第1期 第13話 さよなら、金曜日の恋人
別れた翌朝。
佐藤ユウキは、いつもの時間に目を覚ました。
天井。
カーテン。
机。
本棚。
何も変わっていない。
ただ。
ベッドの右側が広かった。
「……そっか」
もう。
来週の金曜日にミヤビは来ない。
*
スマートフォンを開く。
通知はない。
以前なら。
『おはよう♡』
あるいは。
『起きた?』
そんなメッセージが届いていた。
トーク画面を開く。
最後のやり取りは、卒業式前日。
『明日、ちゃんと笑うね』
それだけだった。
消そうと思えば消せる。
写真も。
メッセージも。
連絡先も。
でも。
ユウキは何一つ消せなかった。
「……未練ありすぎだろ」
自分で自分に呆れる。
好きなまま別れた。
そんなもの。
すぐに忘れられるはずがなかった。
*
午前十時。
インターホンが鳴った。
「誰だ?」
宅配便でも頼んだか。
モニターを見る。
ユウキの動きが止まった。
ミヤビ。
「……なんで」
昨日。
別れた。
最後にキスした。
最後に抱きしめた。
もう会わない。
そういう別れだったはずだ。
インターホンがもう一度鳴る。
ユウキは迷った末。
玄関へ向かった。
扉を開ける。
「……おはよう」
ミヤビが立っていた。
制服ではない。
白いブラウス。
淡い色のスカート。
目元は少し腫れている。
「何しに来た?」
責めるつもりはなかった。
でも。
優しく言えば。
また戻りたくなる。
「ごめん」
ミヤビは。
小さな封筒を差し出した。
「これだけ渡したくて」
「何?」
「帰ってから読んで」
「今じゃ駄目?」
「……目の前で読まれたら逃げたくなるから」
「何それ」
「最後の秘密」
その言葉に。
ユウキの胸が痛んだ。
「まだあるの?」
「うん」
ミヤビは頷く。
「でも、これは」
少し笑った。
「最初から最後まで、本当だったこと」
封筒を受け取る。
「じゃあ」
ミヤビは一歩下がった。
「今度こそ、ばいばい」
「ミヤビ」
反射的に呼び止めた。
「……何?」
振り返る。
何を言うつもりだったのか。
自分でも分からない。
行くな。
なのか。
元気で。
なのか。
まだ好きだ。
なのか。
結局。
「……大学、頑張れよ」
それしか言えなかった。
ミヤビは。
泣きそうに笑った。
「ユウキくんも」
そして。
今度こそ。
歩いていった。
*
部屋へ戻る。
封筒を開く。
中には。
一枚の便箋。
そして。
古い紙が一枚。
数学の小テストだった。
二年生のときのもの。
ユウキのものではない。
名前。
仁科ミヤビ。
点数。
百点。
「……やっぱ数学得意じゃん」
思わず笑った。
便箋を開く。
『ユウキくんへ。
これを読むころには、私はもう帰っていると思います。
最初に謝ります。
数学が苦手だと言ったのは、やっぱり完全な嘘でした。
むしろ数学は好きです。
あの日見せた問題も全部解けました。
ごめんなさい。
でも。
ユウキくんに声をかけた理由まで、全部嘘だったわけじゃありません。』
ユウキは。
続きを読んだ。
*
二年生の冬。
ミヤビは図書室で。
ユウキを見かけた。
友達に数学を教えていた。
何度間違えられても。
馬鹿にせず。
怒らず。
別の説明を考えていた。
『ここまで分かったなら大丈夫』
そう言って笑った。
その言葉を。
ミヤビは覚えていた。
『そのころの私は、もう何人もの人と付き合っていました。
自分でもおかしいと思っていました。
でも、一人になるのが怖くてやめられませんでした。
そんなとき。
ユウキくんを見つけました。
優しそうだと思いました。
この人なら私を嫌わないかもしれない。
そんな最低な理由で、ずっと少しだけ気になっていました。』
そして。
三年生の九月。
金曜日の相手との関係が終わった。
