第2期 第5話 新しい彼女と、消せない手紙
「お邪魔します」
桜井アヤネの声が、玄関に響いた。
佐藤ユウキの部屋。
恋人になって翌日。
初めて彼女を家へ招いた。
「……なんか緊張する」
「来たいって言ったのお前だろ」
「彼氏の部屋だよ?」
「昨日までただの友達だったけど」
「昨日から彼氏です」
アヤネは靴を揃えると、ユウキを見上げた。
「ね」
「何?」
「ここなら人いないよ」
「だから?」
「昨日言ったじゃん」
一歩。
近づいてくる。
「人がいないところなら、キスできるって」
「……覚えてたのか」
「彼氏との約束は忘れません」
「約束した覚えないけど」
「じゃあ今、約束して」
アヤネが目を閉じる。
「早く」
「命令なの?」
「お願い」
ユウキは苦笑して。
彼女の頬に手を添えた。
軽く。
唇を重ねる。
「……はい」
アヤネが目を開ける。
「一回?」
「一回」
「昨日四回した」
「数えてたの?」
「全部覚えてる」
そして。
今度はアヤネから。
もう一度。
短いキス。
「これで二回」
「今日も数えるの?」
「思い出だから」
「変なやつ」
「好き?」
「……好き」
「やった」
満足そうに笑った。
*
リビングへ入る。
アヤネは興味津々だった。
「綺麗」
「普通」
「もっと散らかってると思ってた」
「どういうイメージだよ」
「男子大学生」
「偏見」
本棚。
机。
テレビ。
ベッド。
最後の一つを見た瞬間。
アヤネが黙った。
「……何」
「ベッドだ」
「そりゃあるだろ」
「ユウキが毎晩寝てる」
「ベッドだからな」
「……へえ」
「何その反応」
「別に?」
明らかに別にではない。
頬が赤い。
ユウキまで意識してしまう。
「とりあえず座れば」
「どこ?」
「ソファ」
「ベッドじゃなくて?」
「ソファ」
「即答」
「当たり前だろ」
アヤネは笑いながらソファに座った。
*
「コーヒーでいい?」
「甘いやつ」
「砂糖?」
「二つ」
「太るぞ」
「彼女にそれ言う?」
「ごめんなさい」
「よろしい」
キッチンへ向かう。
背後から。
「ユウキ」
「ん?」
「こういうの、いいね」
「何が?」
「彼氏の家で飲み物待つの」
「まだ何もしてないぞ」
「そういう普通のことがしたかった」
ユウキの手が。
一瞬止まった。
普通のこと。
その言葉。
以前にも。
聞いた気がする。
『こんな普通のことが、私には初めてだった』
ミヤビ。
胸の奥に。
小さな痛み。
「ユウキ?」
「……今作る」
「うん」
*
コーヒーを飲みながら。
二人で映画を見る。
恋愛ものではなく。
アヤネが選んだコメディ。
「これ絶対面白いから」
「何回見た?」
「五回」
「見すぎ」
「好きなの」
「展開全部知ってるじゃん」
「ユウキの反応を見るからいい」
「俺がコンテンツになってる」
映画開始。
十分。
アヤネの肩が触れる。
二十分。
頭がユウキの肩に乗る。
三十分。
腕を絡めてきた。
「映画見てる?」
「見てる」
「画面あっち」
「ユウキも視界に入れたい」
「集中しろ」
「彼氏の方が大事」
「昨日からずっとそれだな」
「だって嬉しいから」
アヤネは。
隠す気がない。
*
映画が終わる。
「面白かったでしょ?」
「まあ」
「泣いてた」
「笑いすぎただけ」
「写真撮ればよかった」
「やめろ」
「次撮る」
「次も見るの?」
「また来ていい?」
ユウキは。
一瞬。
答えに詰まった。
「……いいよ」
「ほんと?」
「彼女なんだろ」
「そうです」
アヤネが嬉しそうに笑う。
「じゃあ来週も」
「毎週?」
「嫌?」
金曜日。
その言葉が頭をよぎる前に。
「曜日は決めない」
ユウキは言った。
アヤネが目を瞬く。
「どうしたの?」
「……なんとなく」
「じゃあ」
アヤネが手を差し出す。
「会いたい日に会う」
「毎日は無理だぞ」
「じゃあ会える日に」
「うん」
