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ハッと目を開く。
見慣れた光景を目の前にしても、しばらく茫然としていた。
放心。壮大な夢から起きた後は、しばしば満足感と共に訪れるそれは、今不気味に姿を変えて私を襲っている。
わけがわからない。わけがわからなすぎて、私は自分の頬を思い切りはたいた。
「え……? 急にどうしたの?」
乾いた音が部屋に響いた後、台所から妻の声が聞こえてきた。
私は何も返せないまま周囲を見渡す。変わったところなど、どこにもない。いつもの我が家。しかし今はなんだか、この家すらも気味悪く感じる。
しかし、まだ悪い夢かもしれない。だが、脳裏に残る恐怖と痛みは強烈だった。もしこれが……いや、考えたくはないありえないことだとは思いつつ……もしこれが、本当の本当に現実なのだとしたら。私は、どうすればいい? また殺されるのか? あの黒ずくめの男に。
「ねぇ、あなたどうしたの。急にほっぺた叩いて。なんか嫌なことあった?」
「……いや、なんでも。」
私はテレビの電源を入れる。
「——●●区での強盗殺人事件について、犯人の身元はまだ特定できておらず、未だに逃走中とみられています。この事件についてですが……。」
最悪の可能性に近づいた。先と同じニュース。文言も……同じだったような気がする。
強盗殺人犯……私を撃った男が、そうだとでもいうのか。そんな、そんな馬鹿な。我が家が強盗に襲われる? そんなことは考えもしなかった。そして、その状況を二度繰り返す夢……。いや、現実か? しかし、現実世界で同じ時間を繰り返しているなど到底受け入れられるものではない。
トントントン、と階段から音が聞こえてくる。
「お父さん、お母さん、おはよう!」
「おはようマヤ。今日は随分早いわね? 朝ごはんできてるから、ちゃんと手を洗ってから食べるのよ。」
「はーい。」
これほど鮮明なデジャブもそうあるものではない。娘は洗面所に向かい、その後テーブルへ。そして間もなく食事の音が聞こえてくる。ありふれたこの流れが、こんなにも恐ろしい。私の最悪な妄想の外堀を、何者かに着々と埋められているようだ。
休日の朝の風景。私はいつもこの時間帯にコーヒーを飲む。しかし、今はその気になれなかった。さっきの夢の中と同じ行動をとりたくないからだ。リモコンを手に取り、テレビアニメに切り替えた。
「お父さん!」
離れたテーブルから、娘の声が聞こえてくる。
「お父さん、今日は遊園地に連れてってくれるんだよね? あたし楽しみで早起きしちゃった!」
「……。」
「お父さん?」
「……そうだね。」
大好きな娘の声も、いつもより耳障りがよくないように感じてしまう。思わず、そっけない返事をした。
「あなた、大丈夫? さっきから様子が変よ。」
妻が私に近づき、小さな声で話しかける。妻の顔を見ると、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。自分の身を案じてくれる彼女の存在は、私の不安を少し和らげてくれた。
「大丈夫だよ。ちょっと、つかれただけさ。」
「いつもお疲れ様。今日は休日なんだし、ゆっくりしていいのよ。」
「…………ああ。」
もう少しだ。もしこれがあの夢と同じなら、もうすぐ、奴が来る。窓の方に目をやる。何も起こらないでくれ。何事もなく今日を過ごさせてくれ。いや、何かが起こるはずはない。人生に巻き戻しなどありえない。奇妙な経験をしたが、それもここまでだ。私たちの日常は、崩れない……。
ピンポン
「誰かしら。お父さん、出てくれる?」
呼吸が速く、荒くなる。ゆっくりとインターホンの方を向く。画面は、故障のせいか何も映してはいなかった。
「なんなんだ……。」
「え?」
私の低いつぶやきに、妻が驚いた声を上げる。
「なんなんだ……? これは……。」
