第2期 第13話 さよならの代わりに
十二月。
桜井アヤネの留学が、正式に決まった。
出発は三月二十六日。
カナダへ。
二年間。
そして。
佐藤ユウキと桜井アヤネは。
もう恋人ではない。
*
「……寒い」
大学の中庭。
アヤネが白い息を吐く。
「十二月だからな」
「ユウキ、手」
「何?」
「寒い」
「ポケット入れれば」
「そうじゃなくて」
アヤネが。
じっと見る。
ユウキも意味は分かっていた。
「……もう恋人じゃないだろ」
「分かってる」
「じゃあ」
「今日だけ」
「昨日も言ってた」
「昨日は昨日。今日は今日」
「毎日使えるじゃん」
「気づいた?」
アヤネが笑う。
ユウキも。
つられて笑った。
でも。
手は繋がなかった。
*
別れてから一か月。
二人は。
不思議な関係になっていた。
大学では話す。
四人で食事もする。
二人で帰る日もある。
でも。
キスはしない。
抱きしめない。
手も繋がない。
恋人だった頃なら。
当たり前だったこと。
一つ一つに。
見えない線が引かれている。
*
昼休み。
「本当に別れたの?」
アグリが。
何度目か分からない質問をする。
「別れた」
ユウキが答える。
「でも一緒にいる」
「友達だから」
「アヤネ?」
「何?」
「ユウキ好き?」
「好き」
即答。
「ユウキ?」
「……好き」
「何なのこの二人!」
アグリが机に突っ伏す。
イノリは。
静かにお茶を飲んでいた。
*
「だったら付き合ってればいいじゃん」
「それはしない」
アヤネが言う。
「なんで?」
「決めたから」
「二年間?」
「自由にする」
「好きなのに?」
「うん」
「意味分かんない」
「私も分かんない」
アヤネが。
笑う。
でも。
その笑顔は。
少しだけ苦しそうだった。
*
イノリが。
初めて口を開く。
「桜井さん」
「ん?」
「後悔していますか?」
アヤネは。
しばらく考えた。
「別れたこと?」
「はい」
「……してる」
ユウキの胸が。
少し痛む。
「毎日してる」
「アヤネ」
「でも」
アヤネは。
ユウキを見る。
「留学を諦めなくてよかったとも思ってる」
「……うん」
「だから」
笑う。
「これでいいんだと思う」
誰も。
それ以上。
何も言えなかった。
*
一月。
試験期間。
図書館。
「分かんない」
アヤネが言う。
「どこ?」
「全部」
「一年間何してたんだ」
「恋愛」
「勉強しろ」
「したよ」
「数学六十四点」
「昔の話は禁止」
「半年くらい前だろ」
「過去は振り返らない主義です」
「留学先で単位落とすぞ」
「それは困る」
「じゃあ解け」
いつもの。
二人。
机の上。
参考書。
ノート。
シャープペンシル。
*
「ねえ」
アヤネが。
突然。
笑った。
「何?」
「私たちって」
「うん」
「数学から始まったね」
ユウキの手が止まる。
「そうだな」
「大学で最初に勉強教えてもらった日」
「アヤネ全然聞いてなかったけど」
「ユウキ見てた」
「それが駄目なんだよ」
「でも彼女になれた」
「もう元彼女」
「……そうだった」
一瞬。
空気が止まる。
*
「ごめん」
ユウキが言う。
「なんでユウキが謝るの」
「言わなくてよかった」
「いいよ」
アヤネは。
問題集へ視線を戻す。
「慣れないと」
「何に?」
「元カノって呼ばれること」
その声は。
小さかった。
*
二月。
出発まで。
あと一か月。
アヤネは。
少しずつ忙しくなった。
手続き。
荷造り。
語学研修。
大学との打ち合わせ。
会える時間も。
減った。
*
午後十一時。
ユウキのスマートフォン。
『起きてる?』
アヤネ。
『起きてる』
『電話していい?』
『いいよ』
すぐ。
着信。
*
『もしもし』
「うん」
『……何してた?』
「数学」
『また数学』
「大学生だからな」
『私は荷造り』
「終わった?」
『全然』
「三月まである」
『あと一か月しかない』
沈黙。
あと一か月。
その言葉が。
二人を黙らせる。
