第2期 第6話 雨の夜、彼女は帰らない
「今日、泊まりに行っていい?」
その言葉を聞いた瞬間から。
佐藤ユウキは、平静を装うことに必死だった。
*
六月。
雨。
一本の傘に二人で入る。
肩が触れる。
腕には、桜井アヤネの体温。
「ユウキ」
「何?」
「緊張してる?」
「してない」
「嘘」
「なんで分かるんだよ」
「傘持つ手、ちょっと硬い」
「雨だから」
「便利だね、雨」
またその言い方。
夕日。
暗闇。
そして今度は雨。
アヤネは笑って。
さらに身体を寄せた。
「私は緊張してるよ」
「……そうなの?」
「するでしょ」
「いつも余裕そうだから」
「好きな人の家に泊まるんだよ?」
一拍。
「しかも」
耳元に近づく。
「彼氏の」
ユウキの耳が熱くなる。
「近い」
「傘狭いから」
「絶対わざとだろ」
「ばれた?」
雨音の中。
アヤネの笑い声が混じった。
*
コンビニに寄る。
飲み物。
お菓子。
翌朝のパン。
「歯ブラシ」
アヤネが手に取る。
「本当に泊まる気満々だな」
「今さら?」
「いや」
「あとこれ」
「何?」
アヤネが小さなヘアゴムをカゴへ入れる。
「お風呂入るとき使う」
その言葉だけで。
ユウキは妙に意識してしまう。
「……何?」
アヤネが覗き込む。
「何でもない」
「想像した?」
「してない」
「何を?」
「誘導尋問やめろ」
アヤネは楽しそうに笑った。
*
午後七時。
ユウキの部屋。
「ただいま」
アヤネが言う。
「なんでお前がただいまなんだよ」
「二回目だから」
「回数の問題?」
「じゃあ、お邪魔します」
靴を脱ぐ。
玄関。
二人きり。
アヤネが振り返る。
「ユウキ」
「うん」
「まず」
一歩近づく。
「お泊まり記念」
「そんな記念ある?」
「今作った」
「何する気」
答えの代わり。
アヤネが背伸びする。
キス。
ほんの一瞬。
「一回目」
「また数えるの?」
「もちろん」
「今日長いぞ」
「じゃあ記録狙えるね」
「狙わなくていい」
そう言いながら。
ユウキも。
もう一度キスした。
「二回目」
「今のも数える?」
「全部」
アヤネが嬉しそうに笑った。
*
夕食。
二人でパスタを作る。
「玉ねぎお願い」
「泣いたら慰めて」
「玉ねぎで?」
「理由は何でもいい」
「慰めてほしいだけだろ」
「ばれた」
隣で。
肩が触れる。
「ユウキ」
「何?」
「味見して」
スプーンを差し出される。
「自分で食べれば?」
「はい、あーん」
「またそれ?」
「彼女だから」
「その言葉便利すぎる」
それでも食べる。
「どう?」
「うまい」
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ私も」
同じスプーン。
一口。
「間接キス」
「直接してるだろ」
「今日二回だけ」
「まだ七時だぞ」
「じゃあ増やそっか?」
アヤネが笑う。
ユウキは視線を逸らした。
*
食後。
雨はさらに強くなっていた。
窓を叩く音。
部屋の照明。
テレビ。
ソファ。
二人で並ぶ。
「映画見る?」
「いいよ」
「何見る?」
「今日は恋愛もの禁止」
「なんで?」
「いろいろ思い出すから」
言ったあと。
アヤネの表情が少しだけ変わる。
「……ごめん」
「いや」
「まだ?」
「少し」
ミヤビ。
消えない。
でも。
以前ほど。
胸をえぐられるような痛みではなくなっている。
アヤネは少し考えて。
「じゃあホラー」
「極端だな」
「怖かったらくっつける」
「それ目的?」
「半分」
「残り半分は?」
「ユウキが怖がるところ見たい」
「最低だな」
「褒め言葉?」
「違う」
*
映画開始。
十分。
アヤネ。
余裕。
二十分。
アヤネ。
ユウキの腕を掴む。
「怖いの?」
「全然」
「手痛い」
「偶然」
三十分。
大きな音。
「っ!」
アヤネが完全に抱きついた。
「怖いんじゃん」
「演出が卑怯」
「どんな言い訳」
「離れないから」
「開き直った」
そのまま。
肩へ顔を埋める。
「ユウキ」
「何?」
「映画終わるまでこのまま」
「いいけど」
「……ありがと」
小さな声。
ユウキは。
彼女の肩へ腕を回した。
アヤネが少しだけ。
嬉しそうに笑った。
*
映画が終わる。
でも。
二人は離れなかった。
テレビ画面はメニューに戻っている。
アヤネはユウキの胸元に寄り添う。
「終わったぞ」
「知ってる」
「離れないの?」
「嫌?」
「嫌じゃない」
「ならいい」
しばらく。
雨音だけ。
「ねえ」
