I as in I(私のI)、VI
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今を生きる我々は、幼い頃から『インターナショナル(international )で、グローバルな人材になれ』と発破をかけられてきた世代だ。
何をもって『インターナショナル(international )で、グローバルな人材』なのかは曖昧なまま、とりあえず英語くらい話せるようにならなければと焦りつつ。
その時のブームによって、「文法をやれ」、「いや、文法など意味がない。やっぱりヒアリングができないと」、「いや、日本人に必要なのは発信する力だ。やはり、スピーキングだ」、と流れに流され、方針はコロコロ変わり、結局何をすれば良いのかよくわからないまま。
「自分は英語ができない」という思いだけ抱えて大人になった、という人も多いのではないだろうか。
実際には興味(interest)がなかったり、それほど重要(important)でないと思いつつ、「やりたくない」と言いだしづらい雰囲気に、居心地の悪さを感じている人もいるのではと瑛子は想像する(imagine)。
それに、もし時間と労力を英語に費やし(invest)しても、英語が上達(improve )しなかったら、どうする? 学校の先生は英語は必須だと力説する(insist)けど、英語って普段の生活で必要なくない? と思っている人もいるのではないだろうか。
瑛子は英会話教室の講師(instructor)だが、英語が必須だとは思っていない。大切(important)ではあるが、必要不可欠(indispensable)ではない、というスタンスだ。
なぜなら、国内で生活するなら、日本語で十分だからだ。母国語ではないのに、英語を話さなければ生活に支障をきたす国に暮らす人々とは違う。
つまり、多くの日本人にとって、英語はオプショナルなのだ。
好きではないのなら、無理をせず、その代わりに(instead)、英語に費やす時間をもっとその人の興味(interest)のあることに費やしてもいいのではないか。
特に語学学習というのは、一朝一夕でできるようになる類のものではない。費やす時間に対して、リターンが少ない。というか、使いものになるまでに、時間のかかるジャンルのものだ。
誰かもっと効率のいい学習方法を発明して(invent)くれよ、とは思うが、物作りと同じような改善(improve)方法で効率化できるものではない。
インプット(input )を多く入れて、それをアウトプットに変換するのが言語習得の基本だが、そもそも、人間の構造自体が、急激な変化に対応するようには作られてはいないのだ。
だから、英語ができないからといって自分を卑下する必要はないし、逆に英語ができるからといって自慢しすぎる必要もない。努力をしてできるようになったのであれば、その努力は讃えられるべきだとは思うが。
どうやって人生を生きるか。
何に時間と労力を費やすか。
それは個人(individual)の自由だ。
周りに左右されず、自主的に(Independently)決めたことであれば、それは尊重されるべきである。
……というのは、まあそうなんだけど……ね?