予定が空いた。
ミヤビは。
ユウキを思い出した。
『だから最初は、本当に最低でした。
金曜日が空いた。
だったら佐藤ユウキくんに声をかけてみよう。
それだけでした。
でも。
誰でもよかったわけではありません。
空いた金曜日に会いたいと思ったのは。
最初からユウキくんでした。』
ユウキの指が止まる。
*
『数学を教えてもらった最初の日。
本当は一時間も必要ありませんでした。
でも帰りたくありませんでした。
もっと話したかった。
だからわざとゆっくり問題を解きました。
連絡先を交換できたとき。
すごく嬉しかったです。
あの日。
家に帰ってから。
私は金曜日の予定に「ユウキ」と入れました。
最初は他の曜日と同じだと思っていました。
でも。
違いました。』
便箋に。
一滴だけ。
水滴の跡があった。
たぶん。
書いているときに落ちた涙。
『他の曜日は。
寂しくならないために会っていました。
金曜日だけは。
ユウキくんに会いたいから会っていました。』
ユウキは。
目を閉じた。
「……遅いよ」
そんなこと。
今さら知って。
どうしろというのか。
*
続きを読む。
『初めて手を繋いだ日。
初めてキスした日。
恋人になった日。
ユウキくんの部屋に初めて泊まった日。
全部覚えています。
ユウキくんにとって大切な初めてを、たくさん私がもらいました。
なのに私は。
同じくらい大切なものを返せませんでした。
嘘をつきました。
裏切りました。
だから。
別れたことを責めません。
当然だと思っています。』
そして。
最後。
『でも一つだけ。
覚えていてほしいです。
私はユウキくんを本当に好きでした。
今も好きです。
たぶん。
しばらくずっと好きです。
でも、もう追いかけません。
次に誰かを好きになるなら。
寂しさを埋めるためじゃなく。
その人一人だけを好きになれる私になります。
だから。
ユウキくんも幸せになってください。
半年間。
私の金曜日になってくれて。
ありがとう。
さようなら。
仁科ミヤビ』
読み終える。
長い間。
ユウキは動けなかった。
*
追いかければ。
まだ間に合う。
そう思った。
マンションを飛び出して。
駅へ走れば。
ミヤビに会えるかもしれない。
そして。
『やっぱり別れたくない』
そう言えば。
きっと。
ミヤビは泣いて頷く。
分かっていた。
それでも。
ユウキは立ち上がらなかった。
好きだから。
戻る。
それだけでは。
また同じところで傷つく。
信じたい。
でも。
まだ信じきれない。
そして。
そんな状態で付き合うことは。
きっと二人のためにならない。
「……さよなら、ミヤビ」
誰もいない部屋で。
初めて。
ちゃんと言った。
*
三月最後の金曜日。
午後四時。
ユウキは。
一人で駅前を歩いていた。
気づけば。
足が公園へ向かっていた。
初めて。
ミヤビとキスをした場所。
ベンチに座る。
半年。
金曜日になると。
必ずミヤビがいた。
「……暇だな」
呟く。
スマートフォンは鳴らない。
誰も。
『会いたい』
とは言わない。
寂しい。
でも。
これでいい。
今は。
そう思うことにした。
*
同じころ。
少し離れた街。
ミヤビも。
一人でいた。
スマートフォンの予定表を開く。
月曜日。
空白。
火曜日。
空白。
水曜日。
空白。
木曜日。
空白。
金曜日。
――ユウキ。
土曜日。
空白。
日曜日。
空白。
最後に残った名前。
指を置く。
削除。
確認画面。
『予定を削除しますか?』
ミヤビは。
しばらく動けなかった。
そして。
「……さよなら」
削除した。
一週間。
すべて空白になった。
以前のミヤビなら。
耐えられなかった。
空白を見るだけで怖かった。
今も怖い。
寂しい。
