」
即答。
「でも」
「うん」
「仕方ないです」
イノリは。
水槽を見る。
「私は」
「うん」
「桜井さんに勝ちたいわけではありません」
「……」
「仁科さんにも」
ユウキが。
目を向ける。
*
「誰から」
「桜井さんから少し聞きました」
「……そっか」
「詳しくは聞いてません」
「うん」
「でも」
イノリは。
ユウキを見る。
「過去の人に勝って」
「うん」
「私を選んでほしいわけじゃないです」
「じゃあ?」
「今の私を見て」
少し。
声が震える。
「今の私を好きになってほしいです」
*
ユウキは。
何も言えなかった。
ただ。
目の前の。
南イノリを見る。
静かで。
冷静で。
でも。
思ったよりずっと。
真っ直ぐで。
怖がりで。
頑張っている。
*
帰り。
夕方。
駅まで。
並んで歩く。
「今日はありがとう」
ユウキが言う。
「こちらこそ」
「楽しかった」
イノリの歩みが。
止まる。
「……ほんとですか?」
「ほんと」
「社交辞令では?」
「違う」
「そうですか」
そして。
小さく。
「よかった」
と言った。
*
駅前。
「じゃあ」
イノリが。
少しだけ。
迷う。
「また」
「うん」
「デートしてくれますか?」
ユウキも。
少し考えて。
「いいよ」
イノリの目が。
明るくなる。
「ほんと?」
「ほんと」
「では」
手を差し出す。
「次まで」
「何?」
「握手」
「なんで?」
「今日はここまで」
「区切り?」
「はい」
ユウキも。
手を出す。
*
握る。
ただの。
握手。
なのに。
イノリの手は。
少し震えていた。
「緊張してる?」
「……してません」
「震えてる」
「気のせいです」
「そういうことにしとく」
手を離す。
イノリは。
ほんの少し。
名残惜しそうだった。
*
その夜。
スマートフォン。
アヤネから。
『今日何してた?』
ユウキの指が。
止まる。
嘘をつく理由は。
ない。
『イノリと水族館』
既読。
しばらく。
返信なし。
*
そして。
『デート?』
ユウキは。
正直に。
『たぶん』
送る。
*
一分。
二分。
五分。
*
『そっか』
*
続けて。
『楽しかった?』
*
『楽しかった』
*
既読。
長い沈黙。
そして。
『よかった』
*
最後。
『約束したもんね』
『私を待たないでって』
*
ユウキは。
その文章を。
長く見つめた。
*
遠いカナダ。
アヤネは。
スマートフォンを。
胸元へ抱いていた。
「……よくないよ」
一人。
小さく。
呟く。
涙。
一滴。
*
一方。
日本。
イノリのスマートフォン。
メッセージ。
ユウキから。
『今日はありがとう』
続けて。
『また行こう』
*
イノリは。
ベッドの上で。
その文章を。
何度も。
読み返した。
そして。
初めて。
枕へ顔を埋めて。
声を殺して。
笑った。
*
まだ。
恋人ではない。
手も。
握手しかしていない。
キスなんて。
遠い。
それでも。
南イノリにとって。
一年間。
閉じたままだった恋が。
ようやく。
動き始めた。
次のデート。
イノリは。
ユウキの手を。
握手ではなく。
恋人みたいに繋ぎたい
と。
初めて。
願うことになる。
第3期 第1話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




