あなたのところまで
「俺は、ここで別れる。この娘だけ、連れて行って欲しい」
その強弱の感じられない声を聞いて、私は体がビクリと跳ねた。
「なっ、アズラ。あなたは何を言っているの!?」
「……ここで俺と別れることが、最良の選択だろう」
「バカなことを仰らないで、こんな森の中で、あなたはどうするおつもりなのっ」
「世話になった。ありがとう」
アズラはそれだけを言い残して、さっさと木々の間を抜けて行く。
私は冒険者たちに先ほどしたお願いの断りを入れ、すぐに後を追う。
――行かないで、アズラ!
無言で森を進む彼の腕を必死に掴む。
「やめろ」と振り払われても。「触るな」と振り払われても。諦めずに何度もその手や腕に触れ続けた。
「呪い持ちがなんだっていうのよ」
「お前なんかに、俺の何が分かる」
「なんですって!?」
この男は、ちょっと強情すぎるんじゃないかしら!
そんな怒りじみた感情が込み上げてきて、彼の尻をめがけて片足を振り上げた。
……ちょっと当ててやるだけのつもりだったと言い訳させて欲しい。
子供の短い片足は彼のお尻の位置まで届かず。綺麗な曲線を描いたつま先は、彼の太股裏に突き刺さっていた。
「――だっ!?」
短い悲鳴を上げてその場に倒れ込むアズラ。どうやら打ち所が悪かったらしい。足を抱え込んで瀕死のヘビみたいな動きで悶絶している。
やだっ、ちょっとやりすぎちゃったかしら。
「ごめんなさい。大丈夫?」
「なに、する、んだ……」
「ごめんってば。でも、あなたが強情なのが悪いのよ?」
そう言ってやると、彼は「ぐっ」と唸ってから身を起こした。私はすぐに空を仰ぐ。
「さぁ、早く森を抜けないと日が沈んでしまいますわ」
「なぜだ。なぜ、俺を連れていこうとする」
「お腹が空いてすぐ倒れるような人を放っておけないの。それだけよ」
あなたに心惹かれ始めているからとは、口が裂けても言えなかった。
あくまでも可哀想なアズラに同情したからというスタンスを貫いておく。
「こうしましょう。今日からわたくしが親鳥で、あなたは雛よ」
「……雛」
かなり複雑そうな顔をする彼は、こちらに言い返せない臆病者じゃないような気がした。
きっと。
優しすぎるの。だから、わたくしのような小娘にだって素直に従ってしまうのだわ。
「さぁ、アズラ。後に着いていらっしゃい。森を抜けるわよ」
ダンジョンがあって冒険者がいたということは道があるということでもある。私は先ほどの場所まで戻ろうと今来た道へ足を向けた。
遺跡のようなダンジョンへ戻ると、先ほど出会った冒険者たちがまだその場に留まっていた。
詳しく話を聞いてみると、彼らは私たちを心配してくれていたらしい。
「先ほどはすまなかった。森の出口までなら同行しよう」
なんてイケメンな男たちだろう。素晴らしい。彼らこそまさしく冒険者の鏡だ。
そのように三人を褒めちぎりながら全員で森の出口へ歩いていると、彼らはずいぶん気分を良くしたらしい。薬草などのアイテムをたくさん恵んでくれた。
ただ、男たちはアズラとは一切視線を合わさなかったし、完全に空気扱いで無視を決め込んでいる。
わざと私に大げさな形で話しかけてくる態度には本当にイライラさせられた。
しかし、面倒事に発展しないように何も言わずに済ませることにしたのだ。
いくら親切な男たちでも、この仕打ちは一生許せないと思う。もちろん、何事も無いように振る舞った自分を含めてだ。
「信じられない!」
冒険者たちと別れて街へ向かっている間もずっと憤っている私に対して、アズラは肩を竦めた。
「気にするな、馴れている」
――そんなもの、馴れるものじゃないわ。
そう思ったけど偉そうに言える立場ではないので黙っておいた。代わりのように口から酷い言葉が飛び出す。
「その言葉、わたくしの前で二度と言わないでちょうだい」
投げ出された心中の激しい憤り。それは先ほど思った言葉と差ほど変わらないように思えた。
相手を傷つける言動には違いない。苛立っていたからなんていうのは言い訳にすぎないだろう。
アズラの顔をそっと見上げれば、そこには引き吊った笑みがあった。
驚くことに、彼は広角をピクピクとさせながら懸命な様子で『笑顔』を作っていたのである。
もしかしたら。「なにその顔」と私に笑って欲しかったのかも知れない。
でも、その期待には応えられなかった。
「ううっ……」