それでも。
誰かの名前で埋めようとは思わなかった。
「大丈夫」
自分に言う。
「一人でも、大丈夫」
涙は出た。
それでも。
予定表を閉じた。
*
四月。
大学の入学式。
佐藤ユウキは。
新品のジャケットに袖を通していた。
高校の制服は。
もうない。
周囲には。
知らない顔ばかり。
「佐藤ユウキくん?」
突然。
後ろから名前を呼ばれた。
振り返る。
そこにいたのは。
知らない少女だった。
明るい髪。
人懐っこい笑顔。
「やっぱり! 新入生のグループで名前見た!」
「えっと……」
「大西アグリ」
少女は笑う。
「同じ学部。よろしくね」
「ああ。よろしく」
その直後。
「あの」
別の声。
振り向く。
落ち着いた雰囲気の少女。
「ここ、経済学部の受付で合ってます?」
「たぶん」
「よかった」
彼女は胸元の資料を見る。
「桜井アヤネです」
そして。
さらに少し離れたところ。
一人で案内板を見上げている少女。
風に髪が揺れていた。
後に。
南イノリと名乗ることになる。
このとき。
ユウキはまだ知らない。
三人の少女が。
それぞれ違う形で。
自分の大学生活に入り込んでくることを。
*
入学式が終わる。
キャンパスを歩く。
スマートフォンが震えた。
一瞬。
胸が跳ねた。
ミヤビ。
そう思ってしまった。
違った。
大学からの通知だった。
「……まだ駄目だな」
苦笑する。
でも。
少しずつでいい。
忘れる必要はない。
前へ進めばいい。
ユウキは。
スマートフォンをポケットへ戻した。
*
そして。
同じ春。
別の大学。
仁科ミヤビも。
新しいキャンパスを歩いていた。
一人で。
誰とも付き合わず。
誰かで寂しさを埋めることもなく。
新しい生活を始めていた。
ふと。
スマートフォンを見る。
金曜日。
予定なし。
少しだけ。
胸が痛んだ。
でも。
笑った。
「頑張ろ」
誰に言うでもなく。
歩き出す。
二人は別々の春へ進んだ。
もう恋人ではない。
連絡もしない。
会う約束もない。
それでも。
二人ともまだ知らない。
何年か先。
偶然もう一度出会ったとき。
ユウキが最初に思うことを。
――綺麗になったな。
そして。
ミヤビが最初に思うことを。
――やっぱり、好き。
ただし。
それはまだ。
ずっと先の話だ。
今は。
新しい恋が始まる。
桜井アヤネ。
南イノリ。
大西アグリ。
三人との出会いが。
ユウキに。
好きになること。
信じること。
別れること。
そして。
もう一度誰かを信じることを教えていく。
そのすべてを経験した先で。
いつか。
空白になった金曜日に。
もう一度。
同じ名前が書かれる日が来る。
今度は。
七人目ではない。
たった一人として。
――第1期 完――
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ユウキたちの物語を少しでも「続きが気になる」「面白かった」と思っていただけましたら、評価をいただけると、とても励みになります。
また、
「このシーンが好き!」
「このキャラを応援したい!」
「ここからどうなるの!?」
「自分ならこうする!」
など、短い一言でも大歓迎です。
皆様の感想・コメント・レビュー、楽しく読ませていただきます。
特に推しキャラについて語っていただけるのも嬉しいです。
ユウキ、ミヤビ、アヤネ、イノリ、アグリ――。
物語が進むにつれて、それぞれの恋や選択も大きく動いていきます。
誰を好きになるか。
誰を応援するか。
ぜひ皆様自身の目で見届けてください。
そして、続きも読んでみたいと思っていただけましたら、作品のフォロー・ブックマークもしていただけると嬉しいです。
それでは、次のお話で。
次回もよろしくお願いします!




