第2期 第12話 好きだから、別れる
「……二年」
桜井アヤネの手の中で、通知書が震えていた。
交換留学特別プログラム。
期間。
二年間。
カナダ。
帰国予定は大学四年の春。
「ユウキ」
「うん」
「私……行きたい」
佐藤ユウキは、胸の奥を強く締めつけられた。
それでも。
笑った。
「うん」
そして。
言った。
「行ってこい」
その瞬間。
アヤネは。
泣きながらユウキへ抱きついた。
*
「……ほんとに?」
「うん」
「二年だよ?」
「分かってる」
「一年じゃないんだよ?」
「読んだから分かる」
「長いよ」
「長いな」
「会えないよ」
「帰国は?」
「プログラムによっては……ほとんど」
「そっか」
ユウキの服を。
アヤネの指が強く掴む。
「なんでそんなに平気なの」
「平気じゃない」
「嘘」
「嘘じゃない」
ユウキは。
アヤネの背中に腕を回した。
「めちゃくちゃ嫌だよ」
「……」
「行ってほしくないって思ってる」
「じゃあ言ってよ」
「言わない」
「なんで!」
アヤネが顔を上げる。
涙。
怒り。
寂しさ。
全部混ざっていた。
*
「私」
アヤネが言う。
「ユウキに『行かないで』って言われたら」
「うん」
「たぶん行けない」
「だから言わない」
「……ずるい」
「ずるくていい」
「よくない!」
「じゃあ聞くけど」
ユウキは。
真っ直ぐ見る。
「行かなかったら後悔しない?」
「……」
答えがない。
「俺と一緒にいるために諦めて」
「……」
「五年後、十年後」
「やめて」
「本当に後悔しない?」
「やめてよ……」
アヤネが。
胸へ顔を埋めた。
「そんなの」
声が震える。
「分かんないよ」
*
その日の夜。
二人は。
ユウキの部屋にいた。
夕食は。
ほとんど喉を通らなかった。
テレビもつけない。
音楽も流さない。
ソファ。
二人で並んで。
手だけ。
繋いでいた。
*
「ねえ」
アヤネが言う。
「一年のときは」
「うん」
「待ってるって言ってくれたよね」
「言った」
「二年なら?」
ユウキは。
答えようとする。
でも。
言葉が。
出なかった。
「……待てない?」
アヤネの声。
小さい。
「違う」
「じゃあ」
「怖いんだよ」
初めて。
口にした。
*
「二年」
ユウキは言う。
「俺たち、大学一年だろ」
「うん」
「帰ってくる頃には四年」
「……うん」
「向こうで生活ができる」
「うん」
「友達もできる」
「うん」
「やりたいことも変わるかもしれない」
「……」
「俺だって変わるかもしれない」
アヤネの手が。
強く握る。
「変わらないよ」
「分からない」
「私は変わらない」
「今はそう思ってても」
「ユウキ!」
悲鳴に近かった。
*
「なんでそんなこと言うの」
「現実だから」
「嫌いになるってこと?」
「違う」
「じゃあ何!」
「好きだから怖いんだよ!」
今度は。
ユウキの声が響いた。
アヤネが。
黙る。
「俺だって」
ユウキは。
拳を握る。
「信じたいよ」
「……」
「二年間待って」
「うん」
「帰ってきたアヤネとまたこうして」
繋いだ手を見る。
「笑いたい」
「だったら」
「でも」
ユウキの頭には。
嫌でも。
過去が浮かんでしまう。
*
金曜日。
ミヤビ。
七股。
知らなかった時間。
知らなかった男。
知らなかった顔。
*
「……また?」
アヤネが。
小さく聞いた。
「え?」
「ミヤビさんのこと」
「……」
「思い出してる?」
ユウキは。
否定できなかった。
アヤネは。
ゆっくり。
手を離した。
*
「私」
アヤネが言う。
「ミヤビさんじゃないよ」
「分かってる」
「浮気しない」
「分かってる」
「じゃあ信じて」
「信じてる」
「信じてない!」
アヤネが立ち上がる。
「本当に信じてたら」
涙。
「二年くらい待てるって言ってよ!」
「アヤネ」
「言ってよ!」
ユウキは。
立ち上がった。
「……待つ」
「……」
「待つよ」
「本当に?」
「うん」
「絶対?」
その言葉に。
また。
答えが止まった。
*
絶対。
そんなものが。
この世界にあるのか。
高校三年の頃なら。
言えたかもしれない。
でも。
今は。
「……絶対とは言えない」
アヤネの表情が。
消えた。
*
「そっか」
「アヤネ」
「分かった」
「待って」
「今日は帰る」
「この時間に?」
「帰る」
「送る」
「一人がいい」
鞄。
玄関。
「アヤネ」
「来ないで」
「でも」
「お願い」
振り返った。
