第2期 第4話 桜井アヤネは、待つのをやめる
五月。
大型連休が明けたころ。
佐藤ユウキの大学生活には、一つの日課ができていた。
「ユウキ、ここ分かんない」
「……昨日もそこ教えた」
「昨日の私は分かってた」
「じゃあ今日のお前は誰だよ」
「昨日よりちょっと可愛い桜井アヤネ」
「帰るぞ」
「待って待って」
放課後の講義室。
窓から差し込む夕日。
机の上には数学の参考書。
隣にはアヤネ。
大学に入って一か月。
気づけば二人で勉強するのが当たり前になっていた。
「これで合ってる?」
「見せて」
アヤネのノートを覗き込む。
肩が触れる。
「……近い」
「見えないから」
「もっとそっちから見ればいいじゃん」
「お前がノート動かせよ」
「やだ」
「なんで」
「近い方がいいから」
さらっと言われる。
最近。
これにも少し慣れてしまった自分が怖い。
「アヤネ」
「ん?」
「そういうこと言うのやめない?」
「嫌」
「即答か」
「だって」
アヤネは頬杖をついて。
「私、ユウキのこと狙ってるって言ったでしょ?」
「『候補に入れて』だった気がする」
「昇格しました」
「勝手に?」
「はい」
「面倒だな」
「でも嫌じゃない」
「……」
「ほら」
「数学やるぞ」
「逃げた」
「うるさい」
*
一時間後。
「終わったぁ」
アヤネが机に突っ伏した。
「まだ三問間違ってる」
「今日はもう無理」
「試験で同じこと言うなよ」
「ユウキが隣にいれば大丈夫」
「試験中に教えたら不正だろ」
「じゃあ結婚して」
「なんでそうなる」
「毎日教えてもらえる」
「家庭教師雇え」
「ユウキがいい」
笑っている。
冗談。
たぶん。
でも。
最近のアヤネは。
冗談の中に本音を混ぜる。
だから。
どこまで笑えばいいのか分からない。
*
「ねえ」
帰り支度をしながら。
アヤネが言った。
「今日、少し歩かない?」
「いいけど」
「ほんと?」
「駅までだろ」
「遠回りして」
「なんで?」
「話したいことあるから」
その瞬間。
ユウキには。
なんとなく分かった。
「……今日?」
「今日」
アヤネの笑顔から。
いつもの軽さが消えていた。
*
大学を出る。
駅とは反対方向。
住宅街を抜けて。
小さな川沿いへ。
夕方。
「こういうところ好きなの?」
ユウキが聞く。
「今日だけ」
「どういう意味?」
「人少ないから」
「……そう」
やっぱり。
分かってしまう。
ユウキは。
少し怖かった。
*
川沿いのベンチ。
二人で座る。
以前。
アヤネと映画を見た帰りにも。
似たような場所を歩いた。
あの日。
アヤネは言った。
『ちゃんと終わってから、私を見て』
それから一か月。
彼女は。
一度も答えを急かさなかった。
遊びには誘う。
勉強も一緒にする。
メッセージも毎日来る。
時々。
手も繋ぐ。
でも。
「付き合って」とは。
言わなかった。
*
「ユウキ」
「うん」
「元カノのこと」
来た。
「最近も考える?」
ユウキは嘘をつかなかった。
「考えるよ」
「毎日?」
「……前ほどじゃない」
「そっか」
アヤネは。
少し嬉しそうだった。
「忘れた?」
「忘れてない」
「まだ好き?」
難しい質問だった。
好き。
たぶん。
その気持ちは残っている。
でも。
以前とは違う。
「分からない」
「そっか」
「ごめん」
「謝らなくていいよ」
風が吹く。
アヤネの髪が揺れる。
「じゃあ」
彼女は言った。
「今日は私の話をするね」
*
「私」
アヤネが。
ユウキを見る。
「ユウキが好き」
真っ直ぐだった。
逃げ道なんて。
最初から作っていない。
「……うん」
「そこは『えっ』とか言わないの?」
「知ってたから」
