K as in Kill(殺すのK)、II
いつも頼りになる受付スタッフの紀子ちゃんの声だ。
常に笑顔を欠かさず、生徒さんのクレームにも穏やかに対応し、他の受付スタッフをまとめている、マネージャーよりもよっぽどしっかりしている子。
裏のドンとすら言われていて、可愛らしい容姿とメイクとは裏腹に、結構気が強くて打たれ強い彼女がこれほど取り乱すなんて、よっぽどのことだ。
「どうしたの!?」
何か紀子にあったのか。瑛子はスマホを握りしめた。
「ひっく、ひっく、たっ、丹野先生の奥様が、奥様がっ! いきなり教室にいらしてっ……! 『夫はどこにいるんだ? 殺して(kill)やる!』って言って! 教室に、すごい髪を振り乱して入ってきて、レッスン室を一部屋、一部屋、叫びながら開けていったんですぅっ!」
紀子は涙声で声を詰まらせながら訴える。
「まさか!(No kidding!)紀子ちゃんは大丈夫なの? 他のみんなは、生徒さんは!?」
「大丈夫ではないですけど、大丈夫です! 男の人たちが丹野先生の奥様を押さえ込んでくれて、私たちは無事だったんですけど……でも、マネージャーが奥さんを羽交い絞めにしようとして、鼻をノックアウト(knock out)されちゃって。鼻血がぶわって出て、ふらっとよろめいたら、壁に頭を打っちゃって、目を回して倒れちゃったんです。それで、救急車で運ばれていったんです!」
「ええ!」
まさかのマネージャー、KOか。
KOはノックアウト(knock out)の頭文字だ。Kから始まるのに『ノ』の音なのは、Kを発音しないからである。
他にも、知る(know)や膝(knee)にも、同じ法則が当てはまる。
「奥さん、床に押さえつけらてからも、『夫を殺して(kill)やる』ってずっと言ってて、怖かったですぅぅぅっ!」
紀子はついに声を上げて泣き出してしまった。
そりゃあ怖かっただろう、と瑛子はその光景を想像してぶるりと震えた。
Killは『殺す』という意味だ。
物騒な単語ではあるし、気軽に使う言葉ではない。ましてや人に向かって言っていい言葉ではない。
英語でもKillは『殺す』という意味であることには変わらないが、英語では日本語よりも意味が広い。辞書を引いてみると分かるが、『殺す』以外にも様ざまな意味があるのだ。
例えば、『痛みを殺す』と書いて、painkiller。これは、痛み止めのことを指す。ここでの『kill』は、『痛みを取る、もしくは鎮める』という意味だ。
また、Kill timeといえば『時間を潰すこと』だ。
例えば、
What are you doing? (何してるの?)
I’m just killing time. (時間潰してるだけ)
といったふうに使う。
それから、
My legs are killing me.
とは、直訳すると「私の脚は私を殺している」となる。
もちろんだが、脚が個別の意志を持って、その脚の持ち主を殺すことなどできない。
これは比喩表現で、例えば歩き疲れた時に「足がすごい疲れた」などという意味で使う。「もうね、殺されるくらいめっちゃ疲れたの」と痛みを強調するニュアンスだ。
また、何かをボツにしたり、キャンセルしたりする時もkillを使うことがある。
Kill that project.
そのプロジェクトはボツにしろ。
といった具合だ。
『kill』には、故意的に殺すという意味だけでなく、その意思はなくても偶然に殺す(という言葉がそもそも日本語としておかしいが)という意味もあり、これがどういう状態かというと、例えば交通事故で誰かが亡くなった場合、
He was killed in a traffic accident.
彼は交通事故で命を落とした。
となる。ここでは『kill』という単語が使われているが、日本語訳にするときは『命を落とす』もしくは『死亡する』といった言葉に変えることが多い。
日本語で『殺された』としてしまうと、意志を持った誰かに命を奪われる意味合いが強い。だが、英語では殺す意思がない場合でも、killを使うからだ。
死亡記事や追悼メッセージなどでも『He was killed in a traffic accident. 』といった表現は使われており、『kill』という言葉を使っているからといって、すぐに『殺人』を示唆するものではない。
「――それで、急いで救急車と警察を呼んで、来てもらったんですけど。それで、警察の人がその奥さんのカバンを開けたら……なんと、中からナイフ(Knife)が見つかったんです」
紀子は声を震わせた。