泣いていた。
「今ユウキに優しくされたら」
唇を噛む。
「行けなくなるから」
扉が。
閉じた。
*
三日。
二人は。
会わなかった。
連絡も。
必要最低限。
『おはよう』
『おやすみ』
それだけ。
好き。
その言葉さえ。
どちらも送れなかった。
*
「喧嘩?」
アグリが聞く。
昼休み。
「……まあ」
「留学?」
「なんで知ってる」
「アヤネから」
「そっか」
アグリは。
珍しく。
何も茶化さなかった。
「ユウキ」
「何?」
「行ってほしくない?」
「……行ってほしくない」
即答だった。
「でも行ってほしい」
「矛盾してる」
「分かってる」
「好き?」
「好き」
「じゃあ」
アグリは。
少し考える。
「別れなきゃいいじゃん」
「簡単に言うな」
「簡単じゃないよ」
アグリは。
少し寂しそうに笑う。
「好きな人に彼女がいても諦めるの、大変だったし」
「……ごめん」
「それはもういい」
アグリは。
ユウキの額を。
指で軽く弾いた。
「二年後なんて誰にも分かんない」
「うん」
「だったら」
「……」
「今日好きなら、今日好きでいればいいじゃん」
*
その夜。
ユウキは。
アヤネへメッセージを送った。
『会いたい』
すぐには。
返事がない。
三十分。
一時間。
そして。
『私も』
その四文字だけで。
胸が痛くなった。
*
翌日。
二人が。
初めてデートした公園。
アヤネは。
先に待っていた。
「……久しぶり」
「三日だけど」
「長かった」
「俺も」
「座ろ」
「うん」
ベンチ。
少しだけ。
距離がある。
*
「考えた」
アヤネが言った。
「私も」
ユウキが言う。
「先に言って」
「アヤネから」
「じゃんけんする?」
「こういう時に?」
「こういう時だから」
二人。
少し笑った。
久しぶりに。
同じタイミングで。
*
「私ね」
アヤネが。
先に話した。
「留学したい」
「うん」
「二年間」
「うん」
「行きたい」
「分かった」
「でも」
膝の上。
拳を握る。
「ユウキとも別れたくない」
「……うん」
「欲張りかな」
「普通だろ」
「じゃあ」
アヤネが。
ユウキを見る。
「遠距離しよう」
予想していた言葉。
なのに。
胸が苦しくなった。
*
「毎日連絡する」
「うん」
「ビデオ通話する」
「うん」
「長期休暇は会えるようにする」
「うん」
「二年間」
アヤネは。
必死だった。
「頑張ろう」
ユウキは。
その顔を見る。
そして。
気づいてしまった。
アヤネは。
夢を語っている顔ではない。
怖がっている。
二年間。
恋人でいなければ。
ユウキを失う。
その恐怖に。
縛られている。
*
「アヤネ」
「何?」
「向こう行ったら」
「うん」
「俺のこと気にしないで楽しめる?」
「え?」
「友達と遊ぶとき」
「……」
「男友達できたら」
「作らない」
「それは違うだろ」
「じゃあ二人では会わない」
「アヤネ」
「毎日ちゃんと連絡する」
「そうじゃない」
「浮気もしない!」
「分かってる!」
「じゃあ何!」
また。
同じところ。
*
ユウキは。
深く息を吐いた。
そして。
一番。
言いたくなかったことを。
言った。
「……別れようか」
*
風。
木々の音。
アヤネは。
動かなかった。
「……え?」
「一回」
「何言ってるの?」
「聞いて」
「嫌」
「アヤネ」
「嫌!」
アヤネが。
ユウキの腕を掴む。
「なんで!」
「自由に行ってほしいから」
「そんなのいらない!」
「アヤネ」
「私、ユウキがいい!」
涙が。
溢れる。
「二年間だって待っててほしい!」
「俺も待ちたいよ!」
「じゃあ!」
「でも!」
ユウキは。
アヤネの手を。
握った。
「約束で縛りたくない」
*
「向こうで」
ユウキが言う。
「アヤネが何を見て」
「……」
「誰と会って」
「……」
「何をしたいと思うのか」
「……」
「それを俺への罪悪感で決めてほしくない」
アヤネが。
首を横に振る。
「そんなの」
「うん」
「別れる理由にならない」
「俺にとってはなる」
「ずるい」
「うん」
「逃げてる」
「……そうかもしれない」
「私が怖いんじゃなくて」
アヤネは。
涙を流したまま。
言った。
「また裏切られるのが怖いだけでしょ」
*
刺さった。
否定できない。
「……うん」
ユウキは。
認めた。
「怖い」
アヤネの目が。
揺れる。
「でも」
「……」
「それだけじゃない」
ユウキも。
泣きそうだった。