「まあ、隠してなかったしね」
「全然」
アヤネが笑う。
でも。
すぐに真剣な顔へ戻った。
「最初はね」
「うん」
「顔が好みだった」
「……」
「そこ笑うところ」
「いや、どう反応すればいいか」
「イケメンなんだから喜んで」
「自分で言うの恥ずかしい」
「じゃあ私が言う。ユウキは格好いい」
「やめろ」
「照れてる」
「話続けて」
「はいはい」
アヤネは笑った。
*
「でも」
声が柔らかくなる。
「数学教えてもらって」
「うん」
「私が何回間違えても怒らなくて」
「普通だろ」
「普通じゃないよ」
また。
同じことを言われた。
「映画見てるとき」
「うん」
「元カノ思い出して辛そうなのに、私に気を遣って」
「……」
「アグリにも優しいし、イノリにも優しい」
「それは」
「ちょっと嫌だけど」
「嫌なの?」
「好きな人が他の女の子に優しいのは嫌」
アヤネは。
少し唇を尖らせた。
「でも、そういうユウキだから好きになった」
胸が。
静かに鳴る。
*
「だから」
アヤネが立ち上がる。
ユウキの正面。
夕日を背にして。
「もう待たない」
「アヤネ」
「佐藤ユウキくん」
両手を後ろで握る。
少しだけ。
震えていた。
いつも余裕そうなのに。
今だけは。
普通の女の子だった。
「私と付き合ってください」
ユウキは。
答えられなかった。
*
頭に浮かんだのは。
仁科ミヤビだった。
初めて告白された日。
初めてキスした日。
同じベッドで朝を迎えた日。
裏切りを知った日。
最後に抱きしめた日。
最後のキス。
そして。
『さようなら』
あの手紙。
*
「……ごめん」
アヤネの瞳が。
揺れた。
「やっぱり、無理?」
「違う」
「じゃあ?」
ユウキは。
拳を握る。
「怖い」
初めて。
口にした。
「誰かと付き合うのが」
アヤネは何も言わない。
「また信じて」
「うん」
「また裏切られたらって思う」
「うん」
「アヤネがそんなことするって言ってるんじゃない」
「分かってる」
「でも」
ユウキは俯く。
「怖いんだよ」
格好悪い。
そう思った。
けれど。
アヤネは笑わなかった。
*
「ユウキ」
アヤネが。
目の前へしゃがむ。
視線を合わせる。
「私を見て」
「……」
「私は仁科ミヤビじゃない」
初めて。
アヤネの口から。
その名前を聞いた。
「アグリから名前だけ聞いた」
「……そっか」
「私は、その人の代わりにはならない」
「うん」
「その人が傷つけたところを、私が全部治せるとも思ってない」
アヤネは。
ゆっくり言った。
「でも」
手を差し出す。
「私がユウキを好きなことは」
真っ直ぐ。
「信じてほしい」
*
差し出された手。
ユウキは見つめる。
怖い。
それでも。
思い出す。
この一か月。
アヤネは待った。
無理に忘れさせようとしなかった。
過去を否定しなかった。
自分を選べとも言わなかった。
ただ。
隣にいた。
「……一つ聞いていい?」
「うん」
「なんで俺?」
アヤネは笑った。
「好きになるのに、そんなに綺麗な理由いる?」
「……」
「一緒にいたいから」
それだけ。
その答えが。
今のユウキには。
一番嬉しかった。
*
ユウキは。
その手を取った。
アヤネの目が大きくなる。
「……これ」
声が震える。
「期待していい?」
「俺」
ユウキは言う。
「まだミヤビのこと、完全には忘れてない」
「うん」
「たぶんこれからも思い出す」
「うん」
「面倒だと思う」
「知ってる」
「嫉妬するかも」
「私が?」
「アヤネが」
「する」
即答だった。
「めちゃくちゃすると思う」
「そこは否定しろよ」
「嘘つきたくないから」
ユウキは。
少し笑った。
「それでもいいなら」
