生け贄の祭壇
――テレジア!
アズラがそんな叫び声を上げた時には、彼女はエーヌと共にぐったりと地に伏していた。
見覚えのない、謎の男が鼻を鳴らす。
「ハン、死んじゃねぇよ。ほら。さっさと来い、アズラ」
その言葉に反して、アズラは動かなかった。当然の疑問を投げる。
「お前は、誰だ」
「関係ねぇ。さっさと着いて来ねぇと、そいつらマジでぶっ殺すぞッ!!」
相手が鎖鎌を構える。考えるまでもなく、男の言う通りに着いて行くしかないようだ。
それは否応なしだ。アズラは彼の背へと続く。
ダンジョン区域から出ると、待機していたらしい馬車の中へと押し込まれる。
高級感のある黒塗りの馬車に揺られながら、アズラの頭の中はテレジアとエーヌの安否で一杯だった。
自分に何が起ころうと、そんなことは構わない。二人は無事だろうか。そればかりが頭の中を駆けめぐっていた。
馬車がたどり着いたのは、古びた教会の前だ。ここは以前に来たことがある。
「降りろ」という男の言葉で下車する。次の命令は「入れ」だった。
その言葉通りに教会の内部へ足を踏み入れる。
そこは以前に来た時と変わりない。
朽ちた礼拝堂、壊れた木製の椅子が乱雑に詰まれた床には割れたステンドグラスの破片が散らばっており、赤黒い液体が散布していた。
天井にはシャンデリアが軋む音を立てながら揺れている……そこまでを考えてから声を上げた。
「お前は、何故、俺のことを知っている」
口から放たれた疑問の答えは、すぐに与えられた。
「オレ様が掃除屋だから……」
掃除屋は罪を犯した手配者を暗殺するのが役目だ。
それをアズラは知っていた。だから自分は殺されるのだと薄々、感づいている。
しかし、どうしてこんなところまで連れてこられたのか。あの場で殺そうと思えば、そう出来たはずだ。
その訳を知りたいと思ったから、アズラは素直に従った。
先導していた男が振り返る。目元は黒布で隠されていて表情が窺えない。
彼は口元を半月のように歪ませた。
「オレ様が掃除屋だから……って言うと思ったのかよォ! ヒャッハーッ!!」
男が放った鎖鎌が首元を横切って、背後の壁へ突き刺さる。
「……」
「なぁ、アズラよォ!?」
アズラは疑問だった。この男は何故、すぐに自分を殺さないのか……。
「俺を、知っているのか?」
「……」
今度は相手が無言となった。鎖鎌が手元へ戻されると、男は踵を返すように教会の奥へと歩き出す。
「来いよ。真実が知りたいってんならな……」
***
「アズラ、テメェはドコまで覚えてる?」
教壇に腰掛けた男の声が響く。アズラは古い記憶を思い出そうとしたが、その瞬間には頭が痛んで額を押さえた。
「何も覚えてないよぉー。ってか?」
「俺は……」
「だからよォ!! テメェは何で、どっから来たんだって聞いてんだよ!! マジで忘れちまったってのかァ!!」
男が教壇の上を強く叩いた。その音が周囲に響き渡る。
そんなものに怯えるつもりは無いのに体が震える。
それは、自分の過去を暴きたくないというアズラの静かな抵抗であった。
「俺は、俺は孤児で……」
「そうそう、それでいんだよ」
教会で拾われ、成長すると呪い持ちとなった。そして見世物として身を売り、いつの間にか罪人となっていた。
アズラが知っているところまでを話し終えると、男が腕を組んだ。
「ちったーまともに話せるじゃねぇか。もっとぶっ壊れちまってると思ったが……」
「お前、お前は、俺の何を知っているんだ」
「……なぁんだって? 聞こえねぇよ。まともに伝えやがれ」
「俺の何を――」
「テメェじゃねぇよ!! 黙ってろ屑がッ!!」
「……」
男は耳を澄ましているような動作で誰かと会話をしている。
「『あはは、オレってばいい子でしょ。あとで頭なでなでしてね。絶対だよぉ』って言っとけ」
猫撫で声を出しながら、口元をニヤつかせている男。その不気味さに思わず苦笑が漏れた。
しばらくすると彼が再び、アズラの方を向く。
「あー、悪りぃ、悪りぃ。ちょっと立て込んでた。そんで、何だっけ?」
「何故、俺のことを知っている」
「嗚呼。まぁ正直、知りたくもなかったけどなァ」
「教えてくれ。俺は何なんだ」
「何って、呪い持ちだろー」
「どうして、茨の呪いを受けたんだ?」