「アヤネの夢を」
声が震える。
「俺のせいで、小さくしてほしくない」
*
長い。
沈黙。
そして。
アヤネが。
聞いた。
「好き?」
「好き」
「今も?」
「大好き」
「だったら」
涙を拭う。
「最後に」
立ち上がる。
ユウキの前。
「ちゃんと抱きしめて」
*
ユウキも。
立った。
アヤネを。
抱きしめる。
強く。
今までで。
一番。
「……痛い」
「ごめん」
「嘘」
アヤネの腕も。
強くなる。
「もっと」
「アヤネ」
「もっと抱きしめて」
離れたくない。
それが。
二人とも。
分かっていた。
*
「ユウキ」
「うん」
「キスして」
ユウキは。
一瞬。
迷った。
「最後だから」
「……」
「お願い」
頬へ。
手を添える。
アヤネが。
目を閉じる。
唇が。
重なる。
*
一度。
離れる。
アヤネが。
首を横に振る。
「まだ」
二度目。
「まだ」
三度目。
涙の跡。
震える息。
四度目。
「……アヤネ」
「今日だけ」
五度目。
「今日だけは」
六度目。
「数えないから」
もう。
何回目か。
分からなくなった。
*
キスをするたび。
終わりに近づく。
だから。
離せない。
でも。
永遠に。
こうしていることもできない。
最後。
額を合わせる。
アヤネが。
泣きながら笑った。
「初めて」
「何?」
「キスしたくないって思った」
「……なんで」
「これが最後になるから」
ユウキは。
答えられなかった。
*
「ユウキ」
「うん」
「二年後」
「うん」
「私が帰ってきて」
「……」
「まだ好きだったら」
アヤネは。
震える声で言った。
「もう一回、好きって言っていい?」
ユウキは。
目を閉じた。
そして。
「もちろん」
と答えた。
*
「ユウキも」
「何?」
「もし」
アヤネが。
無理に笑う。
「私じゃない人を好きになったら」
「……」
「ちゃんと幸せになって」
「アヤネ」
「約束」
小指。
ユウキは。
なかなか。
出せなかった。
でも。
最後には。
絡めた。
「アヤネも」
「……うん」
「向こうで好きな人ができたら」
「できない」
「それでも」
「……うん」
「自分を責めるな」
「分かった」
指切り。
それが。
恋人として。
最後の約束になった。
*
帰り道。
駅まで。
手を繋いだ。
恋人だから。
最後まで。
改札前。
アヤネが。
手を離す。
「じゃあね」
「うん」
「……元彼」
「もう?」
「言ってみただけ」
「どう?」
「最悪」
「俺も」
二人で。
泣きながら笑った。
*
「ユウキ」
「ん?」
「大好きだった」
過去形。
胸が。
壊れそうになる。
ユウキも。
答える。
「俺も」
でも。
最後だけは。
過去形にできなかった。
「大好きだよ」
アヤネの顔が。
ぐしゃぐしゃになった。
「馬鹿」
「ごめん」
「謝らないで」
「うん」
「じゃあね」
「うん」
アヤネは。
改札を通る。
一度。
振り返る。
笑う。
そして。
今度こそ。
歩いていった。
*
その夜。
ユウキは。
一人のベッドで。
眠れなかった。
隣。
誰もいない。
いつも。
アヤネがいた場所。
『もうちょっと近く』
『手繋いで』
『おはようのキス』
『大好き』
全部。
残っている。
ユウキは。
空いた場所へ。
手を伸ばす。
当然。
何もない。
「……きついな」
初めて。
自分から別れを選んだ。
こんなに。
痛いとは。
思わなかった。
*
同じ夜。
アヤネも。
自分の部屋で。
眠れなかった。
スマートフォン。
ユウキとのトーク。
消せない。
写真。
消せない。
二人で撮った。
夏祭り。
映画。
カフェ。
全部。
残っている。
最後のメッセージ。
ユウキから。
『家着いた?』
恋人では。
もうない。
それでも。
心配している。
アヤネは。
泣きながら。
『着いた』
と返した。
すぐ。
『よかった』
それだけ。
*
そして。
十二月。
アヤネの留学が。
正式に決まった。
出発は。
翌年三月。
あと三か月。
恋人ではない。
でも。
まだ。
互いを好きな二人。
残された時間を。
どう過ごすのか。
そして。
第2期の最後。
空港で。
アヤネがユウキへ告げる。
誰にも話していなかった。
「もう一つの約束」。
それが。
二年後。
ユウキと南イノリの恋を。
大きく揺らすことになる。
第2期 第12話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