アヤネの手を握る。
「俺と付き合ってください」
*
アヤネが。
固まった。
「……え?」
「聞こえた?」
「もう一回」
「嫌」
「なんで!」
「恥ずかしい」
「私ちゃんと言ったじゃん!」
「俺も言った」
「もう一回!」
「嫌だ」
「ユウキ!」
そして。
アヤネは。
泣いた。
「え、なんで泣くんだよ」
「嬉しいから!」
「お前、もっと余裕あると思ってた」
「ないよ!」
涙を拭う。
「好きな人に告白するの、怖かったんだから」
「……ごめん」
「謝らない」
「どっちだよ」
「今は」
アヤネが。
泣きながら笑う。
「抱きしめてほしい」
*
ユウキは。
少しだけ迷って。
腕を広げた。
アヤネが。
胸へ飛び込んでくる。
「……ユウキ」
「うん」
「好き」
「うん」
「私だけ?」
その質問に。
ユウキはすぐ答えられなかった。
アヤネは。
胸元で笑った。
「そこはまだ、いい」
「ごめん」
「いつか」
ぎゅっと。
背中へ腕が回る。
「私だけって言わせるから」
強い。
この子は。
本当に強い。
*
しばらく。
抱きしめ合ったあと。
アヤネが顔を上げた。
距離が近い。
「ユウキ」
「何?」
「恋人になったんだよね?」
「……そうなるな」
「じゃあ」
アヤネの視線が。
ユウキの唇へ落ちる。
「キスしていい?」
心臓が。
大きく鳴った。
*
キス。
その言葉だけで。
記憶が戻る。
ミヤビ。
何度も。
何度も。
唇を重ねた。
最後の日も。
『最後にキスしたい』
そう言われた。
そして。
それが。
本当に最後になった。
*
アヤネが。
ユウキの表情を見て。
少しだけ離れた。
「……ごめん」
「え?」
「まだ無理だね」
「アヤネ」
「いいよ」
笑う。
「待つのやめるって言ったけど」
ユウキの手を握る。
「これは待つ」
「……」
「ユウキがしたいって思ったときでいい」
その優しさが。
逆に。
ユウキの背中を押した。
*
「アヤネ」
「ん?」
「目閉じて」
「……え」
今度は。
アヤネが固まった。
「嫌ならやめるけど」
「嫌じゃない!」
「声でかい」
「だって」
「目」
「……うん」
アヤネが。
ゆっくり目を閉じる。
さっきまで。
あれだけ積極的だったのに。
頬が真っ赤だった。
ユウキは。
そっと頬に触れた。
そして。
顔を近づける。
唇が。
触れた。
*
ほんの一瞬。
短いキス。
すぐ離れる。
アヤネは。
目を閉じたまま。
動かない。
「……アヤネ?」
「もう終わった?」
「終わったけど」
目を開ける。
「短い」
「初回だから」
「何そのシステム」
「知らないよ」
「もう一回」
「え?」
「今のは」
アヤネが。
少し照れながら。
「付き合った記念」
一歩近づく。
「次は、私が好きって伝える分」
「意味分からない」
「目閉じて」
「俺も?」
「早く」
今度は。
アヤネから。
そっと唇を重ねた。
一度目より。
少しだけ長い。
離れる。
二人とも。
何も言えなかった。
*
「……ユウキ」
「うん」
「顔赤い」
「アヤネも」
「夕日のせい」
「便利だな、夕日」
以前。
アヤネが言った言葉。
今度は。
ユウキが返した。
二人で。
笑った。
*
帰り道。
初めて。
恋人として。
手を繋いだ。
今回は。
指を絡める。
恋人繋ぎ。
「ユウキ」
「何?」
「嬉しい」
「うん」
「めちゃくちゃ嬉しい」
「分かったって」
「もう一回キスしたい」
「駅前で?」
「だめ?」
「人いる」
「じゃあ人いないところ」
「今日何回する気だよ」
「できるだけいっぱい」
「付き合った途端これか」
「我慢してたから」
アヤネが。
嬉しそうに笑った。
ユウキも。
つられて笑う。
*
駅へ着く少し前。
