理不尽を噛み砕け
スーツの上着を脱いだ死神は、腕捲りしていたシャツすらも乱雑に投げ捨てて半裸になる。
鍛え上げられた胸元には眼のマークみたいなタトゥーが見える。そこに彼が手をかざすと、内側から皮膚を突き破って大きな鎌が現れた。
じゃらりとチェーンに繋がるそれを構えながら、傍で控える少女へ言う。
「アンジェ、お前は雑魚どもの相手をして差し上げろ」
「分かったなりなり。出ておいで、アンジェの可愛い死霊人形達!」
喪服のワンピース姿で両目に包帯を巻き付けるその少女は、懐から星形の鏡を取り出す。
鈴の音のような声で言葉を唱えると、無数の黒い玉の群れが鏡の中から一斉に出て来た。その玉は段々と大きくなって、人の姿を型どり始める。
眼球は潰れ、皮膚は爛れ、肉は腐食し、牙の生えた口からは泡を吹いて、重心の定まらない足取りで立つ化物。
――あれはゾンビだ。
それらがぞろぞろと動き出し、マーヤとエリックへ襲い掛かる。
「趣味悪ぃな、死んだ人間の骸を操ってやがるのか!」
「いっけぇー、みんな潰しちゃえー」
マーヤが苛立ったように舌打ちする。
けたけたと不気味に笑いながら、少女は容貌に似合わない汚い言葉を吐いた。
「さぁ、俺達も愉しもうじゃねぇか」
そう言って死神の唇が弧を描いた。
私を抱きすくめていたアエトスの手が離れる。途端、風を切るように彼は翼をはためかせて天井へ舞った。
死神もテーブルの上に飛び乗って鎌を振りかざすと、伸縮性のあるチェーンは長さの限界など知らないようにどこまでもアエトスを追っていく。
「俺はメインディッシュから先に食う性質でな。この中じゃあ、てめぇが一番旨そうだ」
「理花以外の人間に食われてやるつもりは毛頭ない」
私は空中で繰り広げられるアエトスと死神の戦いを見上げるしか無かった。胸元で、祈るようにぎゅっとこぶしを握る。
アエトスは飛び回りながら、剣先で死神の鎌をいなしていた。
だけど次の瞬間、鎌の刃がアエトスの翼を掠めて白い羽が舞い落ちた。
「アエトス!」
横に立っていたベリエールが呟く。
「あのままでは彼は負けてしまう……きっとエネルギー不足なんだニャ」
「どういうことベリエール!?」
ベリエールに詰め寄ると、空色の瞳が私を真っ直ぐに捉える。
「彼のエネルギー源は食物ではなく、理花の霊力だ。霊力とは人が本来持っている生命力そのもの。
だけどさっきまで空腹やストレスで君の霊的エネルギーは著しく枯渇していて、彼は必要以上に君の霊力を奪うことをしてなかったニャン。
霊力を奪い過ぎてしまえば、その人間は心身ともに破滅するから……」
「じゃあどうすれば良いの!?」
「力を望むなら、彼と契約を。君達はすでに半分は同調してるから念じるだけで良い。だけど代償として、永久にその霊力を奪われ続けることになるニャン」
「契約?」
「そう、彼は――君の命を喰らう程に強くなる。“そういう存在”なんだ」
ウソだ、信じられない。いつだって私を守ってくれた彼は、私の命を脅かすものなんかとは相反する位置に在るはずだ。
この異世界で唯一の、たった一人の味方なのだから。
「そんな……だってアエトスはずっと私を助けて……」
その時、ゾンビの一体がふらりとこちらに向かって来た。
マーヤが自分の傍に居るゾンビ達を蹴り上げながら叫ぶ。
「おいベリエール、今その娘に死なれたらまずいぞ!」
「わ、分かってるニャン、だけどボクちんは非戦闘系のしがない猫ニャー!」
ベリエールは私を庇うように前へ出て手をかざす。掌から溢れた青い粒子が、半径十メートル程のドーム状のバリアを作って私達を覆った。
「ほう、そんなに大事な娘だと言うならばあれを先に殺れ、アンジェ」
「ほほーい。さぁさ、絶望の沼の底からもっともーっとおいでなさい」
死神が命じると、少女の操るゾンビの数がさらに十体ほど増える。
それら全部が私達を守るバリアに張り付いて、真っ黒な瘴気を放つ。
「これは……穢れが強いニャ、光では闇には勝てない……ぐ!」
「ベリエール!」
