第2期 第9話 花火が消えたあとも
「今日、帰りたくない」
花火の音が、夜空を震わせた。
浴衣姿の桜井アヤネは、佐藤ユウキの胸元へ手を添えたまま、逃げずに見つめている。
意味は。
分かっていた。
だからこそ。
簡単には答えられなかった。
「……アヤネ」
「うん」
「それって」
「分かってる」
頬は赤い。
それでも。
視線は逸らさない。
「ユウキと、もっと近くなりたい」
花火が開く。
一瞬だけ。
アヤネの顔が明るく照らされた。
*
「無理しなくていい」
ユウキが言った。
アヤネは少し驚く。
「無理してない」
「雰囲気とか」
「違う」
「俺に気を遣ってるとか」
「違うよ」
アヤネの手が。
浴衣の袖越しに。
ユウキの手を握る。
「私がそうしたいの」
「……」
「ただ」
アヤネは小さく笑った。
「すごく緊張してる」
「俺も」
「ほんと?」
「当たり前だろ」
「経験ありそうなのに」
その言葉。
胸に。
少しだけ引っかかった。
*
ミヤビ。
初めて付き合った彼女。
初めてキスをした相手。
そして。
初めて深く触れ合った相手。
思い出したことを。
アヤネも察したらしい。
「……ごめん」
「謝るなって」
「でも」
「アヤネ」
ユウキは。
握られた手を。
握り返す。
「今日は」
アヤネを見る。
「アヤネのことだけ考える」
その瞬間。
アヤネの瞳が。
少し潤んだ。
「それ」
「何?」
「すごく嬉しい」
「泣くなよ」
「まだ泣いてない」
「まだ?」
「泣いたら抱きしめて」
「予約するな」
「じゃあ今」
アヤネが。
腕を広げた。
「抱きしめて」
ユウキは笑って。
その身体を。
そっと抱き寄せた。
*
花火の下。
二人。
浴衣越しの体温。
「ユウキ」
「うん」
「キスしたい」
「ここで?」
「人いないよ」
「花火からは丸見え」
「花火は言いふらさないから」
「そういう問題?」
アヤネが笑う。
そして。
目を閉じた。
ユウキは。
その頬に触れる。
唇を重ねた。
一度。
離れる。
花火。
二度目。
また。
光。
三度目。
今度は。
少し長く。
離れたあと。
アヤネが。
ユウキの胸へ顔を隠した。
「……無理」
「何が?」
「今すごい顔してると思う」
「見せて」
「嫌」
「さっきまで積極的だったのに」
「キスされたら別なの」
「何そのルール」
「乙女心」
「数学より難しい」
「一生勉強して」
「単位取れる?」
「卒業させません」
「困る」
二人で笑った。
*
祭りを出る。
駅へ向かう。
でも。
アヤネは。
改札を通らなかった。
「ユウキ」
「うん」
「……行っていい?」
「俺の家?」
頷く。
「いいよ」
「泊まっても?」
「うん」
そして。
ユウキは。
一度立ち止まる。
「でも」
「何?」
「家に行ったからって」
ちゃんと言う。
「何かしなきゃいけないわけじゃないからな」
アヤネは。
一瞬驚いて。
それから。
柔らかく笑った。
「うん」
「途中で嫌になったら言って」
「ユウキも」
「俺?」
「怖くなったら言って」
「……分かった」
「約束」
小指。
ユウキも。
小指を絡めた。
*
午後十時過ぎ。
「お邪魔します」
アヤネが。
ユウキの部屋へ入る。
何度目か。
もう珍しい場所ではない。
なのに。
今日は。
空気が違った。
アヤネも。
それを感じている。
「浴衣」
「ん?」
「着替えてくる」
「ああ」
「……見ないでね」
「見ないよ」
「本当に?」
「本当に」
「ちょっとくらい気になって」
「気にはなる」
言ってから。
ユウキが固まる。
アヤネも。
固まった。
「……今の」
「忘れて」
「嫌」
「忘れろ」
「一生覚えてる」
「やめろ」
アヤネは。
嬉しそうに笑いながら。
洗面所へ逃げていった。
*
数分後。
部屋着姿で戻ってくる。
「お待たせ」
「うん」
髪を下ろして。
化粧も少し落として。
大学で見るアヤネとも。
浴衣姿とも違う。
ユウキだけが。
少しずつ知り始めた姿。
「何?」
「いや」
「また見てる」
「……可愛いと思って」
アヤネが止まった。
「今日どうしたの?」
