H as in Happy(ハッピーのH)、VIII
電車に乗ると、もうそこはいつもの日常生活。なんとも湿っぽい雰囲気にため息が出そうになるが、グッと堪える。大丈夫。瑛子の中にはまだ幸せ貯金が残っている。
そう思ったのも束の間。隣に座ったサラリーマンが、すごい勢いでスマホの画面をタップしていて、やや気になる。
そんなに強く叩いたら、スマホが壊れてしまうんじゃ。そう思いながら、瑛子はやや身をずらしてその人から距離を取った。サラリーマンの腕が動くたびに、微妙に瑛子の腕に当たるのだ。おそらく本人は気づいていないだろうが、地味に迷惑だ。
なににそこまで夢中になって? と瑛子はちらりと画面を覗き込んだ。どうやら、何かのゲームらしい。ゲームをしない瑛子にはよくわからないが、おそらくなにかをゲットしたり、ハントしたりするやつだろう。
ゲットもハントも、日本語として定着した言葉だ。ハントはHuntと書き、狩るという意味だ。
ハンターはhunterだ。huntに『〜する人』という意味の-erを付けたもので、カッコよく訳すなら『狩人』となる。
Huntにはまた、『捜し回る』という意味もあり、bargain hunterと言えば『特売品を狙ってる客』で、bargain hunting は『特売品を探すこと』だ。
なにも獲物が生き物でなくてもいいのだ。何かを追い求めること、というのがhuntの意味である。
それにしても、この人ほんとにすごい勢いでスマホ叩いているけど。
瑛子はサラリーマンを二度見した。
そういえば、前にケータイショップのお兄さんが、「スマホを壊すのはほとんど男性ですね」
と言っていたことを思い出す。やはり、女性に比べて扱いが荒いそうだ。
この人も、何かをhunt しているのだろうなあ。
目標を達成(hit a target )ために、敵にダメージを与えないといけないのかもしれない。
なんとか電車の中をやり過ごして、いつもの駅で降りる。
駅近のレストラン兼カフェのお店の旗には、ハッピーアワー(happy hour)の文字。ビールの絵が楽しそうに風に揺れて踊っている。
一杯ひっかけて帰りたいところだが、あいにく生肉を買ってしまった。
また今度ね、そう心の中で(in heart)でビールに手を振って、帰宅した。
夕食を終えてのお風呂タイム。自分のお尻(hips)が鏡に映って、瑛子は思わず「えっ!」と声を上げた。
「なんか、前より垂れ下がってる気がする……」
尻(hips)の肉をつまんでみるが、ハリがない。ついでに筋肉もない。
「ちょっと、ここはノーマークだったわ……」
別に水着を着るわけでもないし、と特に気にしてもいなかったが、尻の形というのはパンツスタイルに結構響くのだ。
若い子はお尻がパンと張っているから安いジーパンでも格好がつくが、歳をとると尻の肉はどんどん減っていく。そうすると、ジーパンが途端に貧相に見えてしまうのだ。
若い頃と体型が変わらないから、と若者と同じパンツを中年が履くと、残念なことになってしまう。
尻はhips、hipの複数形だ。
耳(ears)や手(hands)のように、二つあるものは基本的に複数形にして使う。hipsも同様だ。
片方だけについて話したい時は、単数形でオーケーだ。右耳(right ear)や、左手(left hand)などにすることが多い。
こりゃヒップアップのエクササイズをしないといけないわね。
瑛子は後で調べようと頭の中にメモをする。
風呂上がりには、ドライヤーで髪を乾かす。
ドライヤーは、英語では『Hair dryer』とするのが普通だ。 ドライヤー(dryer)だけだと、衣類乾燥機とごっちゃになってしまう。
日本の家庭では衣類乾燥機があるお宅は少数派だろうが、アメリカの家庭だとほぼ備え付けられているのが衣類乾燥機だ。
ヘアドライヤーも、衣類乾燥機も、どちらも乾燥するもの(dryer)なので、区別をつける必要があるのだ。
「あっっっつい!」
瑛子は一向に乾かない髪の毛にうんざりしながら呟いた。
湿度(Humidity )が高いと、髪の毛を乾かしている側から汗がどばっと出てきて、乾かしてるんだか濡らしてるんだか、よくわからなくなってくる。だが、冷風だとさらに乾きが遅い。
そろそろ誰か、ドライヤーに取って代わる発明品を作ってくれないだろうか。
顔にまとわりつく髪の毛が煩わしいが、瑛子は今日コンサートで聞いた曲を口ずさんだ。
楽しかったなあ。
思わず笑みが溢れる。
スイッチを切ったら、冷蔵庫へ向かうつもりだ。キンキンに冷えたビールが待っている。
瑛子的ハッピーアワー(happy hour)の始まりだ。
幸せ(happiness)のヒント(hint)は、こういった日常の小さいところに転がっているのかもしれない。