「うん」
「私」
アヤネが。
ユウキの服を少し掴む。
「今日、泊まりたいって言ったとき」
「うん」
「断られると思ってた」
「なんで」
「まだ」
少し間。
「ミヤビさんのことがあるから」
ユウキの身体が。
ほんの少し強張る。
「ごめん」
「謝らなくていい」
アヤネは顔を上げる。
「でも、聞きたい」
「何?」
「今日」
その瞳は。
真剣だった。
「私は、誰かの代わりじゃない?」
胸が。
静かに痛む。
*
ユウキは。
すぐ答えられなかった。
軽く。
『違う』
と言うことはできた。
でも。
それでは。
アヤネが一番嫌っている嘘になる。
「最初は」
ユウキは言う。
「比べてた」
アヤネの目が揺れる。
「アヤネといるときに、ミヤビを思い出すこともあった」
「うん」
「今もある」
「……うん」
「でも」
ユウキは。
アヤネの手を取る。
「今日来てほしいって思ったのは」
指を握る。
「アヤネだから」
アヤネが。
息を止める。
「映画見たいのも」
「うん」
「一緒に飯作るのも」
「うん」
「こうして抱きしめたいのも」
腕を回す。
「全部、アヤネだからだよ」
*
アヤネの目から。
涙が一滴。
落ちた。
「……泣く?」
「泣くよ」
「ごめん」
「だから謝らないで」
笑いながら。
涙を拭う。
「嬉しい」
「ならよかった」
「ユウキ」
「うん」
「キスして」
「今?」
「今」
「泣いてるけど」
「泣いてるから」
よく分からない。
でも。
ユウキは。
頬に手を添えた。
一度。
唇を重ねる。
離れる。
アヤネが。
もう一度近づく。
二度目。
そして。
三度目。
「……何回目?」
ユウキが聞く。
「五回」
「覚えてるんだ」
「当たり前」
「数える余裕ある?」
「なくなるくらいして」
言ったあと。
アヤネ自身が。
真っ赤になった。
「……今のなし」
「無理」
「忘れて」
「絶対忘れない」
「ユウキ!」
今度は。
二人で笑った。
*
午後十一時。
「お風呂借りるね」
「どうぞ」
「覗かないでね」
「覗くわけないだろ」
「覗いても怒らないけど」
「怒れ」
「冗談」
アヤネが笑いながら。
洗面所へ消える。
数分後。
シャワーの音。
ユウキは。
ベッドに座って。
天井を見た。
緊張する。
当然だった。
恋人。
同じ部屋。
夜。
帰らない。
昔。
ミヤビと。
同じ状況になった。
でも。
違う。
同じではない。
そう言い聞かせる。
*
しばらくして。
「お待たせ」
声。
振り向く。
部屋着。
髪をまとめたアヤネ。
普段より。
少し幼く見える。
「……何?」
「いや」
「変?」
「似合ってる」
「え」
アヤネが止まる。
「急に素直」
「聞いたから」
「もう一回言って」
「嫌」
「なんで」
「恥ずかしい」
「私も恥ずかしいのに」
「知らない」
アヤネが。
ベッドの端へ座る。
「ここ座っていい?」
「今さら?」
「……一応」
「いいよ」
アヤネは。
嬉しそうに。
ぽんぽんと隣を叩いた。
「ユウキも」
「俺のベッドなんだけど」
「彼氏さん、早く」
仕方なく。
隣に座る。
*
距離。
数センチ。
近い。
「ユウキ」
「何?」
「緊張してる?」
「してる」
今回は正直に言った。
「私も」
「ほんと?」
「心臓触る?」
「いい」
「即答」
「そういうのやめろ」
「ふふ」
アヤネが。
肩に頭を預ける。
「ね」
「うん」
「今日は」
小さな声。
「ここまででいいから」
ユウキが。
アヤネを見る。
「え?」
「私、泊まりたいって言ったけど」
「うん」
「何かしてほしくて来たわけじゃない」
アヤネは。
少し照れながら。
「一緒に眠って」
「うん」
「朝起きて」
「うん」
「おはようって言いたかった」
その言葉が。
胸に刺さった。
昔と。
似ている。
でも。
今。
アヤネが言っている。
だから。
ちゃんと。
アヤネの言葉として受け取る。
*
「分かった」
ユウキが言う。
「今日は寝るだけ」
「……うん」
「でも」
「何?」
「キスはする」
アヤネが。
一瞬固まる。
「ユウキから言った」
「悪い?」
「悪くない」
「じゃあ」
ユウキから。
顔を寄せる。
キス。
短く。
離れる。
アヤネが。
嬉しそうに笑う。
「もう一回」
「やっぱり言うと思った」
二度目。
三度目。
四度目。
「何回目?」
「九回」
「まだ数えてる」
「十回にしたい」
「じゃあ」
十回目。
唇を重ねたあと。
アヤネは。
ユウキの胸へ顔を埋める。
「……幸せ」
また。
