逆です
リゼは盾の内側をもう一度、小槌で叩いた。
コン、と鈍い音が返る。
少し位置をずらすと、今度は乾いた金属音が鳴った。
「何が逆なんだ?」
バルトが作業台を覗き込む。
「中の魔力板です。おそらく向きが逆になっています」
「おそらく?」
「まだ開けていませんので」
「じゃあ開けよう」
「はい」
返事をした時には、リゼはもう盾の裏側へ工具を差し込んでいた。
革張りの内側には持ち手と腕を固定する金具が並び、その外側には縁に沿って八つの小さな留め具が埋め込まれている。
細い工具を差し込むたび、かちり、と金具が外れていった。最後の一つを外すと、革の内張りがわずかに浮く。
「本当に開いた」
「整備する物ですから」
「十年以上使って、初めて知ったぞ」
「説明書は?」
「先輩から盾だけ渡された」
リゼは手を止めた。
「ありませんね」
「何が?」
「説明書です」
「そう言っただろ」
丸パンを取り出していたミナが頷く。
「酒込みで売る人が説明書まで取っておくとは思えないね」
「先輩を何だと思ってる」
「冒険者」
バルトが黙った。
リゼは浮いた内張りへ両手を掛ける。
「押さえてください」
「おう」
バルトが盾の端を掴んだ。
古い革を持ち上げると、乾いた埃が作業台へ落ちた。長く閉じ込められていた鉄と油の匂いが、店の中へ広がる。
盾の内部には細い魔力導管が張り巡らされていた。
中央から縁へ伸びる古い型の術式で、導管そのものは傷みながらも形を保っている。
問題は、その中央にあった。
四つの固定金具に挟まれた黒い魔力板。
リゼは身を屈め、表面に残った刻印を覗き込んだ。
「やはり」
魔力板には一本の矢印が刻まれている。
向きは中央。
リゼは導管を目で追い、もう一度矢印を確かめた。
「何が分かったの?」
ミナが訊いた。
リゼは近くにあった紙へ盾の形を描き、中央から外へ向かって何本か線を引いた。
「本来は、受けた衝撃を盾全体へ逃がします。一箇所で受けないためです」
「うん」
「これは逆です」
今度は外側から中央へ線を引く。
何本もの線が一点へ集まった。
ミナは紙を見た後、大盾の中央に残るへこみへ目を向けた。
「ああ」
バルトも気づいたらしい。
「待て。俺が攻撃を受けるたびに、こいつは……」
「盾全体に掛かった衝撃を中央へ集めています」
「ここへ?」
「はい」
「何のために?」
「間違えたのだと思います」
リゼは黒い魔力板を指した。
「製造時に逆向きで固定されています」
店の中が静かになった。
バルトは盾を見た後、自分の右腕へ目を落とす。
「だから三日も腕が上がらなかったのか?」
「オーガの衝撃を一箇所へ集めて受けたのであれば、可能性は高いです」
「普通なら?」
「かなり楽だったと思います」
「かなりか」
「はい」
ミナがパンで口元を隠した。
「笑っていいですよ」
「まだ何も言ってないよ」
「顔が笑っています」
「リゼに言われたくないなあ」
リゼは首を傾げ、黒い魔力板へ手を置いた。
淡い光が指先から盾の内部へ染み込んでいく。
《廃式修復》。
捨てられた物を、本来あるべき姿へ戻す。
光が盾の内部を走った。
潰れていた鉄板が押し戻され、裂けた導管が繋がり、摩耗した金具が形を取り戻していく。
四隅の固定金具が軋み、黒い魔力板がゆっくりと浮き上がった。
その場で半回転する。
中央を向いていた矢印が、盾の縁へ向いた。
かちり、と固定金具が閉じた瞬間、魔力が中央から八本の導管へ一気に流れ込んだ。
低い振動が店の空気を揺らし、棚に並んだ瓶が触れ合って小さく鳴る。
バルトが目を見開いた。
「今のは?」
「正常に動きました」
「初めてか?」
「おそらく」
リゼは内張りを戻し、八つの留め具を順に固定した。
最後の金具を閉じる。
「直りました」
朝、店の入口を塞いでいた大盾は、すっかり姿を変えていた。
濃紺の塗装が戻り、中央には翼を広げた鷲の紋章がはっきりと浮かんでいる。無数の傷も、オーガが残した大きなへこみも消えていた。
「確認します」
「何を?」
「直ったかどうかです」
リゼは大盾の裏へ回り、太い革帯へ左腕を差し込んだ。
「おい、それは重――」
バルトが止めるより先に、リゼは盾の縁を掴んで腰を落とした。
人の背丈ほどある鉄板が、あっさりと床を離れる。
三人とも黙った。
「持てました」
「なんでだ?」
