episode.黒茨の罪人【外伝】
――己の罪を知っているか。
そう問われたならば、アズラはこう答えるだろう。
「俺が産まれてきたことだ」
【episode.黒茨の罪人】
早朝、小鳥の細やかな鳴き声を耳にしながら男は目を覚ます。
暖かい毛布の感覚、遠いはずなのに近くに感じる小さな吐息。その全てに胸を撫で下ろしてながら微睡む。
寝具が古いのだろうか、ふっと体の力を抜けば大きな音で軋んだ。
そんな風に身動きを取ったせいなのか、はたまた目覚めた気配を感じ取ったからなのか、隣の寝具に乗っていた小さな毛布の固まりから声が上がる。
「おはあうぉ……ですわ」
のそりと起きあがったのは同時だった。
まだ朧気な少女の顔を見る。彼女の持つ宝石のような美しい瞳に硬い表情をした男の姿が映っていた。
こいつの名は、アズラ。呪いを背負って生まれた罪人だ。
親の顔や出生地は知らない。珍しい肌の色をしているから、似たような民族を捜し出すことは出来るだろう。
だが、それを敢えてしないのは「捨て子の自分に親はいない」と思っているからだ。
***
雨の降りしきる夜。凍るような冷たさとなっていた赤子は、教会の門で修道女に拾われて一命を取り留めた。
教会の神父様によってアズラと名付けられた赤子は、他の孤児たちと変わらない環境で育つこととなった。
五歳となったアズラには孤児である教会の子供たちと同様に、恐れるものがある。
それは就寝前に必ず行われていた。修道女が子供たちへ恐ろしい言い聞かせをするのだ。
その多くは子供が悪さをしたくなくなるような、おとぎ話。中でもアズラは黒茨の罪人という話が大の苦手だった。
子供用に脚色された物語から得られる教訓は「罪にはかならず罰が与えられる」というシンプルなものだった。
つまり悪いことをした子には神様からのお仕置きがあるのだと教会の子供たちは皆、固く信じ込まされていた。
そして、呪いを受けた罪人は『感染源』として恐れられ、天涯孤独な生を歩むのだと。
アズラの幼い心にも、それは深く刻み込まれたのだ。
その身に異変が現れたのはこの直後だった。突然、体に茨模様の痣が浮かび上がり、それは瞬く間に上半身を覆ってしまった。
そのせいで、アズラの生活はがらりと変ってしまう……。
神父様は言った。
――これは悪魔の仕業だから、アズラとは関係がない。
修道女は言った。
――アズラが悪い子だから神様が怒ったのだ。
子供たちは言った。
――呪い持ちは生まれつきだって決まってるんだぞ。
一体どれが真実で、誰の言葉を信じればいいのか。まだ幼かったアズラには分からなかった。
子供たちの態度は遠巻きに、修道女の態度は厳しくなった。神父様の優しげな態度は変わらなかったが、夜な夜な怪しい儀式に付き合わされた。
九歳になる前にアズラを引き取りたいという里親が現れた。
何がなんだか分からないうちに馬車で運ばれ、辿り着いた場所は地下に隠されたような劇場だった。
それは珍しい体質の子供を見せ物として扱う所だという。
アズラを引き取ったのは年老いた夫婦であるという話だったが、実際はまだ若いオーナーの男である。
そこで自分の体質は見せ物となり、その頃には黒茨が与えられたすべてを飲み込むようになっていた。
客の多くは暇を持て余す富裕層、希に他国からたまたま訪れた冒険者やトルバドゥールと名乗る旅人たちと知り合う機会があり、外の話を聞くことが出来た。
十八歳頃ぐらいまではそこで働き続けたと思う。
ある日、オーナーに連れ出されたのは深い森の奥にある小屋だった。
ここからの記憶をアズラは曖昧にしか覚えていない。
激しく喉を焼かれるような痛みは苦い毒の味だったのか、身を捩りたくなるような苦しみはすでに高揚感へと変わっていたのか……。
ふと目が覚めた時には現在の姿まで成長し、何故か鎖で繋がれていた。
そこは冷たい石の床、目の前には鉄格子があった。――牢獄だ、とぼんやり思った。
だが、繋がれていたと思った鎖は切れていたし、錆びた鉄格子の扉は開いていた。
しっかりとした足取りで外へ出ると、そこは小屋の面影を僅かに残していたが、朽ちた廃屋となっていた。
明瞭にならない意識のままで森をさまよう。
途中で野獣に襲われそうになったが、体から伸び出た黒茨の蔓がすべてを消し去ってくれた。
しかし、無償の奉仕と言うわけではないようだ。削れていく体力と言いしれぬ空腹感に襲われて低木の茂みへと倒れ込む。
なんとか目覚められたのは耳元で少女のような高い声がかかったからだ。
――ちょっと、大丈夫ですの?
あの時と同じような声をかけられて、アズラはハッと意識を現実へと戻した。
目の前には自分を心配そうに覗き込む少女の姿がある。
「あなた、まだ寝ぼけているのね。それともいつものように腹ペコなのかしら?」
『ハラペコ』の意味は分からなかったが、腹部の辺りが押さえられるようにギューと萎んでいる感覚はしている。そう思った刹那、ぐううという音が響いた。
「まぁ、大きな虫の鳴き声。すぐに朝食を買いに行きましょう」
滑らかで柔らかい手の感触が腕に触れる。反射的に振り払うと、彼女は悲しげな顔をした。
――すまない。
また悲しい思いをさせてしまったな。俺が呪い持ちでなければ、好きなだけ触れさせてやれるのに……。
それと同時に「テレジアに茨の呪いが感染しないか心配だ」とも思った。
頭の中では言いたいことが沢山あったが、その殆どは言葉にはならなかった。
どうやって口を動かせばいいのか、以前はどうやって他者と会話していたのかどうしても思い出せない。
そんなことを考えているうちに、周囲の景色は足早に去っていく。
それはいつも、自分だけが置いて行かれるような感覚。孤独感で胸が痛くなる。
「もう、アズラってば何て顔をしているの。きっとお腹が空き過ぎて参っているのね。可愛そうに」
そういうことにしておこうと思う。その方が多くを語るより簡単だ。
少女が再び腕に触れようとするので、その前に立ち上がった。
一体何故、こんな呪いを背負ったのか。消えた過去はもう戻ってはこないだろう。
生きた証のない自分を保つのは本当に疲れる。
それでも――。
『今日からわたくしが親鳥で、あなたは雛よ。さぁ、アズラ。後についていらっしゃい』
――確かな記憶の中で、少女が微笑む。
ずっと年下なのに「自分が親だ」と宣言した彼女は、今日も今日とて嬉しそうな顔をしながらアズラを先導しようとする。
だが、その小さな背に続くことで一つだけ確信したことがある。
彼女が紡ぐ強い意志の言葉。
これこそが、今「俺」が感じられる唯一の確信だということだ。