「約束」
指切り。
子供みたいだった。
*
午後七時。
二人で夕食を作ることになった。
「オムライス!」
アヤネが言った。
ユウキの動きが止まる。
「……別のにしない?」
「嫌い?」
「いや」
「じゃあオムライス」
「カレーは?」
「オムライス」
「パスタ」
「オムライス」
「強いな」
「食べたい」
悪気はない。
当然だ。
アヤネは何も知らない。
「……分かった」
「やった」
*
卵。
鶏肉。
玉ねぎ。
ケチャップ。
全部。
記憶にある。
以前。
ミヤビと作った。
『見て』
ケチャップで。
『ユウキ♡』
と書かれた。
「ユウキ?」
アヤネの声。
「……ごめん」
「また?」
その一言に。
ユウキが顔を上げた。
アヤネは怒っていなかった。
ただ。
少し寂しそうだった。
「元カノ?」
「……うん」
「そっか」
アヤネは。
それ以上聞かなかった。
*
完成。
二つのオムライス。
アヤネがケチャップを持つ。
「何書こう」
「普通でいい」
「じゃあ」
さらさら。
ユウキのオムライスに。
『♡』
一つだけ。
「シンプル」
「これくらいがいい」
「なんで?」
「前の彼女と同じことしたくないから」
ユウキの手が止まった。
「……分かったの?」
「顔で」
アヤネは自分のオムライスに。
『AYANE』
と書く。
「私、結構嫉妬深いよ」
「言ってたな」
「元カノにも嫉妬する」
「もう付き合ってないのに?」
「だから余計に」
アヤネはスプーンを置いた。
「思い出って、勝てないじゃん」
その言葉に。
ユウキは何も返せなかった。
*
食事のあと。
「ごめん」
ユウキが言った。
「何が?」
「今日」
「うん」
「何回もミヤビ思い出した」
初めて。
自分から名前を出した。
アヤネは。
少しだけ目を伏せた。
「嫌だよ」
「……うん」
「正直、すごく嫌」
「ごめん」
「でも」
アヤネはユウキの隣へ座る。
「昨日付き合ったばっかりだもん」
「……」
「半年付き合った人を、一日で消せなんて言わない」
ユウキの手に。
自分の手を重ねる。
「ただ」
「うん」
「少しずつ」
指を絡める。
「私との思い出も増やして」
その言葉。
温かかった。
*
ユウキは。
アヤネを抱きしめた。
彼女が驚く。
「……ユウキ?」
「ごめん」
「また謝った」
「ありがとう」
「それなら許す」
アヤネも。
背中へ腕を回す。
しばらく。
何も言わなかった。
そして。
顔を上げる。
「キスしていい?」
「さっきまで真面目な話してたのに」
「真面目だからしたい」
「理屈が分からない」
「彼女だから」
「万能だな、その言葉」
「嫌?」
「嫌じゃない」
アヤネが笑った。
唇が重なる。
一度。
離れる。
もう一度。
今度はユウキから。
「……三回目」
「数えてたの?」
「今日の分」
「まだ数えてる」
「もっとする?」
「聞くなよ」
「じゃあする」
三度目。
そして。
アヤネはユウキの肩へ額を預けた。
「……幸せ」
小さな声だった。
*
午後十時。
「そろそろ帰る」
アヤネが時計を見る。
「送る」
「駅まで?」
「うん」
立ち上がる。
そのとき。
アヤネの鞄が机の角に当たった。
「あ」
引き出しが。
少しだけ開いた。
「ごめん」
アヤネが閉めようとする。
その瞬間。
中にある。
白い封筒。
見えてしまった。
『ユウキくんへ』
手書きの文字。
アヤネの動きが止まる。
*
「……これ」
ユウキの心臓が跳ねた。
「見ないで」
思ったより。
強い声が出た。
アヤネが手を引く。
「ごめん」
「……俺もごめん」
沈黙。
「元カノ?」
アヤネが聞く。
「うん」
「手紙?」
「うん」
「別れるときの?」
「……そう」
アヤネは。
封筒を見つめる。
「まだ持ってるんだ」
責める声ではなかった。
だから。
余計に苦しい。
「捨てられない」
ユウキは。
正直に言った。
