修理しかできない女
その日、リゼ・オルディアは仕事を失った。
理由は、直しすぎたことだった。
王都最大の魔道具工房《金冠工房》の作業場は、今日も新型の飛行箒の試作品で埋まっていた。
試験飛行から戻ってきたばかりの技師が、舌打ちをしながら箒を作業台に叩きつけるように置いた。
「くそ、また旋回時に失速する」
周囲の技師たちが集まり、原因を探り始める。リゼもその横を通りかかったが、足を止めることはしなかった。
何かが引っかかる感じはした。ただ、それが具体的に何なのかまでは分からない。
新品の魔道具は、いつもそうだった。故障した物を見るときのように、はっきりとした像を結ばない。
試作品は、まだ誰も諦めていない。ならば、リゼの出る幕はない。
灰がかった銀の髪を、後ろで無造作に一本に束ねている。飾り気のない作業用のローブに、年季の入った工具帯を巻いた姿は、二十二という年齢よりも幾分か地味に見えた。
ただ、その薄い水色の瞳だけは、故障した魔道具を覗き込む瞬間、わずかに揺れる。魔力の流れが、彼女の目にだけ、淡い光の筋として映るからだった。
削り出したばかりの木材の匂いと、魔力炉の熱気が混ざり合った空気の中を、リゼは歩いていた。
「オルディアさん、ちょっといいですか」
声の主は、経理部の若い事務員だった。手には、動かなくなった小型の魔導計算機を抱えている。
「これ、まだ買って半年なんですけど、急に動かなくなって」
リゼはそれを受け取り、裏返した。水色の瞳がわずかに揺れ、内部の配線をなぞるように、彼女にしか見えない淡い光の筋が浮かび上がる。数秒で原因が分かる。
「配線の接触不良です。買い替えの必要はありません」
「そうなんですか、半年で……」
「半年で壊れるように作られているだけです」
「直せますか」
「まだ使うおつもりですか」
「もちろんです、明日の締め作業に使うので」
「でしたら、直せません」
事務員は困惑した顔になった。
「え、でも……」
「まだ使うつもりのものは、直せません。規則です」
「規則、なんですか、それ」
「私の規則です」
この一言は、リゼが工房にいた三年の間、数えきれないほど繰り返してきた台詞だった。誰に何を聞かれても、答えはいつも同じだった。
事務員はしばらくリゼを見つめていたが、やがて諦めたように計算機を受け取った。
「分かりました……買い替えの相談してみます」
リゼはその後ろ姿を見送った。これは、いつものやり取りだった。工房にいた三年、こうした押し問答を何十回、何百回と繰り返してきた。
工房の中では、若い技師たちが新型箒の出力調整をめぐって言い争っていた。
「魔力効率を三パーセント上げれば、価格を維持したまま性能表示を変えられる」
「それより見た目だ。艶出し塗装のほうが客受けする」
どちらの話にも、リゼは耳を貸さなかった。新品の話は、いつもそうだった。
その一角、資料室の隅で、リゼ・オルディアは呼び出しを受けていた。
「リゼ・オルディア」
主任魔導技師ガルド・レヴァンが、書類を机に置く。
「今期の新商品開発、お前の名前がどこにも載っていない」
「はい」
「なぜだ」
「新品は作れませんので」
ガルドはこめかみを押さえた。
「既存品の性能向上案は」
「ありません」
「新機能の追加案は」
「ありません」
「……お前、この工房で何をしていた」
「修理です」
リゼは即答した。噓ではない。この三年、彼女がやってきたことはそれだけだった。
ガルドは書類をめくる。指先で、リゼの過去の担当案件の一覧をなぞっていく。
数はたしかに多い。だが、そのどれもが「新商品」の欄には結びついていない。
「修理案件、確かに多い。だが売上には繋がっていない。修理された魔道具は、二度と買い替えられないからな」
「直りましたので」
「そういうところだ」
ガルドは机の引き出しから、別の書類を取り出した。
「先月の件、覚えているか。子爵家の保冷魔導車だ」
「はい。冷却効率の低下でした」
