第4話 血の匂いと、星の囁き
翔太は膝をつき、震える手で葵の体を抱き寄せた。白いワンピースの胸元が真っ赤に染まり、彼女の大きな瞳は驚いたまま固まっていた。さっきまで笑っていた顔、電車の中でスキップするように歩いていた後ろ姿、すべてが一瞬で失われた。
「うそ……だろ……」
蓮は数歩離れた場所で立ち尽くし、顔を真っ青にしていた。いつも余裕たっぷりの笑顔は完全に消え、唇が小刻みに震えていた。
零は、少し離れた位置で無言のまま立っていた。彼女は一度だけ葵の顔をじっと見つめ、すぐに視線を外した。
零は倒れた葵の傍らに跪き、静かに言った。
「……外に逃がせると、思ったのに」
零の声は低く、感情を押し殺したようだった。
「……蘇生は、可能かもしれない。ここでは無理だけど」
悠真が血走った目で零を振り向いた。
「何……? どういう意味だよ!」
「この遊園地の最深部に……『星の泉』がある。あそこなら、死者さえも——」
零はそこで言葉を切り、苦々しげに目を伏せた。
「星の泉って何だ? 葵を……生き返らせられるって、本当なのか?」
零は少し間を置いた。遠くからぬいぐるみたちの咆哮と、黒服の増援の足音が近づいてくる。
「詳しくは知らない。ただ……この遊園地の最深部に『星の泉』というものがあるって、施設の中で噂されてる。どんな願いも叶う力があるらしいって。死者に関することまでできるかどうかは……私にもわからない」
彼女の言葉は慎重で、確信はなさそうだった。
蓮が歯を食いしばって一歩踏み出した。
「わからないって……それだけかよ!? 葵が死んだんだぞ!」
「ええ。でも、ここにいても彼女は戻らない。あの男がまた来る前に動くなら、今しかない」
零は仮面の男が消えた暗闇を一瞬だけ警戒し、短く言った。
翔太は葵の冷たくなり始めた手を握りしめ、血に濡れた自分のシャツで拭った。涙が頰を伝うのも構わず、ゆっくりと立ち上がる。
「……行く。泉に行く。他に方法がないなら、それしかない」
蓮も拳を強く握り、頷いた。目には悲しみと、燃えるような怒りが混じっていた。
「俺もだ。絶対に……葵を連れ戻す」
零は小さく息を吐き、二人を順番に見た。
「わかった。案内する。最深部までは結構距離がある。生きて着ける保証はないけど……ついてきなさい」
零が先頭に立ち、翔太は葵の亡骸を背負う形にした。零が魔力で簡易的な膜を作ってくれたおかげで、多少は軽く感じられたが、それでも葵の重みは翔太の心にのしかかった。
四人(零、翔太、蓮、そして亡き葵を抱えた翔太)は、遊園地の奥へと進み始めた。
星の照明はまだ淡く輝いていたが、今やその光は血の匂いと死の残骸を優しく照らすだけのものになっていた。倒れた来園者たちの体があちこちに転がり、ぬいぐるみの破片が地面に散らばっている。巨大ウサギの片腕が、道路の端でまだピクピクと動いていた。
しばらく無言で歩いた後、零がぽつりと話し始めた。
「星の泉のことは、上層部しか詳しく知らない。でも、黒服の間ではこう言われてる。泉は『本物の魔力』で、普通の科学じゃ説明できない力を持ってるって。願いを叶える代わりに……何かしらの代償を要求する、らしい」
「代償……?」
翔太が息を荒げながら聞いた。
「そこまでは知らない。ただ、成功した実験体でも、泉に近づきすぎた人は何人も行方不明になってる。
欲張りすぎると、壊されるって話よ」
零の説明はあくまで小出しだった。彼女自身も完全には把握していない様子で、それが逆に現実味を帯びて聞こえた。
蓮が後ろから低く言った。
「お前……本当に味方なのか? 黒服のくせに、なんで俺たちを助けてる?」
零は振り返らずに答えた。
「……理由は今はいい。ただ、あの子の顔を見たら、放っておけなくなった。それだけ」
彼女の声には、それ以上の詮索を拒む響きがあった。翔太は零の背中を見つめながら、胸に疑問を溜め込んだ。葵の亡骸の重さが、足取りを重くする。
道中で小型のぬいぐるみが三体が襲ってきた。零が青い魔力の刃で二体を瞬時に切り裂き、残る一体を翔太と蓮で協力して叩き潰した。綿と血が混じった感触が手に残り、翔太は吐き気を堪えた。
「もう……こんなの、嫌だ……」
翔太が小さく呟くと、零が静かに言った。
「嫌なら今すぐ諦めなさい。でも、諦めたら彼女は永遠にこのままよ」
その言葉に、翔太は唇を強く噛んだ。
園内が深くなるにつれ、空気が重く淀み、肌に微かなざわめきのようなものが感じられるようになった。星の照明の色が、青白く冷たいものに変わっていく。
零が前を見据えたまま、もう一度だけ小さく呟いた。
「泉に着いたら……その時に、本当のことはわかるはず」
翔太は葵の亡骸を背負い直し、足を前に進めた。
蓮は翔太の背中を、複雑な眼差しで見つめていた。悲しみ、怒り、そして胸の奥でくすぶる黒い感情——すべてを押し殺して。
星の泉は、まだ遠い。最奥までの道のりは、長く、残酷なものになりそうだった。
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