拡散するようにバリアが消えて、ベリエールは唸りながら倒れ込んだ。
障害の無くなったゾンビ達が、私の元へと近付いて来る。
「……っ」
ベリエールの傍に寄り添いたいのに、足がすくんで動けない。
「くそっ、こういうオカルトはお前の十八番だろエリック!」
「あの少女は闇の霊能力者だ、僕の能力では無理です!死霊自体の力は大したことなくても数が多過ぎる……!」
マーヤは銃と足技で、エリックは金属の身体を駆使しながらも呪文のような言葉を同時に唱える。
彼女達は互いに背中合わせになってゾンビの群れと格闘していた。
「理花!」
「おいおい、浮気とは釣れねぇ野郎だな」
アエトスがこちらに向かって走る。その背中を逃がさんとする死神の鎌が、アエトスの身体を裂いた。
悲鳴にも似た声で彼の名を叫ぶ。後ろからずっと斬られ続けているのに、彼は止まることなく私のことしか見ていない。
(アエ、トス……私の、せいでっ)
身体が石のように固まっていた。
私はマーヤ、エリック、ベリエールへと順番に視線を動かしながら、肩を激しく揺すり、はぁはぁと荒い過呼吸を繰り返す。息の仕方が分からない。
誰かの叫び声が遠くのほうで聞こえた気がするけれど、眩い光に頭の中が白んでいく。
まるでこの場の全てがスローモーションのように感じられる。
目前に迫るゾンビが牙を剥くのを、私は他人事のようにぼうっと眺めていた。
「ぁっ」
硬直したままの私の視界を遮るような影が現れる。突き飛ばされた衝撃で、床にぐしゃりと倒れ込んだ。
混乱しながらその影を見上げる。
それは先程、私達のテーブルで従事してくれていた馬の獣人の店員だった。
彼は自分のみぞおちに噛み付くゾンビを蹴ると、その周囲に居た残りのゾンビ達に殴り掛かって次々と倒していく。
予想外のことに、思考が混乱する。
誰もが逃げ去ったはずの店内に何故まだ彼の姿があるんだろうか?
何故、私の代わりに胴体から赤い鮮血をぼたぼたと流しているんだろう?
「ど、して……?」
「……それはオレにも分からない。でもお前、ずっとオレの首のIDチョーカーを見てたろう?」
馬の獣人は吐血し、崩れるように仰向けに横たわった。
私は四つん這いでその身体へ近付く。
腹部からは大量に出血して、裂かれたシャツは真っ赤に染まり、そこから覗く肉は抉れている。その凄惨さが、致命傷なのだと物語っていた。
むせるような鉄の臭いが漂う。
「この首輪を蔑むでもなく、興味深いものを見る童子のような目で無遠慮にジロジロと……あれには参った」
彼は困ったような苦笑を漏らした。
その拍子にごぼりと咳き込んで、苦しげに息をしながら、さらに多くの血が口からこぼれ出る。
「だが、嫌じゃなかった。最初から居ない者として空気のように扱われることに慣れてたが、悪意以外の目で見てもらえるってのは良いもんだな」
「っ、それだけで?」
「それだけで、だ。……オレのために泣いてくれるのもお前が最初で最後だろうしなぁ」
私の頬から止めなく熱いものが流れ落ちるのを見て、彼はどこか満足げに微笑んだ気がした。
せり上がる嗚咽で言葉が詰まって、酷くもどかしい。
「……ぅ……何で……っ」
「死に方を選べただけ、案外オレは幸せなのかもしれないな……」
「そ、そんなの駄目、駄目だよ!」
瞬きした拍子に、私の目から丸い水粒が溢れる。彼が手を伸ばして、指の先でそっと目尻に溜まるものをすくった。
「あぁ、それ綺麗だな。真珠みたいだ――」
掠れた声で呟いた後、力なく腕が下ろされた。
「っやだ、待って!」
慌てて彼の身体に覆い被さる。つぶらな双眸には、情けない顔で見下ろす私が映っていた。
それはゆっくりと細められて、やがて重しのように固く閉じていく。
「や、やだっ!お願い目を開けて、こんなの嫌だよぉ……!」
子供の頃、育てていた朝顔が枯れた時悲しかった。
可愛がっていた近所の野良猫が息絶えているのを見付けた時も悲しかった。
だけど今は、その何万倍も胸が痛い。
私は生まれて初めて、去りゆく命をこの腕に抱いた。
暖かいそれは心臓の音がしなかった。