人気のない道。
「ここ」
アヤネが止まる。
「何?」
「人いない」
「……本気だったの?」
「うん」
「仕方ないな」
「やった」
ユウキが。
アヤネの頬に手を添える。
三度目。
キス。
離れる。
「もう一回」
「まだ?」
「付き合って初日だよ?」
「理由になってない」
「じゃあ」
アヤネが。
ユウキの服の袖を掴む。
「好きだから」
四度目。
今度は。
どちらからともなく。
唇を重ねた。
*
駅。
「じゃあね」
アヤネが手を離す。
「また明日」
「うん」
「明日も恋人?」
「一日限定じゃない」
「よかった」
「何だと思ってたんだ」
「確認」
アヤネが。
改札へ向かう。
途中。
振り返る。
「ユウキ!」
「何?」
「大好き!」
「ここで言うな!」
周囲の人が見る。
アヤネは。
笑いながら逃げた。
「……ほんと距離近いな」
でも。
以前とは違う。
嫌ではなかった。
*
その夜。
スマートフォン。
アヤネ。
『彼氏さん♡』
『何』
『呼んでみただけ♡』
『寝ろ』
『その前に』
少し間。
『今日はありがとう』
続けて。
『大好き』
ユウキは。
しばらく画面を見る。
そして。
『俺も』
送る。
すぐ既読。
『俺も何?』
「……面倒くさいな」
苦笑する。
それでも。
『好きだよ』
送信。
数秒後。
ハートが大量に返ってきた。
*
そして翌日。
「ええええええええ!?」
学食。
大西アグリの声が響いた。
「付き合った!?」
「声でかい」
「アヤネと!?」
「そうだけど」
「いつ!?」
「昨日」
「聞いてない!」
「今言った」
「そういう意味じゃない!」
隣。
イノリは。
黙っていた。
「……南?」
ユウキが呼ぶ。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
笑顔。
いつも通り。
でも。
膝の上で。
イノリの手は。
強く握られていた。
*
アグリは。
頬を膨らませる。
「ずるい」
「何が?」
「アヤネ」
「なんで」
「先越された」
ユウキが首を傾げる。
「何の?」
「……」
アグリは。
ため息。
「ほんっと鈍い」
「だから何が」
「もういい!」
立ち上がる。
「デザート買ってくる!」
去っていく。
「怒らせた?」
ユウキが聞く。
イノリは。
静かに答えた。
「佐藤くん」
「うん」
「女心の勉強もした方がいいです」
「数学より難しい」
「そうでしょうね」
イノリは。
小さく笑った。
*
その日の放課後。
アヤネが待っていた。
「ユウキ」
「ん?」
「帰ろ」
「うん」
自然に。
手が繋がれる。
「今日どこ行く?」
「家」
「ユウキの?」
「俺は自分の家帰るけど」
「私も行っていい?」
「……え?」
アヤネが笑う。
「彼氏の部屋」
その言葉に。
ユウキの心臓が跳ねる。
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ決まり」
「急だな」
「見たい」
「何を?」
「ユウキが普段どんなところで暮らしてるのか」
少し間を置いて。
悪戯っぽく笑う。
「あと」
耳元へ近づく。
「二人きりになりたい」
「……アヤネ」
「顔赤い」
「近い」
「彼女だからいいでしょ?」
そう言って。
アヤネは。
ユウキの手を握り直した。
新しい彼女。
新しい恋。
新しいキス。
けれど。
ユウキの部屋にはまだ。
一つだけ。
片付けられていないものがあった。
机の引き出し。
その奥。
仁科ミヤビからもらった――。
最後の手紙。
第2期 第4話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