「何が?」
「素直すぎる」
「悪い?」
「悪くない」
頬を赤くして。
「もっと言って」
「調子乗るからやめる」
「けち」
*
二人で。
ベッドの端へ座る。
以前も。
こうして並んだ。
でも。
今日は。
手を繋ぐだけなのに。
心臓がうるさい。
「ユウキ」
「何?」
「聞こえる」
「何が」
「心臓」
「アヤネの?」
「ユウキの」
「……聞くな」
「嬉しい」
「なんで?」
「私と同じだから」
アヤネは。
ユウキの手を取る。
そして。
自分の胸元ではなく。
手のひら同士を重ねた。
「私も」
指先が。
少し震えている。
「緊張してる」
*
「じゃあ」
ユウキが言う。
「今日はやめる?」
「嫌」
「即答?」
「怖いけど」
アヤネは。
ユウキの肩へ頭を預ける。
「逃げたくはない」
「逃げてもいいんだぞ」
「違うの」
「何が?」
「ユウキと近くなるのが怖いんじゃない」
小さな声。
「大切になりすぎるのが怖い」
ユウキは。
黙った。
「もっと好きになって」
「うん」
「いつか別れたらって考えると」
「……」
「怖い」
その言葉は。
ユウキにも。
痛いほど分かった。
*
「俺もだよ」
「え?」
「アヤネと付き合うとき」
ユウキは。
指を絡める。
「また失うのが怖かった」
「うん」
「でも」
少し考えて。
「失うのが怖いから始めないって」
アヤネを見る。
「たぶん、それも違う」
アヤネが。
静かに笑った。
「ユウキ」
「ん?」
「好き」
「俺も」
「キスして」
ユウキは。
頬に触れる。
ゆっくり。
唇を重ねた。
*
一度。
二度。
離れて。
見つめ合う。
そして。
また。
三度目。
今度は。
急がず。
長く。
アヤネの手が。
ユウキのシャツを。
そっと掴む。
唇が離れる。
「……ユウキ」
「うん」
「もう一回」
四度目。
そして。
五度目。
数えていたアヤネも。
途中から。
何回目か。
言わなくなった。
*
「アヤネ」
「ん……?」
「大丈夫?」
「うん」
「本当に?」
「うん」
額を合わせる。
呼吸が。
近い。
「ユウキこそ」
「俺?」
「大丈夫?」
「……緊張してる」
「知ってる」
「なら聞くな」
「確認」
「俺も大丈夫」
アヤネは。
ほっとしたように笑う。
「じゃあ」
「うん」
「今日は」
声が。
少しだけ震える。
「ずっとそばにいて」
ユウキは。
答える代わりに。
もう一度。
抱きしめた。
*
窓の外。
遠くで。
最後の花火が上がる。
音だけが。
遅れて届いた。
二人は。
その音を聞きながら。
何度も。
言葉を交わした。
好きだと。
怖いと。
嬉しいと。
離れたくないと。
そして。
何度も。
唇を重ねた。
やがて。
部屋の灯りが。
一つ。
消えた。
*
翌朝。
カーテンの隙間。
夏の光。
ユウキは。
ゆっくり目を開けた。
隣。
アヤネが眠っている。
近い。
手を伸ばせば。
すぐ触れられる距離。
ユウキは。
その寝顔を見る。
昨日。
二人で決めたこと。
二人だけの時間。
言葉にする必要は。
なかった。
大切なのは。
朝になっても。
彼女が隣にいること。
*
「……ん」
アヤネが目を開ける。
数秒。
ぼんやり。
そして。
ユウキを見る。
「……おはよう」
「おはよう」
「いる」
「俺の家だから」
「そうじゃなくて」
アヤネが。
少しだけ近づく。
「朝になっても」
「うん」
「ユウキがいる」
「いるよ」
「よかった」
その声が。
妙に愛おしかった。
*
アヤネが。
布団の中から。
手を伸ばす。
ユウキの手。
指を絡める。
「ユウキ」
「何?」
「昨日」
「うん」
「後悔してる?」
ユウキは。
首を横に振った。
「してない」
「……ほんと?」
「ほんと」
「私も」
アヤネが笑う。
「してない」
少しだけ。
沈黙。
「じゃあ」
アヤネが。
目を閉じる。
「おはようのキス」
「毎回やるの?」
「できる朝は全部」
「決定事項?」
「はい」
「仕方ないな」
朝。
最初のキス。
一度。
「もう一回」
「朝から?」
「昨日の続き」
「昨日何回したか覚えてる?」
