I as in I(私のI)、III
また、文章にならないという以前に、そもそも持ち札の語彙が少ないことも原因の一つだ。
当然だが、知っている言葉が少なければ、自分の気持ちを言葉にして表すことは難しい。
特に思春期以降の生徒さんだと、第一言語で思考の回路がほぼ出来上がっている。すると、日本語の語彙は充分にあるのに、英語でそれを表すだけの語彙がない、とギャップがある状態に陥る。
「話したいのに言葉にならない」というのは、フラストレーションが溜まるものだ。
じゃあ、語彙を増やせ(increase)ばいいんじゃん、ということになるが、語彙なんてそんなに簡単に増え(increase)るものではない。地味だが、コツコツと暗記していくしかないのだ。
『一日に百個英単語を暗記すれば、一ヶ月で三千個も増える!』と挑戦しようとしてみた経験はないだろうか。
三千語といえば、これくらいの語彙数があれば、ほぼ生活には苦労しないだろう、と言われている量だ。だが、これをやり遂げたという人を、瑛子は見たことがない。大抵みんな、途中で挫折するものだ。
それから意外と見逃しがちなのが、シンプルなこの問題(issue)――
「それはですね、日本語と英語の文の順序が逆だからですね」
瑛子はきっぱりと言った。
生徒さんはきょとんと首を傾げている。
瑛子は続けた。
「こればかりは、英語を学ぶ日本人の宿命としか言いようがないですけれども。日本語から英語に文章を変換するには、日本語で文章を最後まで考えないと、どうやって英語で文章を作ればいいかが、わからないんです。なぜって、日本語と英語は、語順がほぼ逆だからです」
「ほぼ逆……?」
生徒さんは戸惑った顔をしている。
「はい。逆です」
瑛子はそれから、クスクスと笑い始めた。
生徒さんはいきなりどうしたんだと面食らった顔をしている。
「でもね、面白いんですよ。日本語を学習している外国人の方も、同じことを言うんです。『日本語を話す時は、英語で文章を最後まで考えないと、日本語にできない』って。私たちと同じ悩みを抱えているんです」
「そうなんですか?」
生徒さんは驚いて、瑛子を見た。
「そうみたいなんです。だって、日本語って、最後まで人の話を聞いてみないと、結論がわからないじゃないですか。
たとえば、
『私は公園に行きます。』
『私は公園に行きません。』
この二つは、『私は公園に行き』の部分までは、まったく同じです。だから、最後まで話を聞いてみないと、『行く』のか『行かない』のか、一番肝心な部分がわからないでしょう?
でも、英語では先に『行く』のか『行かない』のかが出てきます。
『I go to the park. 』
『I don’t go to the park.』
『go』なのか、『don’t go』なのか、主語のすぐ後に出てきますよね。『公園に』というのは、二の次なんです。でも日本語では、『私は』のすぐ後に、『公園に』という言葉が出てくる。そうすると、英語ネイティブは『I go to the park. 』の最後まで考えないと、日本語を話すことができません。『公園に』の部分が出てきませんから。
自分は『公園』に行きたいのか。それとも、『遊園地』に行きたいのか。それがはっきりしないと、日本語の文章に変換出来ないんですよ」
「なるほどー……それは、考えたことなかったです! 英語って大変だって思ってたけど、外国人は外国人で、日本語は大変だって思ってたんですね」
目から鱗です! と生徒さんは目を見開いた。
「そうなんですよ。テレビで同時通訳しているのご覧になったことあります? あれって、英文のスピーチが進んでから、遅れて日本語の訳が入ってくるでしょう? あれも、いわゆる『公園に』部分待ちなんですよ。その部分がはっきりしないと、日本語に訳せないんです」
へえ、と生徒さんは頷く。
「だから、とっさに文章を作れなくても大丈夫。みんな通る道なんですよ」
瑛子は安心させるように微笑んだ。
瑛子も最初にこの外国人の悩みを聞いたときは、びっくりしたものだ。
そうか、確かに日本語は最後まで聞いてみないと結論がわからないものね、と。
物事には表裏があるというのは、こういうことなんだなと思ったものだ。
想像力(imagination)を働かせて、相手の立場に立ってみる。それだけでも得られるものは多くあるものだ。