*
『ユウキ』
「何?」
『寂しい?』
「寂しい」
『即答』
「嘘つく意味ないだろ」
『……そっか』
「アヤネは?」
『めちゃくちゃ寂しい』
「そっか」
『ねえ』
「うん」
『会いたい』
ユウキは。
目を閉じた。
「俺も」
*
翌日。
二人は。
以前よく行った公園で会った。
冬の夕方。
ベンチ。
アヤネ。
ユウキ。
「久しぶり」
「四日ぶり」
「長い」
「恋人の頃は毎日言ってたな」
「……うん」
また。
余計なことを言った。
「ごめん」
「謝らないで」
アヤネは。
前を向いたまま。
「思い出まで禁止したら」
「うん」
「私たち、何も残らないじゃん」
*
「ねえ」
アヤネが言う。
「一個だけ聞いていい?」
「何?」
「今」
少しだけ。
怖そうな顔。
「好きな人いる?」
「……いる」
アヤネの顔が。
固まった。
「誰?」
ユウキは。
横を見る。
「アヤネ」
数秒。
アヤネは。
何も言わなかった。
そして。
「……馬鹿」
涙を拭った。
*
「期待するじゃん」
「ごめん」
「謝らないでって」
「でも」
「私も」
アヤネが。
ユウキを見る。
「好きな人いる」
「……誰?」
「佐藤ユウキ」
二人とも。
笑った。
泣きそうなのに。
笑った。
*
「ね」
アヤネが。
手を差し出す。
「今日だけ」
「……」
「お願い」
ユウキは。
その手を見る。
そして。
握った。
冷たい。
懐かしい。
「温かい」
「冷たいだろ」
「ユウキの手は温かい」
「アヤネが冷たいんだよ」
「じゃあ温めて」
「今日だけな」
「うん」
嘘だった。
二人とも。
今日だけでは。
終われないことを知っていた。
*
三月。
卒業式のない春。
大学一年目が。
終わろうとしていた。
*
三月二十五日。
出発前夜。
アヤネから。
メッセージ。
『最後に会いたい』
ユウキは。
『どこ?』
と返した。
返事。
『ユウキの家』
*
午後七時。
インターホン。
扉を開ける。
アヤネ。
「……お邪魔します」
「うん」
久しぶり。
恋人だった頃。
何度も。
この玄関で。
『ただいま』
と言った。
今日は。
言わなかった。
*
夕食。
二人で。
パスタを作った。
「玉ねぎ」
「泣く」
「切る前から?」
「明日思い出した」
「……そっちか」
「うん」
結局。
二人とも。
少し泣いた。
*
食後。
ソファ。
昔見た。
ホラー映画を流す。
「これ覚えてる?」
「アヤネが怖がって抱きついてきたやつ」
「怖がってない」
「今さら否定?」
「演出が卑怯だった」
「まだ言う?」
二人で笑う。
でも。
途中から。
映画なんて。
誰も見ていなかった。
*
「ユウキ」
「うん」
「明日」
「うん」
「空港来る?」
「行く」
「絶対?」
「行くよ」
「……よかった」
沈黙。
そして。
アヤネが。
ユウキの肩へ。
頭を預けた。
「アヤネ」
「今日だけ」
「それ便利すぎる」
「最後だから」
その言葉。
痛かった。
*
「ねえ」
「うん」
「抱きしめていい?」
ユウキは。
少し迷って。
「……いいよ」
アヤネが。
腕を回す。
ユウキも。
抱きしめ返す。
久しぶりの。
体温。
香り。
距離。
*
「ユウキ」
「うん」
「私」
胸元から。
声がする。
「留学、楽しみなの」
「いいことだろ」
「怖いけど」
「うん」
「勉強したい」
「うん」
「友達も作りたい」
「作れ」
「いろんなところ行きたい」
「行ってこい」
「……だから」
アヤネは。
顔を上げる。
「行ってくるね」
ユウキは。
笑った。
「行ってらっしゃい」
まだ。
一日早い。
でも。
言いたかった。
*
アヤネの目から。
涙。
「泣くなよ」
「無理」
「明日も泣く?」
「絶対」
「じゃあ今日は我慢」
「無理」
「即答」
「だって」
アヤネが。
ユウキの服を握る。
「好きなんだもん」
「……うん」
「まだ大好きなんだもん」
「俺も」
その言葉のあと。
二人とも。
動けなくなった。
*
アヤネが。
