I as in I(私のI)、II
なので、自分のことについて話すのであれば、『I』を使うことのほうが断然多い。
なぜなら、『I』を使えば、確実に主語が明確になるが、『your father』と三人称単数形にすると、やや距離ができるからだ。
いわば、他人事のようになる、と言ってもいい。
ゆえに、他の解釈(interpretation)――つまり、父親は別にいるのかもしれないというもの――も可能になってしまう。
だから、『I』を主語にして、
『I said no.』
としたほうが、話はよっぽど伝わる。
子供が駄々をこねて、親がそれを却下し、
「Why!? (なんでっ!?)」と子どもが怒り、
「Because I said so.(私がそう言ったから。つまり、ダメだって言ったでしょ、という意味)」と親がばっさりと切る、というやり取りは、よくあることだ。
つまり、英語は日本語のように、その時々のシチュエーションによって、『私』を使い分ける必要がないということだ。これほどシンプルなものはないだろう。
誰かにとって父親であろうと、
会社の人や世間にとってビジネスマンであろうと、
妻にとって夫であろうと、
両親にとって子どもであろうと、
自分は自分。
それが英語の『I』だ。
一方で、日本語では『私』の表し方は流動的だ。
女性はどの場面でも、とりあえず『私』と言っておけば通用するので、楽と言えば楽だろう。『私』と言って叱られることなどほとんどない。あえて言えば、丁寧にするときは『わたくし』とする程度だろうか。
だが、男性の場合は、先ほどの例のように、シチュエーションによって使い分けることが多くなってくる。
そもそも、男の子はいつ、『僕』から『俺』に変わるのか。
子どもの頃は親や先生に、『僕』と言うように躾けられることが多い。それから自分の意思で『俺』に変わる子もいるし、変わらずに生涯『僕』と言い続ける子もいるだろう。また、『俺』から『僕』にシフトチェンジする人もいる。
子どもの頃は、なんとなく『僕』より『俺』の方が上、という風潮があるが、この差はどこから生まれるのか。
男の子は、いつ、どの時点で、「自分は僕キャラだ」もしくは「自分は俺キャラだ」と判断するのか。
それは何が基準なのか。
途中で俺から僕に変わる子は、なにをきっかけに、また何に影響(influence)されて、変わるのだろうか。
大変、興味深い(interesting)。
瑛子の息子は今のところ、自分のことを『僕』と言ってるけれども、そのうちお友だちの影響で、『俺』と言い出すかもしれない。
そうなったとき、成長した我が子の甘酸っぱさに、瑛子はきっと身悶えるだろう。
◆◇◆◇
「文章がどうしてもとっさに作れないんです」
生徒さんが悔しそうに言った。
生徒さんのカウンセリングの時間。フィードバックをお伝えして、最後の締めに「何か困ったことはありますか?」と瑛子が聞くと、返ってきたのがこの返事だ。
「こういうことを言いたい、っていうことはいっぱい頭の中にあるんですけど、どうしても文章にならないっていうか。頭の中がごっちゃになっちゃって。早く何か言わなきゃと思っているうちに頭が真っ白になって、パニックになっちゃうんです」
生徒さんは身振り手振りで自身の混乱ぶりを瑛子に訴えかけてくる。
分かります、と瑛子は頷いた。
『文章がとっさに作れない。』
生徒さんの悩みの中で、一番多いのがこの問題だ。
原因はいくつかある。
まず、情報(information )が多すぎること。
母国語で話す時でも、たとえば面接(interview )なとで、緊張し過ぎて上手く話せなかった、という経験をしたことがある人も多いのではないか。
自分が頭の中で考えていることと、実際に口から出てくる言葉の間に大きなギャップがあると、人は言葉に詰まる。
面接官(interviewer)に好印象を与える(impress)ためにいろいろ練習してきたはずなのに、本番になったらすべて忘れてしまう。
大切(important )なことは丸暗記してきたはずなのに、どこにいった?
さらに面接官(interviewer)に質問を重ねられると、もっと頭が追いつかなくなる。
イレギュラー(irregular )なことを聞かれても、とっさに気の利いた対応もできない。
もう不可能(impossible)だと思ってしまったが最後、何の言葉も出てこない。せっかく面接(interview)に招かれた(invited)のに、落ちるイメージ(image)しか沸かない……という状態だ。