「今はまだ」
アヤネの瞳が揺れる。
それでも。
「そっか」
とだけ答えた。
*
駅までの道。
さっきまでより。
少し静かだった。
手は繋いでいる。
でも。
アヤネの握る力が弱い。
「アヤネ」
「ん?」
「怒ってる?」
「怒ってない」
「ほんと?」
「……ちょっとだけ悲しい」
「ごめん」
「でも」
アヤネは立ち止まる。
「捨ててって言いたくない」
「え?」
「私が言って捨てても」
ユウキを見る。
「それじゃ意味ないから」
「……」
「いつか」
アヤネが。
少し寂しそうに笑う。
「ユウキが自分で、もう大丈夫って思ったときに片付けて」
「分かった」
「約束?」
「うん」
*
改札前。
「今日は楽しかった」
アヤネが言う。
「俺も」
「本当?」
「本当」
「じゃあ」
少し近づく。
「最後に一回」
「ここ人いるぞ」
「頬なら?」
「……それなら」
ユウキが頬を向ける。
ちゅ。
アヤネの唇が触れた。
「おやすみ」
「まだ早い」
「帰ったらメッセージする」
「うん」
離れようとしたアヤネの手を。
ユウキが。
掴んだ。
「アヤネ」
「何?」
ユウキは。
周囲を確認する。
そして。
ほんの一瞬だけ。
アヤネの唇にキスした。
「……え」
「今日はありがとう」
アヤネの顔が。
一気に赤くなる。
「ずるい」
「何が?」
「帰れなくなる」
「帰れ」
「もう一回」
「帰れ」
「けち」
それでも。
嬉しそうに。
改札へ向かっていった。
*
帰宅。
部屋。
一人。
ユウキは机の引き出しを開ける。
白い封筒。
ミヤビからの手紙。
取り出す。
捨てようとは。
まだ思えなかった。
でも。
今日は。
読み返さなかった。
そのまま。
引き出しの一番奥へ入れる。
閉める。
スマートフォンが震える。
アヤネ。
『着いた♡』
続けて。
『今日のキス、合計何回だったでしょう?』
ユウキは笑った。
『知らない』
即返信。
『私は覚えてます』
『数えるな』
『次は記録更新する』
『何の競技だよ』
画面の向こうで。
アヤネが笑っている気がした。
*
そして。
翌週。
ユウキは。
アヤネとの関係を。
少しずつ恋人らしいものへ変えていった。
朝。
『おはよう』
昼。
一緒に食事。
放課後。
勉強。
帰り道。
手を繋ぐ。
人がいなければ。
時々キスをする。
新しい日常。
新しい恋人。
その一方で。
大西アグリは。
以前より少しだけ。
ユウキとの距離を取るようになった。
南イノリも。
告白することなく。
静かに二人を見ていた。
三人とも。
同じことを知っている。
桜井アヤネが。
一歩先へ進んだことを。
*
六月。
雨の日。
講義が終わる。
「ユウキ」
アヤネが傘を持って待っていた。
「今日、泊まりに行っていい?」
ユウキが固まる。
「……泊まり?」
「うん」
「なんで急に」
「明日、一限ないでしょ?」
「そうだけど」
「私もない」
「だから?」
アヤネは。
少しだけ頬を赤くして。
それでも。
真っ直ぐユウキを見る。
「もっと一緒にいたいから」
雨音。
二人の間。
沈黙。
そして。
アヤネは。
ユウキの袖をそっと掴んだ。
「嫌なら、ちゃんと言って」
ユウキは。
その手を見る。
かつて。
同じ部屋で。
同じベッドで。
別の少女と朝を迎えた。
だからこそ。
今度は。
過去の代わりではなく。
目の前の桜井アヤネを。
ちゃんと見なければならない。
「……分かった」
ユウキは答えた。
「来る?」
アヤネが。
嬉しそうに笑った。
「うん」
二人で。
一つの傘に入る。
肩が触れる。
アヤネが。
そっとユウキの腕へ抱きついた。
その夜。
二人は初めて。
帰る時間を決めずに――。
同じ部屋で過ごすことになる。
第2期 第5話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




