M as in Minimalist(ミニマリストのM)、VIII
「でも別に、ホテルみたいに片付いているわけじゃないわよ。娘が帰ってくると、『ママ(mom)ったらまたガラクタ買って!』って叱られるもの。でもいいの。人にとっては不用品でも、私にとっては宝物だもの。買いたいと思ったら、その気持ちを尊重して買うのが私のモットー(motto)よ。どうせあの世に金(money)なんて持っていけないし。子どもたちには、遺産なんて当てにしないで働けって言ってあるわ」
「幸子先生、かっこいい!」
書類作業を終えた紀子ちゃんが、幸子先生を崇めるように見た。
瑛子も頷く。
「ふふふ。まあ断捨離も、買い物沼も、一度とことんやってみるといいのよ。そうしたら自分のリミットが分かるから。びびって真ん中(in the middle)くらいで止めちゃうから、いつまでたってもくすぶるのよ。『ああ、あの時こうしておけば……』って。両極端にぶれることだって、生きているうちにしかできないんだからね。自分のことを知らないまま生きて死ぬなんて、チャンスを逃す(miss)ようなものよ。それじゃ何のために生まれたのか分からないじゃない」
幸子先生の顔は神々しく輝いているように見える、と瑛子は思った。
そして瑛子の頭に浮かんだのは、このフレーズ。
Memento mori.
『汝、死を覚えよ』
ラテン語の有名な言葉だ。
死は免れない。だからこそ、今日この日を、意味のある(meaningful)一日にしようではないか、と生を讃える言葉である。
「何かが増えすぎたら減らせばいい。まあ人生は、十引く三は七(Ten minus three is seven.)みたいに単純な計算ってわけにもいかないけど。『もっと!(More!)』って時と、『もういらん!(No more!)』って時があっていいのよ。別に成績表をつけられてるわけでもないんだし。でも結婚(marriage)生活を続けたいなら、お互いに妥協する(meet each other halfway)ことも大切よ」
meet each other halfway は直訳すると、「道の半ばでお互いに会う」となる。つまり、「お互いに半分くらいのところで妥協する」、という意味だ。
「……なんか私、いま無性に天の川(Milky Way)が見たくなってきました」
清美先生が呟く。
「わかる。私も今なった。なんか、大きなものに抱かれたい気分になった」
瑛子も頷いた。
「この宇宙には何百万(millions)という星が煌めいていますからね」
紀子ちゃんは両手を広げた。
「心(mind)が広がっていくわね」
瑛子も手を組んで宙を見上げた。
そんな三人の様子を幸子先生は面白そうに眺めている。
「面白いわね、あなたたち」
「We are moved by you, Sachiko sensei. (私たちは幸子先生に心を動かされたんですよ)」
瑛子は幸子先生を見つめながら言った。
Moved byで「感動する」、「心を動かされる」という意味だ。
心は動く(move)のだ。良い方にも、悪い方にも。日々心を動かし、動かされながら、人は生きている。
◆◇◆◇
Less is more.
というフレーズがある。
「少ない方が良い」、「少ない方が効果的だ」、といった訳がつくことが多く、「必要最低限だからこそ見えてくる美しさや機能美がある」といった文脈で使われる。
日本語の「過ぎたるは及ばざるがごとし」に近い言葉だ。
一方で、
More is more.
というフレーズもある。
これはLess is more. に対抗したフレーズで、「なんだかんだ言っても、結局多い方が良いに決まってんじゃん」といった場面で使う。
ミニマリスト(Minimalist)か、それともマキシマリスト(maximalist)か。
このmaterial world (物質世界)で生きる我々は、この二つの間を行ったり来たりしている。
どちらが良くて、どちらが悪いというわけではないのだろう。
気分や環境にも左右されるし、いくら欲しいものがあったとしても、先立つもの(つまりmoneyだ)がなければ、どうにもならないこともある。
特に現代など、ネットを見ているだけでいつのまにか市場(marketplace)に誘導される、誘惑の多い時代だ。
「女優の〇〇さんが持っているカバンはこれ! このボタンをクリックすれば、今すぐ買えますよ!」と。
それでも。
こうして悩めるのも、生きているからなのよね。
瑛子は昨日片付けたばかりなのにすでに足の踏み場もないリビングを歩きながら、苦笑いした。
幸せになれる鉄板の方法(method)などない。物に助けられながら、また、物にいらいらさせられながら、それでも人は物と共に生きていくのだ。
この前掃除したばかりの小物入れの上には、すでに埃が積もっている。ティッシュでそっと拭くと、くしゃみが出た。
ちなみにだが、Mの音をきれいに出すコツは、このくしゃみの感覚だ。
花粉症の時や、胡椒を振りかけてその空気を吸い込んでしまったとき。鼻の付け根、眉間の近くの鼻の奥がむずむずする。そのむずむずしている異物を吹き飛ばすつもりで、くしゃみをする。
このむずむずするあたりからMの音を出そうとすると、鼻に抜けたMの音が出るのだ。
ま、とりあえずパソコンは使えるようになったし。
夫が落としたせいでやや角が割れているパソコンを撫でながら、瑛子は本日の夕飯のメニュー(menu)を考えた。
メキシカン(Mexican)で、タコスなんていいんじゃないかしら。そういえばどこかに、前に買っておいたトルティーヤの皮があったはず。
食後は生のミント(mint)でミントティー(mint tea)にしよう。いや、大人はモヒート(mojito)だな。
こんな小さなことで気分が上がる人生も、悪くない。
瑛子はお気に入りの音楽(music)をかけて、エプロンをつけた。




