I as in I(私のI)、I
Iから始まる英単語の回。
『私』は英語で、『I』。
英語を習い始める時に、一番最初に習う言葉だ。
これくらい知ってるよ、これが、何か?
そう思うかもしれない。
だが、意外な落とし穴でもあり、思っている以上に重要なのが、このシンプルな『I』なのだ。
まず、そもそもとして、『I』をなんと訳すか。
私なのか、
僕なのか、
俺なのか。
儂なのか、
アタイなのか、
アタシなのか。
我なのか
余なのか、
妾なのか。
自分のことを『自分』という人もいるし、
自分のことを『俺』というおばあちゃんもいる。
日本語には、『I』を表現する言葉がたくさんある。
性別、年齢、社会的地位によって変わる。それだけではなく、同一人物だからといって、同じ『I』を貫き通すわけでもない。
例えば、
会社では『私』、
プライベートでは『俺』、
義理の両親の前では『僕』、
自分の子どもの前では『お父さん』と、その時々によって使い分ける人もいるだろう。
無意識のうちに使い分けている人がほとんどだろうが、よく考えてみれば、これすごいことをやってのけているのだと瑛子は思う。一日の中でこれだけ自分を表す言葉が変わって、よく自己認識の危機(identity crisis)に陥らないものだ。
これらの複雑な『私』は、英語ではシンプルに、すべて『I』だ。
会社では『I』、
プライベートでも『I』、
義理の両親の前でも『I』、
自分の子どもの前でも、『I』。
日本語を話すときに、自分の子どもに向かって、自分のことを『お父さん』と言う人は多くいるだろう。だが、英語でこれに該当する『your father(あなたのお父さん)』という言い方をする人は、あまりいない。
なぜ『あなたのお父さん(your father)』になるの? と思うかもしれない。
『あなた(your)』って、どこから出てきた? と。
なぜそうなるかというと、話しかける相手は子どもであり、その子どもにとって、父親である自分は『あなたにとってのお父さん』になるからだ。
これを『my father』としてしまうと、それは自分にとっての父親、つまり自分の子どもにとってはおじいちゃんを表す言葉になってしまう。
じゃあ、『Father』だけにすればいいんじゃないか、となるが、これだと『神父』という意味になってしまう。
この時点ですでに、『father』という言い回しはややこしいのがわかるだろう。
そして、自分の子どもに向かって、『your father(あなたのお父さん)』と言うと、子どもも周りも、混乱する。
例えば、父親と十歳の子どもの親子が、公園で遊んでいたとしよう。
周りには、同じ小学校に通っているお友だちも、そのご両親もいる。
子どもが「ね、パパ、僕、アイス食べたい!」と言う。
父親は腕時計を見て、「うーん、もうすぐご飯だからさ」と首を振る。子どもは「でも僕、今食べたい!」と叫ぶ。父親はめんどくさそうにスマホを見る。
「やだ! やだ! やだ! 今、食べたい! 僕、お腹すいた!」
話を聞いてくれない父親に焦れて、子どもは砂場に寝転がって駄々をこね出した。
周りの子供たちと親御さんたちの注目が集まる。
ひそひそひそ。
お母さん同士が口元に手を置いて話し始めた。視線は子どもと父親に固定されている。
やべえ。ここのママさんネットワークは光の速度より速いから、気をつけろって奥さんに言われてたんだった。
冷や汗をかいた父親は、「お父さんがだめだって言ってるの」と強めに子どもに言う。
このフレーズ、日本語だったら違和感はないだろう。父親が自分のことを「お父さん」と言うことは、よくあることだ。
だが、これを
「Your father said no. 」
と英語にすると、やや違和感が出てくる。
子どもたちは気にしないかもしれないが、周りで様子を見ている母親たちは「あれ?」と止まる。
「……ねえ、あの人いま、『Your father』って言ったよね?」
「言ったね。父親である自分を強調して? それとも、お父さんは他にいるのかしら?」
「連れ子?」
「そういえば、あんまり似てなくない?」
「ああー……」
「そういえば私、この前奥さんが男の人と歩いてるの見かけたよ」
ひそひそひそ。
……と、話のネタを提供することになるかもしれない。
自分のことを『Dad』と言うシチュエーションも、まったくないわけではない。
特に小さい子どもと話すときは、『Daddy said no, baby.』などと言うこともある。
これは、『あなたの目の前にいる人(つまり自分)は、父親なんだよ』と子どもに教えこませている時だ。だが、ある程度子どもが大きくなったら、この言い方はあまりしない。父親が誰かなど、とっくに学習済みだからだ。
思春期の子どもにこれをやろうものなら、その子は荒れるだろう。「うっせーな、daddy, daddyってうざいんだよ!」と。




