廃棄場の少女
王都の外壁を出てしばらく歩くと、石畳はいつの間にか踏み固められた土の道に変わっていた。
空気に、金属の焦げたような匂いが混じり始める。古い魔力が抜けきらない、独特の湿った匂いも一緒だった。王都外縁部、廃棄場が近い証拠だった。
道の両脇には、掘っ立て小屋のような建物がぽつぽつと並んでいる。屋根の修繕を諦めたのか、油布を被せただけの家も少なくなかった。
子供が数人、道端で何かの部品を投げ合って遊んでいる。リゼはそれを横目に見ながら通り過ぎた。
王都の中心部とは、明らかに違う匂いのする場所だった。
道の先に、山のように積み上げられた廃品の塊が見えてくる。壊れた家具、錆びついた農具、用途の分からない部品の山。その隙間を縫うように、小さな人影が動いていた。
少女だった。
癖のあるコーラルピンクの髪を、緩く一つにまとめている。作業の邪魔にならないよう、サイドの一房だけ細く編み込んであった。
額には古いゴーグルを跳ね上げたまま固定していて、ベルトの跡が前髪に薄く食い込んでいる。
日に焼けた肌に、片方の腕は継ぎ接ぎだらけの自作らしい機械の義手で、不釣り合いなほど武骨だった。薄汚れた手袋をはめ、使い込まれた道具袋を肩から提げている。年齢は十七、八というところだろうか。
動きに一切の無駄がない身のこなしで、少女は廃品の山に手を突っ込み、値打ちのありそうな部品だけを的確に選り分けていく。壊れた魔道具を見る目つきは、値踏みをする商人のそれだった。
リゼが近づくと、少女は顔を上げた。
「なに、あんた」
「通りすがりです」
「工房の人間だろ、その服」
「元です」
「元、ね」
少女は特に興味もなさそうに肩をすくめた。
「まあいいや。ここ、勝手に物取っていくと怒るからね。あたしの縄張り」
「盗みませんが」
「みんな最初はそう言うんだよ」
ミナは疑わしそうな目でリゼの荷物を見た。紙袋ひとつだけの、いかにも身軽な荷物。工房帰りにしては妙な軽装だった。
「あんた、その荷物だけ? 出張か何か?」
「いえ」
「じゃあ何」
「特に用はありません」
「特に、ね。さっきから、あんたの『特に』ばっかり聞いてる気がするけど」
指摘されて、リゼは初めて気づいた。たしかに、そればかり言っている。
リゼは何も返さなかった。実際のところ、今日中に宿を決めなければならないという事情はあったが、それをこの少女に話す理由が見当たらなかった。話したところで、何かが変わるわけでもない。
ミナはそれ以上追及せず、興味を失ったように肩をすくめた。
「まあいいや」
そう言うと、また廃品の山に向き直った。
リゼは特に予定もなく、廃品の山をゆっくりと眺めながら歩いた。錆びた鍋、脚の折れた椅子、動力を失った洗濯用の魔道具。
目に入るたび、原因が何となく分かってしまう自分の性分に、リゼは今更ながら少し呆れていた。工房では、これが評価されなかった。ここでは、それを気にする者すらいない。
視線が、ふと一点に吸い寄せられた。理由があったわけではない。ただ、そこだけ何かが違って見えた。
一本の箒が、廃品の山の端に立てかけられていた。
翼のように広がる補助部品の片方が、根元から折れている。表面の艶は失われ、あちこちに使用の跡が刻まれていた。
柄には赤い札が結びつけられている。廃棄の印だった。
リゼは黙ったままその場にしゃがみ込み、箒の裏を覗き込むと、指先で表面をなぞった。水色の瞳がわずかに揺れる。彼女にだけ見える、淡い光の筋が、箒の内部を這うように浮かび上がった。
一つの故障ではない。壊れた場所が、また別の場所を壊している。よくある壊れ方だった。
どれも、致命的な故障ではない。金冠工房なら「部品供給終了」の一言で片付けて終わりにする程度の、ありふれた劣化の連鎖だった。
柄の底に刻まれた製造番号に、見覚えがあった。工房で何度も扱った型だった。
少女が眉をひそめる。
「……何してんの」
「これは、もう捨てられた物ですか」
「は?」
「誰かの物として、まだ使われていますか」
少女は少し考えて、答えた。
「使われてないよ。金冠工房が、まとめて廃棄に出したやつの中の一本だから」
リゼはさらに箒を見つめた。光の筋は、まだ消えずに揺れている。
「これは、まだ直ります」
「はあ? 金冠工房が捨てたって言ったじゃん。あそこが直せなかったんなら、まず無理でしょ」
「あそこは、直せる物まで捨てています」
少女は探るような目でリゼを見た。
「あんた、名前は」
