第2期 第2話 桜井アヤネは距離が近い
「付き合ってほしいところがあるの」
そう言って。
桜井アヤネがユウキを連れてきたのは――。
「……本屋?」
「うん」
「一人で来られるだろ」
「来られるよ?」
「じゃあなんで俺を」
「ユウキと来たかったから」
あっさり。
本当にあっさり言われた。
ユウキは返事に困る。
アヤネはそんなユウキを見て、楽しそうに笑った。
「今、ちょっと意識した?」
「してない」
「目逸らした」
「本探すぞ」
「逃げた」
「うるさい」
大学生活が始まって、まだ一週間。
なのに桜井アヤネは。
もうずいぶん前から友達だったような距離感で、ユウキの隣を歩いていた。
*
「参考書?」
「そう」
大学数学の棚。
アヤネは一冊抜き取る。
ぱらぱら。
三ページほど読んで。
閉じた。
「分からない」
「早すぎるだろ」
「だって記号ばっかり」
「大学なんだから」
「ユウキは分かる?」
渡される。
ユウキはページを見る。
「この辺なら」
「やっぱり」
アヤネがにこっと笑う。
「じゃあこれ買う」
「待て」
「何?」
「分からない本買ってどうする」
「ユウキに教えてもらう」
「俺がセットなの?」
「うん」
「聞いてない」
「今言った」
以前も。
似たようなことがあった。
数学。
分からないふり。
勉強を教える。
そこから始まった恋。
けれど。
目の前のアヤネは。
本当に分かっていなさそうだった。
「……ここ解いてみて」
「今?」
「今」
参考書の例題を指す。
アヤネは考える。
一分。
二分。
「無理」
「本当に数学苦手なんだな」
「失礼」
「安心した」
「なんで?」
「なんでもない」
ユウキは笑った。
アヤネが。
その横顔をじっと見ていた。
*
本を買ったあと。
「付き合ってくれたお礼」
アヤネが指差したのは。
本屋の隣にあるカフェだった。
「奢る」
「いいよ」
「じゃあデート代ってことで」
「待て」
アヤネが先に店へ入る。
「デートじゃないだろ」
「男女二人でお茶」
「友達でもする」
「じゃあ友達デート」
「便利な言葉作るなよ」
窓際の席。
向かい合わせ。
アヤネはカフェラテ。
ユウキはアイスコーヒー。
「ユウキってさ」
「ん?」
「高校の彼女と、どれくらい付き合ってたの?」
ストローを持つ手が止まる。
「……半年」
「そっか」
「聞かないんじゃなかった?」
「昨日はね」
アヤネが頬杖をつく。
「今日は二人だから」
「どういう理屈?」
「人前で聞かれるの嫌そうだったから」
ユウキは。
少し驚いた。
アヤネは距離が近い。
遠慮がない。
でも。
雑ではない。
「別れた理由は?」
「それも聞く?」
「嫌なら答えなくていい」
「……浮気」
アヤネの表情から。
笑顔が消えた。
「されたの?」
「うん」
「そっか」
それ以上。
何も聞かなかった。
「意外」
「何が?」
「もっと質問されると思った」
「聞いてほしい?」
「いや」
「じゃあ聞かない」
アヤネはカフェラテを飲む。
「ただ」
「うん」
「元カノ、見る目ないね」
「……え?」
「ユウキみたいな彼氏がいるのに浮気するなんて」
ユウキは苦笑した。
「俺のことまだ全然知らないだろ」
「これから知るから」
また。
自然に。
そんなことを言う。
「アヤネって」
「何?」
「男全員にそういう感じ?」
「どういう感じ?」
「距離近い」
アヤネは少し考えた。
そして。
「ユウキだけ」
と答えた。
*
心臓が。
少しだけ跳ねた。
それが嫌だった。
「そういうこと簡単に言うなよ」
「簡単じゃないよ」
「まだ会って一週間だぞ」
「一週間あれば、気になるには十分じゃない?」
「……」
