N as in Name(名前のN)、V
よって、手っ取り早く「you」と言ってしまいがちだが、これだとクラスが混乱する。グループレッスンのときに「you」と言ってしまうと、誰が指されたのかはっきりしないからだ。
「え? 私?」、「え? 僕?」と、生徒様が首(neck)をひねることになる。
だから名前(name)を覚えろよ、というのは本部からの実用的なアドバイスであるが、名(name)呼びの利点はこれだけではない。同時に、クラスをうまく回すのに必要なテクという側面もある。
人は名指しで指名されると、自分がやらなければならない、と当事者意識を持つものだ。「Please do this. (これをやってください)」と言うよりも、「Aiko, please do this. (愛子、これをやってください)」と言った方が指示が通りやすい。特に生徒さんが恥ずかしがって積極的に発言しないときは、バンバン名前(name)を呼ぶ。しつこいくらいに呼ぶ。すべての話し掛けに名前(name)を入れる勢いで、呼ぶ。それくらいやると、「もうしょうがないなあ」と生徒さんも応えてくれるようになる。
「大人なんだからそこまで言われなくてもやれよ」などということは言わない。学校教育の弊害で、「授業とは、先生の話を大人しく聞くもの」という癖が染み込んでいる方も多くいるからだ。「ここは自由に発言していい場所なのですよ」と生徒さんに思ってもらうには、名前(name)を呼んで指示を出すのが一番有効なのだ。
また同じく、褒めるときも「Ryuhei, good job! (龍平、よくやった!)」と名前(name)を入れる。その方が伝わりやすいし、生徒さんのモチベーションアップに繋がるからだ。名前(name)も、褒め言葉の一部なのだ。『他の誰でもない、あなたの頑張りを、私は褒めているのだ』というアピールだ。
すごく嫌な言い方をしてしまえば、英会話講師は生徒さんを手のひらで転がしているのだ。あくまでレッスンの中だけの限定だが。
この名前(name)を頻繁に呼ぶというテクは、セールスマンもよく使う。なぜなら、相手の好感度を上げるにも有効だからだ。
『単純接触効果』という言葉を聞いたことがある人も多いだろう。人は、物や人に繰り返し接触するだけで、「なんか好きかも」と思ってしまう生き物だ。親しみを感じるものイコール好きなもの、と関連づけてしまうからだ。
相手が何度も自分の名前(name)を呼んでくれる。この人はきっと自分のことを好きなのだろう。じゃあ、私もこの人を好きだ。と無意識のうちに思ってしまうのだ。
いわば心理戦の一つだ。
人は自分を一人の個人だと認識してくれると嬉しく感じる、などと言うとナルシストな感じがするが、これは集団で群れて暮らす人間のサガなのだろう。自分の名前(name)をネットで検索することを「エゴサ」と言うが、「エゴ」という言葉が入っている通り、ややネガティブな印象を受ける言葉だ。「自分のことなんて検索しちゃって……」と自虐的に使うことが多いが、人としては自然(narural)なことだろうと瑛子は思う。
人が集団で生活をすることには多くの利点がある。ただ、多くの人に囲まれて暮らしていると、自分がだんだんと埋もれていくような気持ちになる。
だからこそ、人は個人に名前(name)というものをつけ、自分と人を区別して生きているのだ。
一人は寂しい。誰かといたい。みんなと同じでいたい。……でも、多くの人の中から自分を見つけてほしい。
それが名前(name)の本質なのではないかと瑛子は思う。
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お昼(noon)過ぎ。やっと休憩に入れた瑛子は、買ってきたサンドイッチを食べた。カバンの中に入れっぱなしだったので、ややパンがしなっとしてしまったが、パリパリのレタスに、塩気のあるハム、そしてナッツ(nut)入りのクリームチーズが絶妙だ。
意外な美味しさに、瑛子は近く(nearby)に置いておいた老眼鏡をかけてお店のパンフレットを読んだ。老眼鏡が鼻(nose)からずり落ちてくる。この眼鏡は見た目は素敵(nice)なのだが、いまいちフィットしないところが難点だ。
サンドイッチは駅前のポップアップ店で購入したものだ。近所にも新(new)店舗ができる旨が小さく書いてあることに気づく(notice)。オープンは十一月(November)だそうだ。
もう少し大きく書けばいいのにねえ。
若い頃は気にしたこともなかったが、こういった小さいパンフレットの小さい字は、読みづらくて仕方がない。
昼ごはんを食べ終わると、途端に眠気が襲ってきた。