「リゼ・オルディアです」
「あたしはミナ。廃品回収やってる。……で、直るってどういう意味」
ミナの声には、単なる興味以上のものが混じっていた。廃品回収を生業にしている彼女にとって、目の前の人間が口にした「直る」という言葉は、聞き逃していい響きではなかった。
ミナはリゼの手元と、箒と、そしてもう一度リゼの顔を見た。何かを値踏みするような目つきだった。
「その箒、直せるんだよね。今すぐ」
「はい」
「本当に? 金冠工房が見捨てたやつだよ」
「見捨てたから、直せます」
ミナは一瞬、意味を測りかねたように黙った。だが、それ以上は追及せず、興味深そうにリゼの手元を見つめた。
リゼは箒に向き直った。
柄を両手で挟むように持ち、リゼは目を閉じた。
手のひらから伝わる感触で、箒の内側の状態が分かる。折れた翼の断面、偏った魔力の流れ、摩耗した接続部、劣化した安全装置。故障の全体像が、頭の中に一枚の絵のように広がっていく。
偏りの根は古い。摩耗や劣化のせいだけではなく、組み立て時の魔力接続そのものが、設計図よりわずかにずれていた。おそらく、この箒は新品だった当時から、一度も設計通りの性能を出したことがない。
発動するのは、《廃式修復》。
誰かが「もう使えない」と諦め、手放した魔道具にだけ干渉できる、修復魔女の能力だった。新品には使えない。
正常に動いている道具にも使えない。だが今、この箒はその両方の条件から外れている。
リゼの手のひらから、淡い光が箒に染み込んでいく。光は柄を伝い、折れた翼の断面へと集まっていった。廃棄場の薄暗い空気の中で、その光はまるで小さな星が降りてきたかのように見えた。
ミナは声も出せずに、その光景を見つめていた。
折れた翼が、断面をなぞるように繋がっていく。木の繊維が一本ずつ元の位置へ戻っていくような、静かな修復だった。裂けていた部分から、細い光の糸が幾筋も伸び、傷口を縫い合わせるように絡みついていく。
偏っていた魔力の流れが、正しい経路へ整っていく。光の筋が、翼の内部を巡る血管のように、正しい方向へ向き直っていった。
摩耗した接続部が、摩耗する前の状態に戻る。
劣化していた安全装置までもが、劣化する前の状態へと戻っていく。
故障の原因を、ひとつ残らず取り除いていく。リゼにとっては、それだけの作業だった。
同じ場所がまた壊れるようなら、それは直したことにならない。工房にいた頃、ガルドにその話をしたら、露骨に嫌な顔をされたことがあった。
理由は今も分からない。故障の原因を残したまま「直った」と言う方が、リゼにはよほど不自然に思えた。
「直りました」
ミナはしばらく箒を見つめていたが、やがて言った。
「噓でしょ」
「本当です」
「金冠工房が匙投げたんだよ、それ」
「工房は、直るところまで直していませんでしたので」
ミナは恐る恐る箒に近づき、折れていたはずの翼に触れた。
「継ぎ目は」
「ありません」
「いや、絶対あるでしょ。さっきまで折れてたんだよ」
「ありません」
ミナは箒を裏返し、表返し、光にかざしてまで確認したが、繋ぎ目はおろか、傷の跡すら見当たらなかった。
「……マジで直ってるし」
「はい」
リゼは箒を軽く持ち上げ、宙に浮かせてみた。箒はふわりと浮き上がり、ぴたりと静止する。
ミナが、試すように箒を横から押した。
箒はわずかに揺れただけで、すぐに元の位置へ戻った。もう一度、今度は強めに押してみる。結果は同じだった。
「何これ」
「姿勢制御です」
「旧式の箒に、そんな機能あったっけ」
「設計上は、あったはずです」
「あったはずって……今まで働いてなかったってこと?」
「はい」
ミナはしばらく箒を見つめ、それから諦めたように息を吐いた。
「乗ってみます」
「いやいやいや待って、それ廃棄品だよ、いきなり乗るとか正気?」
ミナの制止は、最後まで届かなかった。
リゼは箒にまたがった。箒はふわりと浮き上がり、危なげなく安定していた。想像していたよりも、はるかに滑らかな浮遊感だった。
「問題ないようです」
「問題ないようです、じゃないっつーの!」
ミナの声を背中で聞きながら、リゼは箒に乗ってゆっくりと高度を上げていく。
風が頬を撫でる感触は悪くなかった。廃棄場の匂いが遠ざかり、代わりに夕暮れの空気が肌にまとわりつく。見下ろせば、ミナが両手を振り回しながら何か叫んでいるのが見えたが、その声はもう届かなかった。
眼下に広がる王都の街並みが、みるみるうちに後ろへ流れていく。