ああ、悪い夢なら早く覚めてほしい。家に強盗殺人犯がやってきて、殺されて、それを何度も繰り返す? 冗談もほどほどにしてくれ。何もかも現実味がなさすぎる。繰り返しなんてありえないし、よりによって私の家に逃亡中の殺人犯が? ありえない。
「お父さん? 玄関でてくれる?」
「……いや、これは出なくてもいい。」
「え、どうして。」
「厄介ないつものセールスだ。無視しておいたほうがいいよ。」
「そうなの? ちゃんと確認した? ……あれ、インターホンの画面壊れてるじゃない。ほんとにセールスなの?」
「ああ。そうだ。だからでなくていい。」
「なんでわかるのよ。」
「なんでもだ。」
「ほんと……? ちょっとまって、もうすぐ手が空くから、私が……。」
「出なくていい。」
私はインターホンの方に向かい、『通話終了』のボタンを押した。
「ど、どうしたの……? ほんとに大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。大丈夫。何も、何も問題はない。」
強い語気で妻を制し、私はソファーに戻った。
娘は不安そうに私たちを眺めていたが、じきに食事に戻った。
これで、何の問題もないな。よし。今日は家族で遊園地だ。楽しみだ。楽しみなことを、たくさん考えよう……。
ピンポン
高く響く音の後、リビングに訪れた静寂が、私の心臓の音を強調する。
「ねぇ、やっぱり出た方がいいんじゃない?」
「……。」
「……あなた、何か隠してるの? ねぇ。」
「……。」
「今日のあなたはおかしすぎる。もう、とりあえず私が……。」
妻が洗い物の手を止め、玄関の方へ歩き始めた。
「待て!」
私が大きな声を上げると、妻は驚いた顔でこちらを向き、娘はびくっと体を震わせた。
「……私が行くから、待っていなさい。」
私はゆっくりと、ソファーから立ち上がる。玄関へ、ゆっくりと歩を進める。その間に、考える。
当然、本当にあの黒ずくめの男が玄関前にいるかどうかはわからない。しかし、私の直感が鳴らす警鐘に抗うことはできない。
奴がいたときに対抗できる手段が必要だが、あの悪夢の通りなら相手は銃を持っている。そもそもなぜ銃を持っているんだ。……失敗すれば、また私は……。だめだ、だめだ。考えてはいけない。
二度の悪夢を思い返すと、男は最初ポケットに銃を持った手を入れており、手を出し、銃口を私に向け、発砲するまでにはほんの少し時間がある。その隙に何かをするしかない。
ふと、玄関の靴箱の脇の棚に目がいった。そうだ、確かこの中には……。
棚の中から、工具箱を取り出す。一番使えそうなのは、ハンマーか。あいつが銃を持っていた右手を攻撃して銃を落とさせるか、それとも、いっそ頭を狙ってしまうか。相手は、こっちを殺しにきてる強盗殺人犯だ。ためらうことはない。
……考えを整理する。臨戦の心構えを整え、ドアノブに手をかける。
もしかしたら、ドアを開けた先にいるのは宅急便かもしれない。お隣さんかもしれない。しかし、それならそれでいい。いるかもしれない殺人鬼のことだけを考える。どんな馬鹿げた話でも、今の私の頭から切り離すことはできない。
手が汗ばむ。息をつく。覚悟を決め、ハンマーを持つ左手をぐっと強く握った。
私は、勢いよく扉を開いた。
目の前にいたのは、黒ずくめの男。
男を視界にとらえた刹那、ハンマーを振り上げる。目標は奴の頭。そして、振り下ろす。
振り下ろしたハンマーは、空を切った。
男はわかっていたかのように半歩下がり、私の一撃を躱しながら、ポケットから銃を取り出す。
私は勢いのまま男に突進する。次の一撃は右手の甲へ。
男の早撃ちと私のハンマーの勝負は、重く響く銃声と共に決着した。私の攻撃の直前で男の銃が火を噴き、私の左腕を撃ちぬいた。
ハンマーは地面に落ち、丸腰になった私の頭を、二発目の銃弾がとらえた。
三度目の暗転。その直前、私の視界に映った男の顔は、口より上こそ見えないものの、笑っているように見えた。