「あれは新型への買い替え案件だった。営業が半年かけて話をまとめた。それを、お前が勝手に修理して終わらせた」
「依頼内容は修理でしたので」
「新型を勧める前に、お前が直してしまっては話にならないだろう」
「壊れていましたので、直しました」
「本来なら応急処置で十分な案件だった。十五分で終わる仕事だ。だがお前は、二時間かけて完全に直した。しかも追加料金は取っていない」
「同じ場所が、また壊れると意味がありませんので」
「客は満足する。だが工房には何も残らない。買い替えの機会も、応急処置の追加料金も、お前が全部潰している」
「壊れた物を、儲けのために半端に直せ、ということでしょうか」
ガルドの眉が、わずかに動いた。
ガルドはしばらく黙り、それから書類を閉じた。
「工房として、これ以上お前に給料を払う理由がない。今日で契約を終了する」
ガルドは付け加えるように言った。
「はっきり言っておくが、お前のような人間がいると工房の格が下がる。新しい物を生み出せない者に、技師を名乗る資格はない」
「では、直った魔道具には、何を名乗らせればよろしいのでしょうか」
ガルドは答えなかった。
リゼは少し考えた。反論する気はなかった。ただ、頭の中では別のことを考えていた。
「未修理品が、奥に十七件残っています」
「そういうところだ、と言っている」
「担当を引き継ぐ方には、資料の三ページ目を見せてください。保冷箱の案件は、もう少しで原因が分かるところでした」
「……もういい。荷物をまとめて出ていけ。それと、寮の部屋も今日中に空けてもらう」
リゼは頷いた。工房の寮に住み込みで働いていた以上、契約終了は住む場所を失うことと同義だった。当然の話ではあったが、改めて言われると、少しだけ現実味が増した。
荷物は紙袋ひとつ分だった。ドライバーと、魔力計測器と、着替えが少し。三年勤めた工房を出るには、あまりにも軽い荷物だった。
悲しくはなかった。腹も立たなかった。ただ、資料室に置いてきた十七件の未修理品のことだけが、少し心残りだった。
あの中の一つ、動かなくなった保冷箱は、あと少しで原因が分かるところだった。もう一つ、音の出なくなった魔導楽器も、内部の弦の張力を調整すれば直るはずだった。担当が変わって、雑に処分されなければいいが、とリゼは思う。
工房の正面玄関を出る際、すれ違った若い技師の一人が、小さく声をかけてきた。
「オルディアさん、辞めるんですか」
「はい」
「……お世話になりました。この前、換気扇の調子見てもらったの、助かりました」
「直っていましたか」
「はい、今も普通に動いてます」
「それは何よりです」
リゼはそう返すと、工房の外へ足を向けた。
途中、作業場の窓越しに、朝見かけた試作品の箒がまだ調整を続けているのが見えた。相変わらず、何かが引っかかる感じはする。だが、それが何なのかは、やはり分からないままだった。
そもそも、あれはまだ誰も諦めていない。ならば、リゼには関係のないことだった。
リゼは工房を後にした。
王都の大通りを歩きながら、リゼは自分の身の振り方について、特別な感情もなく考えていた。工房を離れることに不安がないわけではなかったが、それよりも先に、もっと現実的な問題があった。
王都の外壁が見えてくる頃には、日が傾き始めていた。石畳の道が途切れ、代わりに踏み固められた土の道に変わる。
空気に、何か焦げたような匂いが混じり始めた。王都外縁部、廃棄場の近くまで来た証拠だった。
外壁の門をくぐる際、詰所の門番がリゼの荷物をちらりと見た。
「そっちは廃棄場の方角だぞ。何か用か」
「特にありません」
「特に、ね……。まあ、勝手にしろ」
門番はそれ以上追及せず、リゼを通した。王都の外側へ向かう人間は珍しくない。ただ、紙袋ひとつだけを提げて、これから先の当てもなく歩いていく者は、そう多くはなかった。
ただ、ひとつだけ気になることがあった。宿代が足りない。
王都の外縁部へ向かって歩きながら、リゼはそのことだけを考えていた。




