一緒に食卓を囲んだら
気温はすっかり低くなった。
外は雪が降ってもおかしくないほどの気候なのに私の心は『ほっかほか』である。
家路に着くその足取りは軽い。ご機嫌で腕にかけている大きな編みカゴを揺らしていた。
アズラの驚いた顔を想像をしては「ぐふふふ」と笑みを漏らす。
「アズラってば喜んでくれるかしらっ」
なんといっても、この編みカゴには大きな夢が詰まっているのだ。
それは愛情たっぷり、おまけにラムレーズンもたっぷり使用した特製のアップルパイである。
大人の顔ほどもあるそれを美味しそうに頬張っている彼をこの何日も妄想して悶えていたのだから、今日は鼻歌が飛び出しても当然だろう。
というのも。
全てはエーヌ事件でお世話になったアズラに感謝するべく立てた計画だった。
イルマ宅のキッチンを借りて大きなパイを焼き、二人っきりの時にプレゼントするという私にとっても、アズラにとってもハッピーなサプライズなのだ。
「アズラってば、喜んでくれるといいけれど。嬉しすぎて抱きつかれちゃったりしたらどうしようかしら。ぐふふっ」
可憐な少女が、恐ろしくやらしい笑みを浮かべながら石畳をスキップしてゆく。
住民から注がれる『痛々しいものを見る目』なんて全く気にならないわっ。
うきうき気分で自宅である店の扉を開いた。
「ただいまですわっ!」
店内には待ち遠しい彼の姿……ではなく、分厚いコートマントを羽織った怪しい者が腕を組みながら仁王立ちしていた。
「よう」
不躾な短い挨拶をしたその姿は、どう見ても偉そうである。思い当たる人物はもちろん一人しかいない。
「あら、『寂しん坊』じゃない」
「おい、その呼び方やめろ」
「じゃあ、かわいい子犬ちゃん?」
「ふざけんな、俺はイヌじゃねぇよ!」
身を乗り出す勢いでぎゃんぎゃんと五月蠅い声をたてる姿に、安堵のような息が出た。
「それだけ元気なら体の方は大丈夫ね。頭は相変わらず悪そうだけれど」
「んだとっ! 折角、わざわざこうして詫びにきてやったってのによ」
お詫びという言葉を受けた私は、その意外すぎる言動に「あらまぁ」という声が出た。
「あなた一体、何を詫びるっていうの。あなたを捜していた時にわたくしが負った怪我のこと? それとも、アズラに酷い負担をかけたこと? ああ、関係のない皆様にまで迷惑をかけたことかしら……」
「だあ、もういい。分かったよ。迷惑かけて悪かった。この通りです!」
彼はフードを脱いでから勢いよく頭を下げた。でも、それは違うわ。あなたは間違っている。
「詫びることなんてないわ。その代わりちゃんとお礼を言いなさい。アズラにもよ?」
「あっ、ああ。それもそうか……」
エーヌは、ばつが悪そうに片足をブラブラと動かしている。その視線が私の持っていた編みカゴに注がれた。
「なんだそれ。何か、甘い匂いがするけど」
「ああ、これね。アッ……ぶううううっ!!」
話し相手の背後に対象者の陰を見つけて心臓が跳ねた。そこにはアズラがいつもの様子で立っていたのである。
エーヌの方が小首を傾げる。
「アッブウウウ?」
そうよ、全く危ぶないわね。これは二人っきりの時に渡す予定なんだから!
さぁ、あなたは空気読んでお家へお帰りなさい。
そう思ったけれど、エーヌはアズラにも何か言いたいようだ。
しかし、言葉が出てこないのか、もじもじと身を捩っている。
彼らの隙を見て、私は素早くカウンターまで行って、さりげなく編みカゴを上へ乗せた。
自然な様子を装って、二人の側へと戻ると口を開く。
「ねぇ、アズラ。エーヌってば、あなたにお礼を言いたいんですって」
「――んなっ!? ち、違う。余計なこと言うなっ」
いや、違わないでしょう。そうじゃなければなんなの。
こんな時に変なツンデレのツン出さないでちょうだい。
っていうか、わたくしはあなたのご帰宅を切望しているのよ。
ほら。早くお礼言ってから、ハウスっ!