「……途中から忘れた」
「初めてじゃん」
「ユウキのせい」
「なんで俺」
「いっぱいしたから」
「アヤネもしてただろ」
「じゃあ二人のせい」
二度目。
今度は。
笑いながら。
*
朝食。
トースト。
スクランブルエッグ。
コーヒー。
向かい合わせ。
アヤネは。
ずっと機嫌がよかった。
「何笑ってるの?」
「幸せだから」
「朝飯で?」
「違う」
「じゃあ」
「秘密」
「絶対昨日のことだろ」
「秘密です」
「顔に出てる」
「ユウキだって」
「俺?」
「ちょっと優しい」
「普段優しくないみたいに言うな」
「今日は三割増し」
「微妙」
「じゃあ五割」
「適当だな」
笑う。
*
そして。
帰る時間。
玄関。
「ユウキ」
「うん」
「次いつ泊まっていい?」
「もう次?」
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ来週」
「試験結果次第」
「え」
「数学」
「……」
「何点だった?」
アヤネが。
目を逸らした。
「アヤネ?」
「……六十四」
「八十って言ってなかった?」
「自己採点では」
「二十点近くどこ消えた」
「夏休みかな」
「補習」
「ええっ」
「次来たら数学」
「そんな」
「終わったら映画」
「キスは?」
「勉強次第」
「横暴!」
「数学教え始めたときから何も変わってないな」
アヤネは。
頬を膨らませる。
そして。
急に。
ユウキへ抱きついた。
*
「でも」
「何?」
「変わったよ」
「何が?」
「私たち」
ぎゅっと。
腕に力が入る。
「最初は友達だった」
「うん」
「それから恋人になって」
「うん」
「いっぱい喧嘩して」
「一回だろ」
「私にはいっぱいだった」
「そうですか」
「昨日は」
そこで。
アヤネは言葉を止める。
そして。
耳元で。
小さく。
「もっと大切な人になった」
ユウキは。
何も言わず。
彼女を抱きしめ返した。
*
駅。
別れ際。
「じゃあね」
「うん」
「ユウキ」
「何?」
「大好き」
「俺も」
「ちゃんと言って」
「大好き」
「……ふふ」
「何?」
「嬉しい」
最後。
短いキス。
アヤネは。
改札の向こうへ消えていった。
*
夏休み後半。
二人の関係は。
穏やかだった。
けれど。
恋というものは。
二人だけで完結するとは限らない。
*
ある日の午後。
大西アグリは。
一人。
大学近くのカフェにいた。
スマートフォン。
画面には。
ユウキとのトーク。
『数学のノート、写真送って』
ユウキからだった。
アグリは。
写真を送る。
すぐ。
『助かった。ありがとう』
「……それだけかぁ」
小さく笑う。
そして。
画面を伏せた。
「諦めなきゃ」
口に出す。
でも。
できない。
*
「大西さん」
声。
顔を上げる。
南イノリ。
「隣、いいですか?」
「どうぞ」
座る。
二人。
しばらく。
何も言わない。
「イノリ」
「はい」
「ユウキのこと」
「はい」
「まだ好き?」
イノリは。
少し考える。
「好きです」
「だよね」
「でも」
カップを見る。
「奪うつもりはありません」
「……私も」
アグリは笑う。
「そのつもりだった」
「過去形ですね」
「鋭い」
「何かあったんですか?」
アグリは。
答えない。
*
その夜。
ユウキに。
一件のメッセージが届く。
アグリ。
『ユウキ』
『今度の日曜日』
『二人で会えない?』
続けて。
『アヤネには、ちゃんと言ってから来て』
ユウキは。
画面を見る。
以前なら。
意味が分からなかった。
でも。
今は。
少しだけ。
分かる。
*
そして。
日曜日。
大西アグリは。
ユウキに。
初めて。
冗談ではなく。
笑って誤魔化すこともなく。
「私、ユウキのことが好き」
そう告げることになる。
それは。
恋人を奪うための告白ではなかった。
自分の恋を。
ちゃんと終わらせるための。
最初で最後の告白だった。
第2期 第9話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