「付き合ってって言ってるわけじゃない」
アヤネが笑う。
「ただ、気になってる」
真っ直ぐだった。
誤魔化さない。
ユウキが一番困るタイプだった。
「俺」
「うん」
「しばらく恋愛するつもりない」
「知ってる」
「言ってないけど」
「顔見れば分かる」
「そんな顔してる?」
「してる」
アヤネは指を伸ばす。
ユウキの眉間。
ちょん。
「ここ」
「触るな」
「元カノの話すると、すぐ難しい顔になる」
「……悪かったな」
「だから」
手を引っ込める。
「急がない」
「え?」
「私、待つの得意だから」
アヤネは笑った。
「今は友達でいいよ」
その言葉に。
ユウキは。
少しだけ安心した。
*
店を出る。
午後六時。
「駅まで?」
「うん」
並んで歩く。
その途中。
「ユウキ」
「何?」
「手」
「手?」
アヤネが右手を出す。
「荷物持って」
「そっちかよ」
「何だと思った?」
「何も」
「手繋ぐと思った?」
「思ってない」
「顔赤い」
「夕日のせい」
「便利だね、夕日」
参考書の入った紙袋を渡される。
「重い」
「男の子でしょ」
「男女平等は?」
「こういうときだけ廃止」
「最低だ」
「ありがとう」
「まだ何もしてない」
「持ってくれてる」
その笑顔。
悪くなかった。
*
駅の改札前。
「じゃあまた明日」
アヤネが紙袋を受け取る。
「ちゃんと勉強しろよ」
「先生」
「誰が先生だ」
「佐藤先生」
「教える約束してない」
「え?」
アヤネが首を傾げる。
「参考書買ったんだから責任取って」
「なんの責任だよ」
「明日、一時間」
「……学食なら」
「やった」
「一時間だけな」
「二時間」
「増やすな」
「じゃあ一時間半」
「交渉するな」
笑う。
アヤネが。
急に一歩近づいた。
近い。
「……何?」
「ユウキ」
「うん」
「今日はありがと」
「どういたしまして」
「楽しかった」
「俺も」
言ったあと。
アヤネの目が少し丸くなる。
「今の、嬉しい」
「大げさ」
「じゃあ」
さらに。
ほんの少し。
距離が縮まった。
顔が近い。
「またデートしようね」
「だからデートじゃ――」
ユウキが言い終わる前に。
アヤネは離れた。
「ばいばい」
手を振って。
改札の向こうへ消えていった。
「……距離近すぎだろ」
ユウキは。
一人になってから呟いた。
*
その夜。
『明日よろしくね、先生』
アヤネからメッセージ。
『先生やめろ』
『じゃあユウキ先生♡』
『悪化してる』
『おやすみ♡』
ハート。
画面を見つめる。
ミヤビも。
よく使っていた。
胸が痛む。
トーク一覧。
下へ行けば。
まだ彼女がいる。
仁科ミヤビ。
開かない。
代わりに。
スマートフォンを伏せた。
*
翌日。
昼休み。
「ユウキ」
アグリが隣へ座った。
「昨日アヤネとデートしたんだって?」
「情報早すぎだろ」
「本人から聞いた」
「あいつ……」
「で?」
「何が」
「どうだった?」
「本屋行っただけ」
「二人で?」
「そう」
「カフェも?」
「行った」
アグリが。
じーっと見つめる。
「デートじゃん」
「違う」
「デートだよ」
「本人にも言われた」
「アヤネ、攻めるなぁ」
妙に感心している。
「面白がるな」
「だって」
アグリが。
少しだけ笑顔を弱める。
「早い者勝ちになりそうだから」
「……何が?」
「なんでもない」
「今の絶対なんかあるだろ」
「乙女には秘密があるの」
「便利だな、その言葉」
「でさ」
アグリがユウキの肩を軽く叩く。
「今度は私とも遊ぼ」
「みんな急だな」
「アヤネだけずるいじゃん」
「何がずるいんだ」
「二人で遊んだこと」
「別にいいけど」
「ほんと?」
「友達だろ」
一瞬。
アグリの笑顔が止まる。