ユウキを見る。
「最後に」
「……」
「キスしたい」
ユウキは。
目を閉じた。
一度だけ。
そう思った。
でも。
アヤネの目を見る。
「一回だけ」
「うん」
約束。
*
唇が。
触れる。
短く。
柔らかく。
恋人だった頃と。
同じ。
でも。
意味だけが違う。
離れる。
アヤネが。
目を閉じたまま。
「……もう一回」
「一回って言った」
「ごめん」
「……」
「でも」
目を開く。
「無理だった」
ユウキは。
困ったように笑った。
「俺も」
二度目。
*
それから。
何度か。
唇を重ねた。
長い別れの前に。
言葉だけでは足りない気持ちを。
確かめるように。
それ以上は。
進まなかった。
ただ。
抱きしめて。
離れて。
また。
抱きしめた。
*
午前零時。
「帰る」
アヤネが言った。
「泊まらないの?」
思わず。
聞いてしまった。
アヤネは。
少し驚く。
そして。
寂しそうに笑った。
「泊まったら」
「うん」
「明日の朝」
「……」
「離れられなくなるから」
ユウキは。
何も言えなかった。
*
玄関。
靴を履く。
「じゃあ」
「明日」
「うん」
「空港で」
「うん」
扉。
開く。
「ユウキ」
「何?」
「今日は」
笑う。
「おやすみのキス、ないの?」
「さっき何回したんだよ」
「別枠」
「懐かしいな、その理屈」
「最後だから」
ユウキは。
額に。
軽くキスした。
「おやすみ」
アヤネが。
泣きそうに笑った。
「おやすみ」
*
翌日。
空港。
アグリ。
イノリ。
ユウキ。
三人。
「まだ?」
アグリが。
落ち着かない。
「搭乗二時間前だろ」
「分かってるけど」
イノリは。
静かに。
出発案内を見ていた。
*
「みんな!」
声。
振り返る。
大きなスーツケース。
アヤネ。
家族と一緒。
「アヤネ!」
アグリが。
真っ先に抱きついた。
「行かないで!」
「昨日応援するって言ったじゃん!」
「今は別!」
「何それ!」
二人。
泣きながら笑う。
*
イノリ。
「桜井さん」
「イノリ」
「頑張ってください」
「うん」
「連絡してください」
「もちろん」
「……元気で」
「イノリも」
二人。
抱きしめ合う。
*
そして。
最後。
ユウキ。
「……よ」
「何それ」
「何言えばいいか分かんない」
「私も」
二人。
笑う。
周りに。
人がいる。
家族も。
友達も。
だから。
少しだけ。
距離がある。
*
「二年間」
アヤネが言う。
「うん」
「長いね」
「長い」
「でも」
「うん」
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
アヤネの目に。
涙。
でも。
今日は。
笑った。
*
「ユウキ」
「何?」
「一個」
「うん」
「約束してほしい」
「どんな?」
アヤネは。
一度。
アグリと。
イノリを見る。
そして。
ユウキへ視線を戻す。
*
「私を待たないで」
*
ユウキの表情が。
止まる。
「……え?」
「待たないで」
「昨日までと話違うだろ」
「昨日考えた」
「アヤネ」
「二年間」
声が震える。
「ユウキも自由でいて」
「……」
「好きな人ができたら」
「……」
「付き合って」
ユウキは。
何も言えない。
*
「それが」
アヤネは。
泣きながら笑う。
「アグリでも」
アグリが。
目を見開く。
「イノリでも」
今度は。
イノリが。
息を止める。
「誰でも」
アヤネは続ける。
「私に遠慮しないで」
*
「なんで」
ユウキが聞く。
「そんな約束」
「だって」
アヤネは。
胸元を押さえる。
「私だけ夢を追いかけて」
「……」
「ユウキだけ二年間止まってるなんて」
首を横に振る。
「嫌だから」
*
「でも」
「お願い」
「俺はまだ」
「知ってる」
「アヤネが好きだ」
「知ってるよ」
涙が。
落ちる。
「私も大好き」
それでも。
言う。
「だから」
アヤネは。
手を差し出す。
「約束して」
*
長い。
沈黙。
