因果を超えられるか
心臓が痛いくらいに激しく鼓動を打っていた。
顔のすぐ横にアエトスの気配を感じて硬直していると、彼のくちばしが私の首筋を掠めて、ひゅっと声にならない息が漏れてしまう。
「あ、あのっ」
「何だ」
「えっと、契約は念じるだけで出来るってベリエールが」
「その通りだ」
頬にあったアエトスの掌が耳朶を撫ぜた後、滑るように首を降りてそれから肩をぐっと掴まれる。
視線を泳がせれば、背中に回されていた腕の力も心無しか強固になっていよいよ逃げられなくなった。
熱の籠った眼差しが私を捉える。
「貴女が私を許可した時点ですでに契約は完了している。これからするのは契約では無く、刻印の譲渡だ」
「刻印?」
「死神とかいう鎌使いの身体にも印しがあっただろう。奴らも恐らく私と似た、あるいは全く別の存在と契約を交わしているはずだ」
そういえば確かに死神の胸には単眼の印しがあった。不気味なタトゥーだと思っていたけど、あれが契約の証というものらしい。
(でもあんな印しが身体にあったら不良みたいで嫌だなぁ……)
と考えていると、私達とは距離を置いていたマーヤが口を挟む。
「鳥野郎。お前はその娘を、あいつらみたいな化物にしちまうつもりか?」
「……理花はそうはならない」
「何故言い切れる!?ウチはエリックやベリエール程の霊力は無いけどな、お前が闇から生まれた禍々しい“何か”であることぐらいは分かるぜ。
お前みたいな奴が居ると、その娘の命はあっという間に尽きちまうぞ!」
「それは大丈夫だニャー。理花の潜在的な霊力は桁外れのレベルだ、そう簡単に枯渇することは無いニャン」
「ええ。普通の人間なら彼に取り憑かれた時点で死んでいる。霊力の高い彼女だからこそ、彼と共存することが出来たのでしょう。
それに彼らが契約することは僕達にとっても好都合ですよ、マーヤ」
ベリエールとエリックが重ねて言うと、渋々といった感じでマーヤは押し黙る。
いきなり銃を突き付けたり私の身を案じてくれたり、怖いんだか優しいんだか良く分からない女性だ。
そんな彼女達から再び私へと向き直したアエトスは、緩慢な動きで私の首元に顔を埋ませようとする。
彼の行動の意図を察して、慌てた。
「あっ、待っ、アエトス!」
「どうした」
「私こういうの初めてで、その……」
襲い来るだろう衝撃を想像して、つい目が潤んでしまう。
だけど何とか覚悟を決めてアエトスの顔を見上げながら、
「痛く、しないで……」
震える声でそう懇願する。
「……善処しよう」
彼はたっぷりの間を置いて、何かに堪えるように苦々しく答えた。
「だがこれはあまり約束出来ない。何故なら私も、契約するのは貴女が初めてだからだ」
「え、ぁ、やあああっ!」
首筋に近付いたアエトスが私の柔肌を含む。
硬いくちばしは容易く肉にめり込んで、脳天を貫く激痛に悲鳴を上げた。
アエトスは暴れる私の肩をぐっと押さえ込み、溢れた血を果実をすするみたいにして飲む。
びりびりと神経が痺れ、歯を食い縛って耐えしのぐ。無意識にスカートを握り締めていた。
「理花」
低音のバリトンが、私の名を呼ぶ。
切なく囁くように。
激しく求めるように。
(どうして、そんなに……)
どこか甘さを孕んだその声に、胸の奥が無性に疼いた。
目蓋を閉じていても、今アエトスがどんな顔をしているか分かる気がした。獣の頭を持つ彼に、表情などあるはずも無いのに。
「アエトス……あなたは誰なの?」
ふと呟いたその瞬間――脳裏に次々と映像が浮かんで来た。
どこかの小高い山に建つ、剥き出しの丸太で造られた古い鳥居。
中央の額には【白翅神社】という文字が見て取れる。
鳥居の先を行くと小さな祠があって、その扉には札が貼られていた。
大きくて白い鷲が、悠々と空を飛んでいる姿が見える。
けれど人の手によって捕らわれてしまった鷲は、首に紐を巻かれて宙ずりにされた。
それから何日も、拷問のように苦痛と飢餓に焼かれる日々を生きていた。
仄暗い寝屋の中で、少女が謳う。
怨みの想いを、恨みの言葉を、まるでうわ言みたいに。
そしてある時――ついに鷲の頭は斬って落とされる。
『おのれ忌まわしき人間どもよ……望み通り千年先まで呪ってやろう!』
地獄の底から這うような、憎悪に満ちた声が響き渡った。
「っ!」
私は目を剥かんばかりに見開き、微かに震えている自分の身体を抑えながら彼を見上げる。
「これは……アエトスの記憶?」
「私は――呪い。遥かな昔、ある巫女によって作られた祟り神だ」
アエトスの双眸が私を見つめ返す。
何故だか私は色々なことを理解した気になって、アエトスの腰に手を回して彼をそっと抱き締めた。