「……友達、ね」
「違うの?」
「今はね」
「今は?」
「なんでもなーい」
また。
逃げられた。
*
午後。
図書館。
「本当に来た」
ユウキが言う。
「約束したでしょ」
アヤネが隣に座る。
参考書を開く。
今日は。
本当に勉強だった。
「ここ」
「まず公式覚えて」
「公式多すぎ」
「高校でもやっただろ」
「忘れました」
「堂々と言うな」
三十分。
一時間。
アヤネは。
思ったより真面目だった。
「できた」
「正解」
「ほんと?」
「うん」
「やった」
アヤネが。
嬉しそうに笑う。
その笑顔を見た瞬間。
記憶が重なる。
『できた』
『最初からできるだろ』
ミヤビ。
ユウキの表情が。
曇った。
*
「ユウキ」
アヤネが呼ぶ。
「ん?」
「また元カノ?」
図星だった。
「……なんで分かる」
「顔」
「そんなに出る?」
「私が見てるから」
アヤネは。
ペンを置いた。
「まだ好き?」
ユウキは。
答えなかった。
「ごめん」
アヤネが言う。
「答えなくていい」
「……好きだと思う」
初めて。
大学で。
誰かに言った。
「でも戻るつもりはない」
「そっか」
「だから」
「うん」
「俺に近づいても、たぶん面倒だぞ」
アヤネは。
少し笑った。
「それ、私に諦めろって言ってる?」
「そこまで言ってない」
「ならいい」
「いいのかよ」
「だって」
アヤネが。
ユウキの手のすぐ隣に。
自分の手を置く。
触れない。
あと数センチ。
「今すぐ私を好きになってなんて言わない」
そして。
「ただ」
ユウキを見る。
「いつか誰かを好きになれるなら」
少しだけ。
頬を赤くして。
「候補に私を入れて」
ユウキは。
何も言えなかった。
*
図書館を出る。
「じゃあね」
「うん」
アヤネが歩いていく。
ユウキは。
その背中を見る。
まだ。
恋ではない。
でも。
確実に。
何かが動き始めていた。
*
少し離れた場所。
「……なるほど」
大西アグリが。
偶然。
二人を見ていた。
「アヤネ、本気じゃん」
いつもの笑顔。
でも。
ほんの少しだけ。
寂しそうだった。
そして。
さらに。
そのアグリの後ろ。
「何が本気なんですか?」
「うわっ!」
振り返る。
南イノリ。
「イノリ!? いつからいたの?」
「今来ました」
「心臓止まるかと思った」
「生きてますよ」
「そういう問題じゃない」
イノリは。
遠ざかっていくユウキを見る。
「桜井さん」
「ん?」
「佐藤くんのこと好きなんですか?」
「たぶん」
「そうですか」
「反応薄いね」
「では」
イノリが。
いつもの静かな顔で言った。
「私も、少し急いだ方がよさそうですね」
アグリの笑顔が。
完全に止まった。
「……え?」
イノリは答えず。
歩き出した。
*
その日の夜。
ユウキのスマートフォンに。
三件。
ほぼ同時にメッセージが届いた。
アヤネ。
『次の日曜日、空いてる?』
アグリ。
『土曜日遊びに行こ!』
そして。
イノリ。
『佐藤くん。明日の放課後、二人で話したいです』
ユウキは。
三つのメッセージを見比べる。
「……なんでこうなった?」
高校時代。
金曜日だけだった恋。
大学では。
土曜日。
日曜日。
そして平日まで。
予定が埋まり始めていた。
けれど。
かつてのミヤビとは違う。
ユウキはまだ。
誰の恋人でもない。
だからこそ。
ここから先。
誰か一人を選ばなければならない日が。
いずれやってくる。
そして最初に。
ユウキの止まった時間へ踏み込むのは――。
桜井アヤネだった。
第2期 第2話 了
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




