平和な日に
鏡台に映っているのは寝惚け顔の少女だった。
ゴタゴタしている間に誕生日を迎えて、十五歳となった私である。
「……ふぁ、まだ眠いですわ」
宝石のように輝く紫水晶の瞳から視線を外して、化粧箱から飛び出ていたヘアブラシの杖を掴む。
腰元まで伸びたオールドローズの長髪を丁寧にブラッシングしていくと、ふわふわと柔らかな毛は程良く馴染んでくれた。
次にクローゼットを開き、お気に入りのエプロンドレスを手にする。
触り心地の良い厚手の生地、色は上品なワインレッド。
襟元や袖端には黒地のフリルがあしらわれており、細部まで職人のこだわりが詰まっている一着だ。
満足げに深く頷いてから身に纏う。
白色のタイツとふかふか素材のルームシューズを履いてから、最後の仕上げに側頭部の辺りへピョンピョンと二つくくりを作る。これで準備は完了だ。
鏡の前でクルリと一回転。ボリュームのあるスカートが舞い上がって太股へ絡みつく。
「ふふっ、今日も素敵なお嬢さんに仕上がりましてよ。テレジア」
たっぷりと自画自賛したところで、窓の外から男の甲高い声が響いてきた。
「おはようございます。お届け物ですっ!」
すぐさま窓枠に手をつく。
少しばかりの背伸びをしながら下を覗き込むと、こちらに気づいた配達人らしき青年が若草のような蒼色の帽子を持ち上げた。
大きく手を振り返してから、「お待ちになって」と叫ぶ。
急いで自室から飛び出すと階段をダダダッと駆け下りる。リビングからキッチンへ、キッチンから店舗へ。
扉から飛び出れば、ジメジメとした雰囲気の店内に、空虚感を漂わせながら佇んでいる男がいた。
男、アズラの姿は普段となんら変わりない。
左頬にある黒茨の模様、褐色の肌に軽いウェーブがかかった黒髪、黄金色の瞳は濁っている。
彼はおそらく宅配の荷物であろう平たい紙包みを手にしていた。
いち早く受け取ってくれたようだが、一応は確認をしておこう。
「あら、荷物を受け取ってくれたのね? ありがとう」
彼は無表情のまま顎を引く。
そして何を思ったのか、ゆっくりと瞬きをしながら微妙にずれたタイミングで挨拶をしてくる。
「おはよう、テレジア」
「ええ、おはようですわ。それで、荷物は何なのかしら」
「……俺宛てらしい」
「まぁ、そうなの」
紙包みの側面を確認する。貼られていた紙には、洒落た書体で『マジョリカ家、アズラ様』と書かれてあった。
「何かしらね、開けてみて?」
アズラはおずおずと平たい紙包みを開いた。そこにはもう一重、薄紙と麻紐に包まれた品物と桃色の封筒が入っているようだ。
「……封筒は、家主宛。お前への手紙だろう」
彼から桃色の封筒を受け取る。
そこから漂ってくる甘い香水のような香りを嗅ぐと差出人の察しがついた。
封を切って内容を確認してみる。
『エル・ドラードより、テレジア・マジョリカ様へ愛を込めて。※尚、布地の原産地はアリーディアとなります』
手紙の最後には肉球の形をした判子が黒のインクで押されてある。
「あら、捺印ではないのね。なんて、可愛らしい肉球スタンプなのかしら」
ぽーっとしながら頬に両手を当てていると、アズラが薄紙と麻紐を解いたようだ。
「布か?」という疑問系のその声を聞いた私は品物を見て答える。
「布、そうだわ。頼んでいたお洋服がやっと届いたようね」
私が着ているエプロンドレスは仕立て屋でオーダーメイドしたもので、それを作って貰う際にアズラの衣服も一緒にお願いしていたのだ。
ただ、店主がこだわりの強い人で、「届けられる時期はいつ頃になるか分からない」と念を押されていたことを思い出した。
「ねぇ、アズラ。折角だから着てみたらどう?」
「ああ」
その場で服を脱ごうとするアズラ。私は慌てふためきながら「お待ちなさい」とその行為を止めた。
「コホン、わたくしの言い方が悪かったわ。部屋で着替えていらっしゃいな」