その言葉。
でも今度は。
ユウキも。
「俺も」
と返した。
*
電気を消す。
暗い部屋。
雨音。
同じベッド。
少し距離がある。
「ユウキ」
「ん?」
「手」
「はい」
暗闇の中。
手を繋ぐ。
「もうちょっと近く」
「寒い?」
「違う」
「じゃあ」
アヤネが。
少し寄る。
ユウキも。
少しだけ。
「これくらい?」
「もうちょっと」
「注文多いな」
「彼女だから」
「まだそれ使う?」
「一生使う」
「重い」
「嫌?」
「嫌じゃない」
そして。
肩が触れる距離。
アヤネが。
小さく笑った。
「おやすみ」
「おやすみ」
「ユウキ」
「何?」
「好き」
「俺も好き」
沈黙。
「……もう一回」
「好き」
「うん」
それから。
しばらくして。
アヤネの呼吸が。
ゆっくりになる。
*
深夜二時。
ユウキは。
目を覚ました。
理由は。
隣の温もり。
アヤネが。
眠りながら。
ユウキの袖を掴んでいた。
子供みたいに。
離れないように。
「……アヤネ」
返事はない。
寝ている。
ユウキは。
そっと。
その手を握った。
ミヤビなら。
どうしていただろう。
その考えが。
一瞬。
頭をよぎる。
でも。
すぐに。
消えた。
今。
隣にいるのは。
アヤネだ。
ユウキは。
初めて。
そう思うだけで。
十分だと感じた。
*
翌朝。
「……ん」
ユウキが目を覚ます。
目の前。
アヤネの顔。
近い。
昨日より。
ずっと近い。
眠っている間に。
完全にくっついていた。
「……アヤネ」
「んー……」
目を開ける。
「おはよ」
寝ぼけた声。
「おはよう」
数秒。
見つめ合う。
アヤネが。
少し笑った。
「できた」
「何が?」
「やりたかったこと」
「……おはよう?」
「うん」
そして。
「おはようのキス」
「それは聞いてない」
「今追加」
「後付け」
「だめ?」
「……一回だけ」
「やった」
朝。
最初のキス。
短く。
柔らかく。
*
そのあと。
二人で朝食。
昨日買ったパン。
コーヒー。
「こういうの好き」
アヤネが言う。
「地味だけど」
「地味でいい」
「なんで?」
「ずっとできそうだから」
ユウキが。
アヤネを見る。
「毎日?」
「いつか」
笑う。
「今はまだ、週一くらい」
「毎週来る気?」
「嫌?」
「勉強するなら」
「する」
「本当?」
「たぶん」
「信用できない」
二人で笑った。
*
午前九時。
玄関。
「じゃあね」
「駅まで送る」
「うん」
靴を履く。
「ユウキ」
「何?」
アヤネが。
振り返る。
「昨日」
「うん」
「ありがとう」
「何が?」
「ちゃんと私を見てくれて」
ユウキは。
少しだけ。
照れた。
「こっちこそ」
「じゃあ」
アヤネが。
唇を指差す。
「最後」
「また?」
「昨日から続いてるから、今日の一回目でもある」
「カウント制度複雑になってない?」
「早く」
キス。
一度。
離れる。
「……好き」
アヤネが言う。
「俺も」
今度は。
迷わなかった。
*
その日の昼。
学食。
「泊まった!?」
アグリの声が響いた。
「声でかい!」
「だって!」
「寝ただけだぞ」
「それでも!」
アグリが。
机に突っ伏す。
「ずるい」
「またそれ?」
「アヤネばっかり進んでる」
「何が」
「だから!」
顔を上げる。
言いかけて。
止まる。
「……もういい」
アグリは。
笑った。
でも。
少しだけ。
無理をしているように見えた。
隣。
イノリは。
静かにユウキを見る。
「佐藤くん」
「何?」
「幸せですか?」
唐突な質問。
ユウキは。
少し考えて。
「……うん」
と答えた。
イノリは。
目を伏せる。
「そうですか」
それだけだった。
*
六月は。
穏やかに過ぎた。
アヤネと。
大学で会う。
手を繋ぐ。
キスをする。
時々。
ユウキの家へ泊まる。
少しずつ。
新しい思い出が増える。
そして。
七月。
最初の試験期間。
アヤネは。
ある一つの秘密を。
ユウキに言い出せずにいた。
彼女には。
昔から仲のいい。
一人の男子がいる。
恋愛感情はない。
少なくとも。
アヤネには。
けれど。
その男子は。
桜井アヤネを。
ずっと好きだった。
そして。
ユウキが彼氏になったことを知った彼は。
ついに。
アヤネへ告白する。
その告白が。
二人にとって初めての。
大きな喧嘩を引き起こすことになる。
第2期 第6話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