バルトが言った。
「何がですか」
「なんで嬢ちゃんがそれを持ててるんだ?」
リゼは答えず、大盾を少し傾けた。
鉄の重さは確かに腕へ掛かっている。
けれど、それだけではなかった。
革帯から流れ込んだ魔力が肩へ広がり、腰から脚へ伝わっていく。盾の重みに合わせるように身体へ力が満ち、踏ん張ろうとする前から足が床を捉えていた。
リゼは一歩進んだ。
大盾が遅れずついてくる。
もう一歩。
今度は少し速く。
先ほどまで三人で運んだ鉄の塊を抱えているとは思えないほど、身体が軽かった。
水色の瞳が揺れる。
「リゼ?」
ミナが呼んだ。
リゼはその場で向きを変え、大盾を抱えたまま店の外へ走り出した。
「は?」
バルトが固まる。
「リゼ!?」
二人が慌てて外へ出た時には、濃紺の大盾はもう通りの先を走っていた。
正確には、大盾を抱えたリゼが走っている。
「……速くないか?」
「速いよ!」
ミナが駆け出し、バルトもその後を追った。
王都南端の朝の通りを、人の背丈ほどある盾が走っていく。
荷車を引いていた男が慌てて道を譲り、向かいの古物屋からは先ほどの店主がまた顔を出した。
「おい、嬢ちゃん!」
バルトが叫ぶ。
「それ俺の盾だぞ!」
「聞こえてないよ、絶対!」
二人も走ったが、距離は縮まらなかった。
バルトは現役の冒険者であり、ミナも廃品置き場を歩き回る程度には足腰が強い。それでも大盾を抱えたリゼの背中は少しずつ遠ざかっていく。
「……俺より速いぞ」
「盾持ってるのにね!」
濃紺の大盾が角を曲がり、見えなくなった。
「どこ行った?」
「冒険者組合じゃない?」
「なんで分かる」
「この辺で装備を試せる場所、他にある?」
バルトは一瞬だけ考え、再び走り出した。
冒険者組合は、大通りを一本越えた先にある。
朝の依頼を受ける冒険者たちで入口はすでに混み始めていたが、二人が中へ駆け込むと、リゼはすぐに見つかった。
大盾を傍らへ立て、受付係と向かい合っている。
「ですから、試験場を使いたいです」
「冒険者証をお願いします」
「持っていません」
「では使用できません」
「盾を一度叩くだけです」
「回数の問題ではありません」
「壊しません」
若い受付係は一度、大盾を見上げた。
それからリゼを見る。
「……装備の性能確認や、冒険者登録の実技試験に使う場所です」
「はい」
「冒険者のための施設です」
「盾の性能を確認します」
「そうですね」
受付係は頷いた。
「ですが、あなたは冒険者ではありません」
リゼが少し黙る。
「盾はあります」
「盾の有無ではありません」
受付係が疲れたように息を吐いた。
「最初からずっと、冒険者証の話をしています」
ミナが足を止めた。
「間に合った」
「何にだ」
「受付の人が本気で怒る前」
「もう怒ってないか?」
バルトは息を整えながら受付へ近づいた。
「悪い。それ、俺の盾だ」
受付係が顔を上げる。
「ああ、バルトさん」
「俺の装備試験ってことにしてくれ」
リゼが振り返った。
「バルトさん」
「まず俺の盾を持って走るな」
「逃げていません」
「追いつけなかったぞ!」
「そうなのですか」
「そうなのですか、じゃない!」
リゼは大盾を見た。
それからバルトを見る。
「速かったですか?」
「そこに興味持つな」
受付係が大盾を見上げた。
「こちら、バルトさんの装備で間違いありませんか?」
「ああ」
「では装備試験として、第三試験場を使用できます。大盾用の衝撃槌も空いていますよ」
リゼの顔が上がった。
「衝撃槌」
「最大出力なら、オークの突進を想定した衝撃まで再現できます」
「行きます」
リゼは大盾を持ち上げた。
「待て」
バルトが肩を掴む。
「今度は俺も行く」
「はい」
「俺の盾だからな」
「知っています」
「知ってて持っていったのか?」
「確認が必要でしたので」
ミナが額を押さえた。
「リゼの中だと、それで全部通るんだろうなあ」
リゼは答えなかった。
試験場へ続く扉の向こうから、重い鉄のぶつかる音が響いたからだ。
どん、と床が震える。
大盾を支えるリゼの指が、わずかに動いた。
「行きましょう」
今度は走らなかった。
ただ、二人の返事を待たずに歩き出す。
バルトとミナは顔を見合わせた。
「……また行ったぞ」
「走ってないだけ進歩じゃない?」
予告
第7話「もっと強くお願いします」




