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A to Zで綴る瑛子の日々  作者: 上条ソフィ


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59/65

K as in Kill(殺すのK)、I

Kから始まる英単語の回。

「ふわぁ……おっと」

 瑛子は思わず出てしまったあくびを途中で飲み込んだ。

 頭がぐらんぐらん揺れてくる。

 気を抜くと、瞼もどんどんと降りてくる。

 前方から聞こえてくる声は、子守唄か。それとも、念仏か。


 今日は、本社での研修に参加している。

 わざわざ電車を乗り継ぎ、本社まで馳せ参じているのには、訳がある。


 それは、これ。


『本校の一流講師陣は、厳しい選別を潜り抜けています。採用確率、わずか十パーセント。採用後も、インテンシブトレーニングに合格した高水準の者のみが、講師として生徒様のサポートにつきます。その後も講師はたゆまず努力を続け、常に英語力をブラッシュアップしています』

 というのが教室の謳い文句、というか、セールスポイント? だからだ。


 正直なところ、採用確率が十パーセントは盛りすぎだろうと瑛子は思う。いくら『厳しい選別を潜り抜けて』採用されようと、その後に本社でトレーニングを受けようと、先生たちの実力も知識(knowledge)も、まちまちだ。はっきり言って、できる人は最初からできるし、できない人はできない。


 知識(knowledge)の量はその人のそれまでの人生を反映しているし、人前に立って話すことにも向き不向きがある。


 一応トレーニングは受けてくるが、「あとは現場で覚えさせてね」と本社に送り出された新人先生たちを実際に教育するのは、瑛子たちベテランの役割だ。早い話が、丸投げされているのだ。


 だったら、十パーセントだけしか取らないんじゃなくて、もっと採用しろよ、と現場の人間はよく言っている。この講師業というもの、離職率が高くて常に人不足に苦しんでいるからだ。生徒様だけでなく、先生たちをキープ(keep)するのも大変なのだ。


 そして、教室の謳い文句の『講師はたゆまず努力を続け、常に英語力をブラッシュアップしています』を実行せんがために、瑛子たち講師は、こうやってちょくちょく本社に呼び出される。

 研修を受けて、よく分からない修了書というものをありがたく頂戴して、教室の講師紹介のところに貼っておくのだ。


 歯医者でも、接骨院でも、塾でも、「なんちゃらコースを終了したことをここに示す」と書かれた賞状が、立派な額縁はまって、大仰に飾られてるを見たことがある人も多いだろう。まさにあれだ。


 英語研修だけではない。英会話講師といえど、業務は多岐にわたる。生徒様のサポートだったり、新しい教材の使い方を学ぶことであったり。タブレットやら、ITインフラやら、QRコードやら。気がつくといろいろな機能がどんどん追加されていくので、そういった技術的なものを学ぶこともある。そうしないと、生徒様に質問されても答えられないからだ。


 結構ないいお年の瑛子にとっては、英語よりこちらのほうが大変な仕事である。知識保持(knowledge retention)するどころか、覚えた矢先からポロポロとこぼれ落ちていくのだ。特に、IT系はさっぱり。


 さて、その研修中。お昼を過ぎて、眠気と戦いながら本社エリート講師の話を聞いていると、ガヤガヤと会議室の外が騒がしくなってきた。


「ちょっと来てください」

 社員の一人に、瑛子は呼ばれた。数十人の講師が集まる中で、名指しで呼び出しをくらうとは、穏やかではない。何事だ、と瑛子は慌てて席を立った。


「瑛子先生の〇〇教室なんですけど、何か聞いてますか?」

 やけに真剣な顔をした若手の社員が瑛子に聞いてくる。

「……なんでしょう。分からないです(I don’t know.)。えっと、特に聞いてませんけど、何かありました?」

 恐る恐る、瑛子は聞き返した。


 なんだ。クレームか。マネージャーが何かしでかしたのか。それとも、瑛子が何かやった? 心当たりはないが、人間というのは、改めて自分の身辺のことを聞かれると、やましいことがなくても挙動不審になってしまうものである。


「いやあそれがちょっと大変っていうか……やばいです」

 そんなに皺を寄せてたら跡がついちゃうわよ、若いのに、とつい瑛子が心配になってしまうほど真顔で、若い社員は言い切った。

「……はい?」

 やばいとは何事だ。

 真剣な顔と、『やばい』の言葉がマッチしない。思わず瑛子は聞き返した。


「詳しいことはまだちょっと把握できてないんですけど、どうやらお教室の方に変質者が出たみたいなんですよ。てか、殺人犯(killer)? なんか、とにかく、やばいらしくて」


「ええ!」

 瑛子は急いで自分のスマホの画面を見た。マナーモードにしてあったので、震えることすらしていなかったけれど、着信がびっくりするほど多く溜まっていた。

 さすがに異常事態だと思ったその瞬間、瑛子の働く教室から電話がかかってきた。


「すみません、ちょっと電話が入ってるみたいなんですけど、出ていいですか? うちの教室です」

「どうぞ」

 社員は手で促す。


「もしもし?」

 電話を取ると、電話の向こうから泣き声が飛び込んできた。

「瑛子ぜんぜいぃ! 助けてくだざいぃ!」

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