溢れた涙が、頬を伝わって落ちる。それはボロボロと流れ出てとまらない。
「ごめん、なさい……」
これが何に対する謝罪なのか。
きちんと伝えなければならないのにギュっと咽が閉まって声が出てくれない。
「おい。それは、一体なんのつもりだ?」
アズラは珍しく眉を潜めて怖い顔をしている。
それを目にした瞬間、感情を押さえられなくなって、わっと泣き出してしまった。
「アズ、アズ、ラ。ごめ、ごめん、な、さいっ」
譫言のように同じような謝罪を繰り返す。ひたすら謝っていると、意外にもアズラはブッと吹き出した。
彼は静かに腹を抱えながら言う。
「……冗談だ」
「なっ、ん。あ、ねっ」
なんだ、あなたも冗談を言うのね。そう言いたかったけれど言葉にならなかった。
アズラはすぐにいつもの無表情へと戻ってしまう。
それでも。
彼の濁った双眸が今はとても美しく、眩しいほどの輝きを放っているようであった。
+++
日が暮れ始めた頃合いで、ようやく目的地の街へと辿り着いた。
街の中心部にあった噴水の縁に並んで腰掛けながら、露店で買った蒸かし芋を手にしている。
――正直、めちゃくちゃ気まずい。
私は一方的に切れた挙げ句、子供のように泣いき喚いてしまった。
彼はそんなこと気にしていないだろうけど、会話をすることもなく、ひたすら口の中へ芋を放り込むだけという状態だ。
それに加えて、先ほどから周囲の視線が痛いったらない。
通りかかる大人たちが、揃いも揃ってこちらに訝しげな顔を向けてくるからだ。
そりゃあ、怖いほどの無表情を浮かべる男と、泣き腫らした顔の少女が並んでいる姿はさぞかし怪しく映るだろう。
芋を食べていなければ犯罪臭が漂っていたかも知れない。ああ、蒸かし芋よ。感謝します。ありがとう。
そんなことを考えながらモグモグ口を動かしていたら、どこからか派手な格好の青年が現れた。
「ボンソワ~ル」
どこかで聞いたような言葉を発した彼は金髪頭にトンガリ帽子、カラフルな縞模様な服、手には枇杷のような丸形をした弦楽器を持っている。
その姿は凄まじく派手で目立っていた。
「どちら様? わたくしたちに何かご用?」
そう声をかけると彼は弦楽器をジャランと鳴らしてから、胸に片手を当てて優雅に腰を曲げた。
「お初つにお目に掛かります。わた~くしは『トルバドゥール』で~す」
彼はまるで歌うような発声で自己紹介のようなことをした。そのトゥルーなんちゃらという聞き慣れない単語に首を傾げる。
「とぅるーどばーる?」
「トルバドゥールですよ、お嬢さ~ん」
意味が分からないので、同じようにちょこんと首を傾げてみる。
隣に座っていたアズラが一言、「吟遊詩人か」と呟いた。
それを聞いた派手な青年、吟遊詩人はジャランと弦楽器を鳴らす。
「その通りで~す」
「……ふーん。じゃあ、吟遊詩人っていうのはなぁに?」
私の口から飛び出した疑問には、何故かアズラが答える。
「歌うのが生業の奴らだ」
「まぁ、歌手だったのね。――それで? その吟遊詩人さんが何のご用なのかしら」
そう問いかけると吟遊詩人は歌うような口調をやめ、急に慎重な声となる。
「ああ、いえね。実はお二人が神妙な空気を纏っておいでだったので……つまり、そのなんと申せばいいだろうか……」
言いづらそうにしている彼が口にしたいことは察しがつく。大方、怪しい二人組とでも思われたのだろう。
「もしかして、誘拐か何かかと思ったの?」
吟遊詩人は片手で頭を掻きながら「ハハハ」と乾いた笑いを漏らす。
やはり犯罪臭がしていたらしい。この青年は、心配してわざわざ声をかけてくれたようだ。
「アズラはわたくしの友人なの。一緒に森を抜けて来たばかりよ」
「ああっ!? それは大変、失礼を致しました」
「いいえ」と首を横に振った。吟遊詩人は柔らかく笑んでから、こんな提案をしてくれる。
「あのう、お詫びと言ってはなんですが。よろしければ一曲、お聞かせしましょうか」
「えっ、歌ってくれるの?」
「ええ。お二方が、よろしければ」
私は期待を込めながら何度も頷く。こちらに視線を投げていたアズラも同様に顎を引いていた。
「それでは失礼して……」
青年は弦楽器を丁寧に鳴らしながら、周囲にテノールの美声を響き渡らせた。
彼の唇から紡がれていくのは愛の賛歌だ。情熱的な旋律に耳を澄ませると心の中が洗われたような気がする。
私は静かに瞳を閉じながら、肩を並べていた温もりへと想いを馳せたのだった。




