第3話 壊れたぬいぐるみと、黒い服の少女
女の子の細い腕が、ぐちゃりと音を立てて曲がった。骨の折れる嫌な音が、歪んだ音楽にかき消されそうになる。クマのふわふわした毛皮の下から、赤く光る目が獲物を貪るように細められた。次の瞬間、クマは女の子を振り回し、近くのベンチに叩きつけた。血が飛び散り、悲鳴が連鎖した。
「うわあああっ!?」
「何これ……!?」
悠真は咄嗟に葵の手を強く握った。葵の顔は真っ青で、ワンピースの裾が乱れ、息が荒くなっていた。
「悠真くん……怖いよ……」
「離すな! 絶対に離すなよ!」
高橋蓮が前に出て二人を庇うように立ち、声を張り上げた。
「何だよこれ……演出か!? いや、ありえないだろ!」
蓮の声が上ずっていた。パレードの他のぬいぐるみたちも、次々と動きを止め、客に向かって歩き始めた。ウサギの耳が血に濡れ、星の妖精の笑顔が引きつったまま歪んでいる。すべてが、魔術のように不自然だった。
園内が一瞬でパニックに包まれた。人が押し合いへし合い、転倒する者、泣き叫ぶ子供、逃げ惑う親。
そこへ——
黒いスーツを着たスタッフたちが、整然と現れた。彼らは無表情で、腰に下げた特殊な警棒のようなものを構えていた。一人が近くにいた男性客の背中を、容赦なく殴りつけた。警棒の先端が青白く光り、男の体が痙攣して倒れる。
「逃げろ! 外だ、外に向かうぞ!」
蓮が叫び、三人は人波に逆らって中央広場から離れようとした。
「怖い……どうして? みんな、急に……」
葵の声が震える。悠真は彼女の手を強く握りしめ、絶対に離さないと心に誓った。その手は冷たく、小さくて、守らなければならないと思った。
三人が園内の小道に逃げ込んだ時、後ろから新たな悲鳴が上がった。振り返ると、巨大ウサギのぬいぐるみが中年女性の首を、ふわふわの腕で締め上げていた。女性の足が宙でばたつき、すぐに動かなくなった。血が白い毛皮を赤黒く染めていく。
「吐きそう……」
葵が口元を押さえた。悠真も胃がひっくり返りそうだったが、葵を気丈に支えた。
その時、黒服のスタッフの一団が三人の進路を塞いだ。五人ほど。皆、表情がなく、目だけが不自然に輝いている。
「対象を確認。排除せよ」
機械的な声で一人が言い、警棒を構えた。
蓮が前に出た。
「てめえら、何なんだよ! ふざけんな!」
バスケで鍛えた体躯を活かし、蓮は一番近くの黒服に体当たりを仕掛けた。しかし、相手はびくともせず、逆に蓮の腹を警棒で殴り飛ばした。蓮が地面に転がり、苦悶の声を上げる。
「蓮くん!」
葵が駆け寄ろうとした瞬間、別の黒服が彼女に迫った。警棒が振り上げられる。
「葵っ!」
悠真が叫び、葵を突き飛ばして自分の体で庇おうとした。その刹那——
青白い光が閃いた。
黒服の一人が、突然、後ろから別の黒服を魔力のような青い炎で吹き飛ばした。
現れたのは、少女だった。
黒いスーツに身を包み、銀色の短髪が鋭く切り揃えられている。年齢は十七、八歳くらいか。冷たい瞳と、左頰に小さな星型の痣。彼女の周囲に淡い青い粒子が舞っていた。
「No.07……お前、何をしている」
残りの黒服が低く唸る。
少女は答えず、掌から放った青い光で残りの二人をまとめて薙ぎ払った。彼らは地面に叩きつけられ、動かなくなった。
少女──零は、無表情のまま三人に向き直った。
「私は零よ……ついてきなさい。今ならまだ、外に逃げられる」
声は低く抑揚が少なかった。なぜ助けたのか、一切説明しない。ただ、彼女の視線が特に葵の顔に留まった瞬間、わずかに眉が動いたのを悠真は見逃さなかった。
葵が震える声で言った。
「あ、ありがとう……お姉さん」
零は一瞬、目を伏せた。何も答えず、ただ「早く」とだけ促した。
四人は零を先頭に、崩れゆく遊園地を走った。ぬいぐるみたちの咆哮と、黒服の足音が背後に迫る。園内の星の照明が、血の匂いを優しく、しかし不気味に照らしていた。
「外の出口はあっちだ。ゲートまで一直線に——」
零が短く指示を出す。彼女の動きは正確で、時折小さな魔力の盾を展開して追ってくる脅威を弾いていた。悠真は零の背中を見ながら、胸に疑問が渦巻くのを感じた。
(この子は……誰なんだ? 黒服なのに、なぜ俺たちを?)
蓮も息を荒げながら零を警戒していたが、今は他に選択肢がないのは明らかだった。
しかし、彼らが外壁に近づいた直前——
地面が大きく震えた。
前方から、重い足音が響いてくる。身長180cmは優に超える大柄の影。白い仮面に、星の模様が刻まれている。黒いコートを纏った男が、ゆっくりと歩み出てきた。
仮面の男。
その存在感だけで空気が凍りついた。
「…………」
仮面の男は無言で右手を上げた。掌に青黒い魔力が渦を巻く。
零の表情が初めて大きく変わった。
「——来るな!」
零が叫んだ瞬間、仮面の男の魔力が奔流となって放たれた。零が展開した盾が砕け散り、衝撃が三人を襲う。
葵が吹き飛ばされ、地面に転がった。
「葵っ!」
悠真が駆け寄ろうとしたが、仮面の男の動きは速かった。大柄とは思えない速度で間合いを詰め、葵の胸を——容赦なく貫いた。
ぐちゃり、という湿った音。
葵の目が見開かれ、口から血が溢れた。白いワンピースに赤い染みが広がっていく。
「いや……あ……」
葵の細い指が、悠真に向かってわずかに伸びた。星型のピアスが、照明にきらりと光って——落ちた。
彼女の体が、くたりと崩れ落ちる。
その瞬間、遊園地の星の灯が、すべてが、悠真の目には血の色に染まって見えた。
「葵————————!!」
悠真の絶叫が響いた。蓮は膝をつき、顔を歪めて声を失っていた。
零は唇を噛みしめ、仮面の男を睨みつけた。仮面の男はゆっくりと手を引き、血に濡れた掌を無造作に振り払うと、再び暗闇の奥へと姿を消した。まるで用が済んだと言わんばかりに。
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