ユウキは。
その手を見る。
そして。
握った。
「……分かった」
「ほんと?」
「でも」
「何?」
「アヤネも」
「うん」
「俺を待つな」
アヤネの顔が。
歪む。
「向こうで」
「……うん」
「好きな人ができたら」
言いたくない。
それでも。
言う。
「幸せになれ」
*
「……馬鹿」
「お互い様」
「そんな約束」
「最初に言ったのアヤネ」
「取り消したい」
「早いな」
二人。
泣きながら。
笑った。
*
搭乗案内。
時間。
「行かなきゃ」
「うん」
「ユウキ」
「何?」
アヤネが。
一歩。
近づく。
そして。
周囲なんて。
気にせず。
抱きついた。
*
「ありがとう」
「何が」
「全部」
「……」
「彼女にしてくれて」
「うん」
「いっぱい好きって言ってくれて」
「うん」
「いっぱいキスしてくれて」
「……うん」
「大切にしてくれて」
ユウキも。
腕を回した。
「俺も」
「何?」
「ありがとう」
*
アヤネが。
離れる。
顔を見る。
「最後」
「昨日も言ってた」
「今日が本当の最後」
「……うん」
アヤネが。
目を閉じる。
ユウキは。
頬へ触れる。
そして。
最後のキス。
*
短かった。
でも。
離れたあとも。
二人とも。
しばらく。
目を開けなかった。
*
「……行ってきます」
「行ってらっしゃい」
アヤネが。
背を向ける。
歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
振り返る。
「ユウキ!」
「何!」
「大好き!」
周囲。
何人かが見る。
ユウキは。
もう気にしなかった。
「俺も大好きだ!」
アヤネが。
泣きながら。
笑った。
*
そして。
今度こそ。
歩いていく。
振り返らない。
ユウキも。
追わなかった。
その背中が。
見えなくなるまで。
ただ。
見送った。
*
「……行っちゃった」
アグリが。
泣いている。
「はい」
イノリも。
目元を拭う。
ユウキは。
何も言わなかった。
*
スマートフォン。
一件。
アヤネから。
『飛行機乗ったら見る用』
その下。
長い文章。
でも。
最後だけ。
先に見えた。
『二年後、また笑って会おうね』
*
ユウキは。
返信する。
『うん』
少し考えて。
もう一つ。
『行ってらっしゃい、アヤネ』
*
飛行機が。
空へ上がる。
一つの恋が。
終わった。
嫌いになったからではない。
裏切ったからでもない。
好きなまま。
二人は。
別々の未来を選んだ。
*
空港からの帰り。
電車。
アグリは途中で降りた。
残ったのは。
ユウキと。
イノリ。
*
「佐藤くん」
「ん?」
「大丈夫ですか?」
「……全然」
ユウキは。
笑った。
「全然、大丈夫じゃない」
「そうですか」
「でも」
窓の外を見る。
「これでいい」
「……はい」
沈黙。
*
しばらくして。
電車が揺れた。
ユウキの身体が。
少し傾く。
イノリが。
反射的に。
ユウキの袖を掴んだ。
「あ」
すぐ離す。
「すみません」
「いや」
また。
沈黙。
*
イノリは。
窓へ視線を向けた。
その頬は。
ほんの少しだけ。
赤かった。
アヤネが残した。
『私を待たないで』
という約束。
それは。
ユウキを自由にするための言葉だった。
そして同時に。
ずっと気持ちを隠していた。
南イノリにとって。
決して望んではいけないと思っていた扉が。
ほんの少しだけ。
開いた瞬間でもあった。
けれど。
今はまだ。
誰も。
その扉を開けない。
ユウキの隣に。
アヤネの思い出が残っている限りは。
――そして、春。
大学二年生。
新しい一年が始まる。
次にユウキの心を動かすのは。
いつも静かに。
誰より近くで彼を見ていた少女。
南イノリ。
第2期 第13話 了
――第2期『さよならの代わりに、君の未来を選んだ』完――
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




