J as in Judge(ジャッジのJ)、IV
「おはようございますー」
瑛子が教室のドアをくぐり抜けると、出迎えてくれたのは大きなジャック・オー・ランタン(Jack-o-lantern )だ。もちろんプラスチック製。時々キッズクラスのお子様に蹴られても壊れない、優秀なメンバーだ。
先輩のガイコツくんは、子どもたちに「怖い」と泣かれ、勢いよく蹴った子どもに倒され、骨折してバックオフィスに引っ込んでしまった。すっかり引きこもりだ。
それに比べ、ジャック・オー・ランタン(Jack-o-lantern )のお利口なこと。どれだけなじられても笑い続けるこの子は、大物に違いない。
瑛子の頭の中でジャック・オー・ランタン(Jack-o-lantern )と骸骨の物語が展開し始める。
……いかん。暑さで頭がやられてるわ……
せめてもの救いは、ハロウィンにはテーマソングとなる代表的な歌がないことか。これからも誰も作るなよと瑛子は祈っている。
ハロウィンが終わったら、今度は年末までずっとジングルベル(Jingle Bells)が流れるようになるのだ。
『Joy』という言葉が一年で一番溢れるのは、これから来るクリスマス時期。『Joy』とは、喜びや歓喜という意味。だが、クリスマスシーズンは忙しすぎて『joy』どころではない。
そして一月(January) になったら、今度は新年の歌が流れまくる。
喜びもめでたくもない。もはや、呪いに近い。
瑛子は軽く頭を振るとバックオフィスに入っていった。
机の上には、目玉の形をしたゼリー(Jelly )が大量に置かれていた。
「……どうしたの、これ?」
瑛子は引き気味に聞いた。机が揺れるたびに、目玉の形のゼリー(Jelly )も一緒に揺れる。それが何ともリアルで気味が悪い。
「あ、瑛子先生、おはようございます」
マネージャーが何か人型のものを抱きしめながら挨拶してきた。
その人型のものは、瑛子の息子ほどの背丈で、何かの衣類を着ている。衣類というか、ズタボロの布のようなものだ。袖からは、頭と手足が飛び出ている。
顔もあるようで、ベースボールほどの大きさの真っ黒い目は、黒のマーカーで描いたのだろうか。唇はこれまた真っ赤で、口裂け女のように顔の端から端まで繋がっている。
ぬいぐるみのようなその柔らかいものが、マネージャーに抱かれて、両手を投げ出してぶらぶら揺れている。首は折れ曲がりそうなほど後ろに反って、空虚に宙を見つめながら笑っているのだ。
「「That’s ugly. 」」
アメリカ人の外国人講師のマークと、瑛子の声が重なった。
「Jinx!」
マークが素早く声を上げる。
「あっ! Jin—」
一拍遅れて瑛子も言うが、マークの方が早く言い終わってしまった。
「I was faster!(僕の方が早かった!)」
ドヤ顔をしてマークが胸を張る。
Ok, boy. You won. (わかったわよ、坊や。あなたの勝ちね。)
瑛子は呆れたように目を回すと、無言で肩をすくめた。
何をしているのかと思われるかもしれないが、これは英語圏で子どもがよくやるゲームだ。
二人同時に同じ言葉やフレーズを言ってしまったとき(瑛子とマークのように)、その後すぐに、「Jinx!(ジンクス!)」と言う。これを先に言った方が、後に言った方を呪う――というほど強力なものではないが――後に言った方を悪運にさせる権利を得るのだ。
つまり、主導権を握られるということ。
ジンクス(Jinx)をかけられた人は、ジンクス(Jinx)をかけた人のお許しが出るまで(もしくは呪われた人の名前を何度か言うまで)、話すことができなくなる。
だから、瑛子は今、話せない状態になってしまった。
ジンクス(Jinx)と言うと、日本語では「恋のジンクス」や「成功のジンクス」などと言って、願掛けのように使われるが、これは本来の意味とは異なっている。
本来、Jinxとは、悪運や不運という意味だ。
この単語は動詞としても使えて、
「Don’t jinx me!」と言えば、
「縁起悪いこと言わないでよ!」という意味だ。
「ふっふっふ。僕はこのゲームで負けたことないからね!」
マークが腕を前に組んでふんぞり返った。
瑛子は無言で「はいはい」と頷いた。
「瑛子、ジュースを買ってくれたら話してもいいよ」
瑛子はまた無言で頷いた。
契約成立だ。
「ああ! 久しぶりにやったわよ。とっさに反応できない!」
瑛子は悔しそうに顔を顰めた。
その様子を眺めていたマネージャーが、何事かと目をぱちくりさせる。
「ただのお遊びだよ」
マークはマネージャーに向かってウィンクをした。
ウィンクを正面から受けたマネージャーは、ちょっと顔を赤らめて、ぬいぐるみらしきものをぎゅっと抱きしめた。
マークのこういうところがアメリカ人だなあと瑛子は思う。日本人はウィンクなんてほとんどしないが、欧米人は老若男女問わず、割とカジュアルにするものだ。こういったものに免疫のない日本人は、実際にやられると結構、衝撃を受けるのだ。
まあ、マークはいつもは日本通のオタクなのだけど。




