やがて苦痛は甘美となる
――この感情を、よく覚えている。
視界一面に広がる赤い血潮。どんなに叫んでも届かない切望。
何故――皆が自分を置いて逝く。
愛する者を喪った悲痛と、遺される者としての罪悪でこの身はバラバラに引き裂かれる。
全てを失っても尚、孤独を生き続けなければならない。
それを地獄と人は呼ぶのだ。
私の唇が勝手に動いていた。
「……妾を愛すると言うならば、何故置いて逝く。そうしてこの身に遺されたのは人への憎しみばかりだ……!」
「しっかりしろ、理花!」
突然に浴びせられた怒号ではっと我に返る。
床にへたり込んだまま虚ろな目で見上げると、馬の獣人が倒したはずのゾンビ達が起き上がっていた。
アエトスが私の前に立ち、剣でそれらをなぎ倒していく。
「アエ、トス……」
声が震える。彼の背中からも、馬の獣人と同じく血が大量に流れ出ていることに気付いたからだ。
すぐ間近で死神の鎌が、アエトスを執拗に追い狙う。
「つまらねぇな、てめぇはその程度じゃねぇだろう?」
「そうだな。そろそろ終わらせる」
アエトスが鎌を掴んで、死神の身体を引き寄せる。死神は微かに体勢を崩すも、すぐに立て直して跳び上がる。
そんな死神の腹に向けて、アエトスは黒煙を放った。
それを察した死神は、素早く身を引きその体躯は勢い良く壁へとめり込んでいった。
「きゃは、グリムがふっ飛んだぁ!」
アンジェと呼ばれていた少女が甲高い笑い声を上げると、その口内に銃が突っ込まれた。
もごもごと喘ぐ少女の背後から透明化していたマーヤとエリックが姿を現す。
エリックの鎖が、少女の身体中に張り巡らされていた。
「死者を玩んだ報いを受けろ!」
マーヤが引き金を引く。少女の顔は鈍い音を立てて飛び散った。
それと同時に、ゾンビの群れが粒子になって消え去る。
「やれやれ……面倒なことをしてくれる」
崩れ落ちる壁から出た死神は、ずしゃりと倒れた少女へ呼び掛けた。
「おい、生きてるか?まぁ普通なら死んでるだろうが」
「アンジェはアンジェによるアンジェのためのアンジェでありぃ……」
「……だろうな。全く毎度毎度、手間の掛かるガキだ」
頭を貫かれて、もはや口の位置すら分からない程に顔の潰れた少女は、それでもまだ生きていた。
死神は舌打ちして少女に近付くと、小さなその身体を肩に抱え上げる。
「な……何で生きて……」
マーヤとエリックが絶句する横を悠然と歩きながら、死神はアエトスに向かって言う。
「ようやく盛り上がった所だってのに残念だ……俺はグリム・サブナック。いずれまた逢うことになるだろうよ」
含んだ笑いを漏らしながら、死神は扉から出て行く。
マーヤ達は彼らを追わなかった。恐らく、追えなかったのだ。
「理花」
アエトスがへたり込む私の傍に立っている。
私は横たわる馬の獣人に視線を移す。だけどまた溢れた涙のせいで、視界が滲んで見えなくなってしまった。
「っ……この人私のせいで死んだ、何で簡単に殺したり……怖いっ、やだ……帰りたい、こんな世界もう嫌だよおぉっ!」
頭を振りかぶって叫ぶと、涙腺が壊れてしまったみたいに泣き喚いた。
胸が苦しい。目眩がする。自分がどうしてここに居るのか分からない。
来たくて来た訳じゃない。こんな場所来たくなど無かった。
きっとこれは――罰なんだ。
「理花、落ち着くんだ」
アエトスが膝を落として私を抱いた。
暖かい被毛にすっぽりと包まれると、自分の身体が酷く冷えていたことに気付く。
ますます涙が溢れてしまい、純白の胸に縋り付きながら止まない嗚咽を漏らした。
「すまない、貴女を危険な目に遭わせてしまった。全ては私が至らないせいだ。力が弱っているとはいえ、この私が人間風情に遅れを取るなど」
そう言ってアエトスは怒りを露にする。抱き締める力がさらに強くなった気がした。
私はしゃくり上げながら、彼の顔を上目で見やる。
「アエトスは、私の味方、だよね?」
「当然だ」
「……じゃあ、良いよ」
「理花?」
「私を食べて……良いよ」
金色の双眸が見開かれる。それは普段の平静な彼とは異なる複雑な色を含んでいて、やけに人間臭かった。
「ベリエールが言ったの、あなたは私の命を食べて強くなるって。私は馬鹿だから霊力とか難しいことは分からない。でももし、アエトスまで居なくなったら私っ……だから」
ぎゅっと被毛を握り締める。そんな私を見下ろし、アエトスは静かに呟く。
「確かに今の貴女が放つネガティブな低波動エネルギーは、私にとって何よりのご馳走だろうが」
「ネガ、ティブ?」
「しかし理花、貴女はこの私が何者であるかを理解しているのか?」
両脇にアエトスの手が差し入れられ、私の身体を抱き起こした。
私達は向かい合うように立つ。
「今は私が貴女に憑依している状態だが、正式に〈魂の契約〉を結ぶには代償が必要となる。
それは永久に霊力を奪われ続け、死した後も子孫に受け継がれゆく呪詛だ。そして何より――」
背丈を屈ませたアエトスは私の両頬に手を添えた。鉤爪の生える親指を動かして、ゆっくりと唇をなぞる。
「純潔なその身に、私の穢れを受けることになるかもしれないぞ?」
「……アエトスは悪い人なの?」
「そうだ」
「でも、私を守るって言ってくれた気持ちはウソじゃないよね……?」
「そうだ」
アエトスが力強くはっきりと頷く。私は頬にある彼の左手に触れて、目を閉じた。
「うん……良いよ。私の全部をアエトスにあげる。だから約束して、絶対に私を置いて行かないって」
両手でアエトスの手を取って自分の頬を擦り付けるようにする。
ふわふわの肌触りに、固い心がほどけていくようだった。
またじんわりと溢れた水滴が、アエトスの指に零れ落ちる。
「お願い……私を一人にしないで」
「安心しろ、私は死なない。そもそも生きている訳ではないからな。貴女を決して一人にはしないと約束する」
頬に添える手はそのままに、もう片方の腕が背中に回される気配がする。
アエトスは私の耳元で囁いた。
「――貴女を貰うぞ理花。本当はずっと欲しかった」