脳内で言いたいことがグルグルと巡っている。エーヌの方はまだもじもじとしていた。
「いや。違うってこともないけど。あのさ、えっと、だから……」
「いいから。ウジウジしてないで、早く仰い!」
「なんだよ、マスター。なんで、怒ってるんだよ」
「怒ってないわ」
「顔、怖くねぇか?」
「元々こんな顔よ、失礼ね」
「いや、いつもはもっと可愛いじゃんか」
「ちょっ、なに!? いいから、こんな時にツンデレのデレ発動しないでいいから!」
「つんでれの、でれ? 発動?」
エーヌはきょとんとしている。彼の隣に並んでいたアズラも目を丸くしていたが、それどころじゃなくて。
わたくしはアズラと早く二人きりになりたいんだってば!!
「マスターさぁ。また妙な口調になってるぞ。あはは、変なのっ」
満面の笑みを見せるエーヌに、思わず脱力してしまう。
はぁ……。その笑顔、プライスレス……。
+++
「……飲み物だ」
リビングのテーブルで、アズラがエーヌの前に差し出した木のマグ。それにはミルクが並々と注がれていた。
我が家にある飲料で選べるものは紅茶かエールという日本で言うところのビールに似たお酒かミルクという三択である。
その中からアズラが何故ミルクを選んだのかは分からないが、エーヌはそれを嬉しそうに受け取って口へ含んでいた。
というか、アズラはどうして彼を招き入れたの? まさか、わたくしと二人っきりになるのが嫌だというの……うううっ。
そんな絶望感を味わっていると、エーヌがおずおずとした様子で切り出した。
「あの、アズラさん。俺、お詫びに来たんですけど。詫びより先にお礼だってマスターが言うから、その」
それを聞いたアズラは相変わらずの薄い表情でこっくりと頷いた。
「俺のこと助けてくれたって聞いてたから。アズラさんがいなかったら死んでたって……。だから、ありがとうございました」
エーヌは立ち上がってから彼へと頭を下げた。
アズラが無言でこちらを見るので、私はにこりと笑んだ。
「なぁに?」
「いや、全ては。テレジアがいた、お陰だろう」
アズラはエーヌへ「だから、気にするな」とつけ加えた。
別にわたくしが凄いことをした訳ではないけれど。彼の意識内ではそういうことになっているようだ。
「……あ、ありがとう。マスター」
エーヌは照れたように頬を染めた。それから顔を逸らして、話題を変えるかのように言葉をつけ加える。
「なぁ、さっき持ってた甘いもん。店に置きっぱなしでいいのか?」
――おいこら。
いくら温厚なわたくしでも、そのお喋りな口を閉じないとは怒りますわよ。
テーブルの下で拳を硬く握っていると、アズラがすっと目を細めた。
「なんだ? 食べ物の話か?」
ほらー、バレちゃったじゃないのよぉ。エーヌのおバカぁ。
どうやらこの異世界は世知辛いようだ。甘い夢というやつは、叶ってくれないらしい。
私はサプライズを諦めて店舗へと戻った。編みカゴを持ってくると、かけてあった布を外してからパイの乗った皿を出す。
「これはアズラへのプレゼントですわ」
じゃじゃーんと登場した大きなアップルパイを目の当たりにした彼は、黄金色の瞳を鋭く輝かせた。
「イルマと一緒に焼いたパイよ。ぜーんぶ、アズラのものよ」
そう言うと、普段から変わらない顔をギラギラとさせるアズラ。そんな彼の姿を見られただけでも儲けものだと思っておこう。
だが、その隣でエーヌが「美味そう」と涎を垂らさんばかりに顔の筋肉を緩めている。
どうにも分け与えなければならない雰囲気だ。
「いい? エーヌのじゃなくってよ。アズラに焼いてきたのだからねっ」
そう言うとエーヌは「えーっ!」と叫びださんばかりに不満そうな顔をした。
――ちょっと、あなた。図々しくなくて?
しかし、優しいアズラは「一緒に、食おう。テレジアも」と言ってくれた。
「ありがとう。それじゃあ、わたくしも少しだけ頂くことにするわね」
キッチンでパイを切り分けながら、彼の優しさにじんわりと感じ入る。テーブルの方へ視線を向けると、アズラとエーヌが愉快な様子で談笑していた。
二人っきりにはなれなかったけれど、これはこれで「あり」なのかなぁと思う。
私は切り分けたアップルパイを手に楽しそうな彼らの輪へと戻ったのだ。




