L as in lady(レディのL)、IV
おばさんがold ladyと訳されるのは、他に良い翻訳がないからだ。「おばさん」という言葉を初めて聞いたネイティブは、おそらく首を傾げただろう。
日本人の説明を聞くに、おそらく「Obasan」とやらは、年齢が上の女性のことを指しているのだろう。女性はladyかwomanかfamale。年上はoldだ。じゃあ、まあold ladyってことになるかな? と思ったのではないか。そしてこうも思ったはずだ。別にそんなに、old ladyと連呼する必要もなくないか? と。
これは決して、欧米人が全員フェミニストで、女性を年齢で差別しないから、というわけではない。
もちろん、old ladyという言葉は存在する。だが、わざわざoldを入れなくても、言い方によっては、ladyと言うだけで、『オールドミセス』というニュアンスを出すことができるため、あえてoldを入れない、という点が一つ。
また、that ladyのような言い方(口語なら強調して言う、文章なら斜体にする)をすれば、「きっとこの人はある程度歳なんだろうな」と推測することができるためだ。
また、そもそもとして、なぜ日本でこれほどまでおばさん(old lady)という言葉を使う機会が多いかというと、その女性の名前を知らない、もしくは言いたくないからの場合と、その人を表す適切な言葉が他にない場合があるからだ。
英語には、sheという代名詞がある。ゆえに、わざわざ『おばさん(old lady)』を連呼しなくても、なんら問題はないのだ。
たとえば、こんな場合。
「この前さ、列に並んでたら横入りしてきたおばさんがいて。私言ったんだよ、おばさんに、横入りしないでくださいって。そしたらそのおばさんがさ、『私はさっきこの辺りに並んでたのよ』って言ってきて。いやそれ関係ないんですけど。列出たんなら後ろに並んでくださいって言ったんだけど、おばさん聞こえないふり。なんだこのおばさんって思って!」
さて、何度おばさんを連呼しただろう?
この話し手は、おばさんの名前を知らず、さらに、他にこの女性を指し示す言葉がないため、おばさんという言葉を使うしかないのだ。
だが、英語であれば、最初こそold ladyと言う必要はあるかもしれないが(ただのladyだけでも十分)、その後は代名詞のsheを使うのが通常だ。むしろ、ladyを連呼する方が不自然である。
ゆえに、old ladyという言葉を使う機会も聞く機会も、日本語より少なくなるのだ。
しかも、日本語の『おばさん』のさらに厄介なところは、おばさん世代に「おばさん」と言うといらっとされるが、おばあさん世代に「おばさん」と言うと、それは褒め言葉になるという点だ。
「おばあちゃん、席どうぞ」と言うより、「おばさん、席どうぞ」と言って電車の席を譲った方が、そのおばあちゃんは喜ぶだろう。
瑛子の祖母は、他人に自分のことを話す時には、絶対に「おばさんはね、」と言っていた。
孫にならともかく、他人にはおばあちゃん扱いされるほど歳ではない、と思っていたからだろう。
その辺りの線引きが、なんとも微妙なのだ。
「てか私の話ばっかりしちゃってごめん。そっちはどう?」
「ははは……」
瑛子は乾いた笑いをもらした。
「ほら、ウチはさ、あんなんだったじゃない。今は大人しくしてる(lie low)わ」
瑛子の言う『あんなん』とは、ナイフ事件のことだ。やっと落ち着いてきたとはいえ、完全に下火でもない状態のため、教室としては目立ったことはできない。
Lieには、『嘘』という意味もあるが、また、横たわるとか、ある状態のままじっとする、という意味もある。
Lowは、低いという意味。
その二つを合わせた『Lie low』とは、低い状態でじっとする、横たわるという意味だ。
これが転じて、身を隠す、潜めるという意味になり、つまり目立たないようにするとか、大人しくしてると言いたい時に使う。
かくれんぼしているときを思い浮かべるとわかりやすい。
「あー、うちの妹(little sister)の旦那もさ、瑛子のとこじゃないけど英会話学校通ってて。そっちも安全措置がうんぬんって、いろいろ対策してるみたいよ」
小さい(little)姉妹(sister)と書いて妹(little sister)。
これは、物理的に背が高い低いの問題ではない。自分より年上か、年下かの区別をつけるためにlittle をつける。sister だけだと、姉なのか、妹なのか、分からないためだ。