彼はようやく状況を理解したのか、静かに頷いてくれた。
自室へ向かうその背を見送る。ほっと一息をついてから店内へと視線を這わした。
この住居の二階には部屋が三つあり、一つは私の寝室、一つは同居人であるアズラの部屋と後は物置になっていた。
一階はキッチンや浴場などの水回りと残り半分が店舗で、玄関はなく店の方から出入りをする形になっている。
「はぁ、陰湿な店構えよね。この内装なんとかならないかしら」
店の外は綺麗に整備したが、内装は掃除したぐらいで全く手をつけていなかった。
壁は樹皮が剥き出しのままで、何の色も塗られていない。
打ちつけられただけの棚には意図もなく、ダンジョンから持ち帰った品物が無造作に並べられているだけだ。
どうしたら小洒落た内装になるのか不動産の親子とも相談したのだが、そもそも何屋なのかというコンセプトが決まっていない時点でお手上げという状態なのだった。
「店を開店させるって思ったよりも大変だわね」
そして、最も悪いのが立地である。
廃業した店の連なる石畳の路地をずーっと奥まで進んだ突き当たりにひっそりと建っているので、当然のごとく知り合いしか来ない。
いや、ここに私たちが住んでいることは、表通りの華やかな人たちにとって興味も沸かないことだろう。
「テレジア」
そんなことをぼんやり考えていたタイミングで背後から名前を呼ばれた。振り向くと、体型にぴったり合う服を着たアズラが立っている。
上着は黒地のもの。細目の立ち襟に、裾の長い女性着でいうところのチュニックみたいな形をしている。下のズボンはストンとした形で白地のものだ。
そんな着衣を纏った彼は普段通りの無表情なのに素敵な紳士の雰囲気を醸し出している。
「まぁ、似合うじゃない。肌の色とも合っているし、さすがはオーダーメイドね。着心地はどうかしら?」
「……柔らかい。良い、生地だ」
まぁ、お値段はそれなりだったので。ということは黙っておくことにした。
アズラの気配が嬉しそうに見えたからだ。余計なことは言わないが吉ね。
「それじゃあ、朝食にしましょうか」
うんうんうんと連続で頷く彼を連れて、住居の方へと戻った。
朝食を終えて優雅にティーカップを傾けていると、腹が満たされた様子のアズラがテーブルの向かい側から言葉を投げてくる。
「今日はダンジョンへ行くのか?」
「いいえ。この服装だから分かると思うけれど、別の予定があるの。今日はこの後、イルマの家で本を見せて貰う約束なのよ」
「……本?」
彼の疑問めいた声を受けて、つい「そうよ!」と息が荒くなってしまう。
昂る気持ちを抑えながら両目を閉じて人差し指を立てる。
「なんといっても、わたくしの趣味は読書ですわ。旅している間は手元に置いておけなかったからね」
フフンと鼻を鳴らせば、アズラが「それで?」と相槌を打ってくれる。
私は椅子の足を鳴らしながらから立ち上がった。
「ええ、その話をしたらイルマが好きな本を譲ってくださるって言うのよ。わたくしは、もう。この熱き思いを押さえられないわ!」
雄叫びのような声を上げると、アズラは「そうか」とにこやかに目を細める。
彼はまるで親が子を見守るような暖かい眼差しを向けてくるので、昂った気持ちはさらに高揚してしまう。
興奮ついでに良いことを閃いて、ポンっと両手を打ち鳴らした。
「そうだわ、アズラも一緒に行きましょうよ。せっかくお洋服を新調したのだから自慢しなくちゃね」
そんな提案をしてみたが、彼は穏やかな様子を一転させて身を固めた。それから絞り出すように声を上げる。
「……一緒には、行けない」
「あら、どうして? 恥ずかしいの?」
「いや、俺は。本……物語の類が好きでないからだ」
アズラが申し訳ないと言わんばかりに眉を下げるので、「気にしないでいいわ」と笑顔を向ける。
「それじゃあ、お留守番の方をよろしくね」
そう言うと彼は静かに頷いてくれたのだった。