「さぁ? 悪魔の仕業だろ」
男の口元がニヤつく。
――悪魔の仕業。その言葉に思い当たる節があった。
薄い記憶を辿る。
それは、アズラの幼少期。何度も聞かされた言葉だ。
悪魔の仕業だから。という声が頭の中に響く。……これは神父様の声だ。
「神父様」
アズラの口から飛び出したその言葉に、男が反応した。突然、豹変したように喚き出す。
「テメェが、テメェの、テメェがいたからァ!!」
鎖鎌がアズラの頬を掠める。チクリとした痛みと血液が頬を伝うのが分かった。
「……ハァハァハァハァ!! クソッ、クソッ!! 殺す、絶対、殺してやる!! 死ね!! 死ねよ、アズラッ!!」
そこまで恨まれるようなことがあったかは分からない。それでも「そう望まれているならば」と口を開く。
「……俺は、構わない」
「ア?」
「殺したければ、そうすればいい」
「……」
「俺は、構わない」
「……ざけんな。――ふざけんな!! 殺されたいやつ殺して何になるってんだ、よォオオオ!!」
男は半狂乱になりながら、襲いかかってくる。
しかし、アズラは抵抗しなかった。そのまま押し倒されて、床へ体を打ちつけてしまう。
男は馬乗りになりながら叫び続ける。
「生きたいって、生きたいって言えよ!! 死にたくないって怯えろよ!! ふざけんな、ふざけんなよ!!」
「……すまない」
その一言で、男は停止した。悔しそうに歯を鳴らした瞬間。
「その辺りにしておきたまえ」
今まで会話していた彼とは別の、凛とした声がした。馬乗りになっていた男が離れていく。
教会の扉に立っていたのは、杖をついた初老の紳士だった。白髪の彼は優しげな風貌で、こちらへ微笑みかけている。
「――パパァ!!」
男が飛び跳ねるように紳士の方へ駆けていく。
彼はすぐさま紳士の足下へひざまずいて、その腕にすがりつくように頭をすりつけ始めた。
「サーヂャー、良くやった。上出来だ」
「頭、なでなでってして! すぐして、お願い!」
初老の紳士はサーヂャーと呼ばれた男を無視して、アズラの方へ歩み寄ってくる。
「ああ、アズラ。良かった。ずっと心配していたのだよ」
「……誰だ」
「忘れてしまうのも無理はない。私はお前を拾って育てた神父だよ」
「神父……様?」
その刹那、アズラの脳内を駆け巡るように記憶が再生された。
居場所がなかった自分へ優しい手を差し伸べてくれた、いつも暖かく自分を迎え入れてくれた。
確かに、彼は神父様。その人だった。
「――ギャアアア!!」
伸ばした両手は神父に届く前に、サーヂャーによって振り払われた。その苦悶じみた叫びと衝撃で他の記憶が再生される。
怪しい祭壇。掲げられているのは幼い自分だ。悪魔の仕業、悪魔の仕業だから……、暗闇で神父が呟く。
アズラは頭を押さえながら起きあがった。
「神父様が。俺に何の用だ」
「もちろん、君を迎えにきたのだよ。ああ、アズラ、私の愛し子……」
うっとりとした笑みを浮かべる神父の手が頬に触れる。ゾッと体が震えるのが分かった。
「パパァ!! オレだよ。オレを見て、オレのこと見てよぉ!!」
サーヂャーが暴れ出すと、神父は床に杖を打ち鳴らす。
「少し黙りなさい、サーヂャー」
「やだぁ、やだよぉ、オレを見てよぉ、すごいって褒めてよぉ、ここまでアズラを連れてきたのはオレなのにぃ!!」
「……喧しい」
「うああん、オレを見てよぉ、お願いだから、こっちを見てよぉ、パパァ、パパァ!!」
「黙れと言っているッ」
神父は鬼のような形相で、杖を振り上げた。それはサーヂャーの頬を強く打ち、彼は床を転がっていく。
「痛い、痛いよぉ。ごめんなさい。ごめんなさい!!」
喚き声を上げながら大泣きする男、サーヂャーにアズラは眉を寄せた。
先ほどまで会話していた人とは思えない変貌ぶりだったからだ。
「ああ、アズラ。そんな顔をしていでおくれ。あんな凡愚は気にしないでいいから、さぁ、こっちへおいで」
手招く神父は清々しいほどの笑顔を浮かべている。アズラはまた背がゾッと震えるのが分かった。
「お待ちなさい!」
再び、違う声が響く。この声の主は知っている。
――テレジア。
教会の扉の前で、その少女が仁王立ちをしている。アズラは心から溢れるような安堵感を覚えた。




