なんでそんなに速いのよ!?
眼下に広がる王都の街並みが、みるみるうちに後ろへ流れていく。
風を切る感触は悪くなかった。故障の原因を残らず取り除いたのだから、これくらいは動いて当然だろう、とリゼは思う。見下ろす通りでは、人々の姿が豆粒のように小さく見えた。
その時、背後から警笛のような音が響いた。
「そこの箒、止まりなさい!」
振り向くと、王都警備隊の飛行騎士が二騎、必死の形相で追ってきていた。
背に担った箒は、真新しい艶を放っていた。今月から配備が始まったばかりの、金冠工房製の最新型。王都警備隊の中でも、選ばれた者だけが乗ることを許された自慢の一台だと聞いたことがある。
「止まれと言っている!」
「止まりたいのですが」
リゼは素直に答えた。噓ではなかった。ただ、止まり方が分からなかった。
だが、追いつけていない。距離が縮まらない。二騎の警備隊員は、身を乗り出すようにして箒を加速させているが、リゼとの間合いは一向に詰まらなかった。
「おい、本当にこれ最新型か!?」
「配備されたばかりのはずだぞ!」
「じゃあなんで旧式に置いていかれてるんだよ!」
二人の怒鳴り合いは、風の音にかき消されて、リゼの耳にはほとんど届いていなかった。ただ、後ろで何か言い争っているらしい、ということだけは分かった。
リゼは速度を落とそうと、手元の調整レバーを目盛りいっぱいまで絞った。
速度はわずかに落ちたが、それでも警備隊との距離は縮まらない。もう一度確認しても、レバーは正常に動いている。ただ、最低出力の目盛りにしてなお、警備隊の飛行騎士たちの全速力を上回っているだけだった。
「申し訳ありません。速度調整が」
リゼは声を張り上げたが、警備隊との距離はむしろ開いていく。
地上では、ミナが叫びながら全力で走っていた。
「ちょっと、待ちなさいよ! あんたそれ、あたしの拾い物だからね!」
誰に向けた言葉なのかも定かではないまま、ミナは息を切らしながら大通りを駆け抜けていく。通行人が何事かと振り返ったが、それに構っている余裕はなかった。
仕方なく、リゼは自分から高度を落とし、広場に降り立った。
息を切らした警備隊員が、少し遅れて追いついてくる。
「お、お前……今の速度は、何だ……」
「旧式の飛行箒です」
「旧式でその速度が出るわけがないだろう!」
警備隊員は、自分の背にある最新型の箒をちらりと見て、それから悔しそうにリゼの箒へ視線を戻した。今月配備されたばかりの自慢の一台が、廃棄品にまるで歯が立たなかった。その事実を、まだ受け止めきれていないようだった。
リゼは箒を見下ろした。
もう一度、内部の魔力循環を確認してみたが、異常もなければ改造の跡もなく、すべてが本来の設計通りだった。
「……旧式、なのですが」
警備隊員は言葉を失っていた。
広場の端で、息を切らしながら追いついてきたミナが、両手を膝に突いたまま声を上げた。
「なんでそんなに速いのよ!」
「直しましたので」
「直しすぎでしょ、それは!」
リゼは首を傾げた。直しすぎ、という感覚が、彼女にはまだよく分からなかった。
周囲には、いつの間にか野次馬が集まり始めていた。誰かが指差しながら、連れの人間に何か話している。
「あれ、金冠工房の新型じゃないよな」
「いや、旧式だろ、あの形」
「じゃあなんで警備隊が本気で追いかけてたんだ」
「知るかよ。でもあの速さは異常だろ」
「今月出たばっかりの新型が、あの旧式に置いていかれてたよな」
「見た見た。警備隊、涙目になってたじゃん」
野次馬たちは好き勝手に話し続けている。誰も答えを持たないまま、ただ「見た」という事実だけが、王都のどこかで語り継がれていくことになる。
その視線の中心で、警備隊員は自分の箒とリゼの箒を何度も見比べていた。納得のいく答えを、まだ自分の中で見つけられずにいるようだった。
「……とにかく、次からは速度に気をつけろ」
絞り出すようにそれだけ言うと、警備隊員たちは気まずそうに引き返していった。二人分の背中から、隠しきれない敗北感が漂っていた。
野次馬もぱらぱらと散っていき、広場には再び、リゼとミナの二人だけが残された。
ミナは膝に手をついたまま、しばらく荒い息を整えていたが、やがて顔を上げた。
「はぁ……はぁ……ねえ、あんた。今の、ちゃんと分かってる? 警備隊が本気で追いかけてきて、本気で振り切られたんだよ」
「はい」
「『はい』じゃないっつーの」
ミナは深いため息をついた後、何かを思いついたように、じっとリゼの顔を見た。
「あんたさ」
「はい」
「もったいなくない、これ」
リゼには、その言葉の意味がすぐには分からなかった。
「もったいない、とは」
「あんたの腕。廃棄場の隅で、誰にも知られずに一人で修理してるだけなんて、もったいないでしょ」
「知られる必要は、特にありません」
「いや、あるでしょ。今日だけで、警備隊の自慢の最新機がボロ負けしたんだよ。これ、金になるよ、絶対」
リゼは首を傾げた。金になる、という発想自体が、これまでの彼女の頭にはあまりなかった。工房にいた頃は、修理は仕事の一部であって、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ただ、金という言葉で、思い出したことがあった。
「宿代が足りません」
半ば独り言のつもりだったが、隣にいたミナの耳には、しっかりと届いていたらしい。
「……あんた、さっき『元』って言ってたよね。仕事もなくて、宿代もないってこと?」
「はい」
「じゃあ話が早い」




