A as in Apple(りんごのA), II
瑛子はチラリと女子高生を見た。
女子高生はうつむいて、いまにも泣きそうな顔をしている。こんな状態の彼女を振り払う気にはとてもなれない。彼女はうちの娘の二つ上の学年だから、高校三年生だ。初期のカウンセリングで、大学は英文科に入りたい、できれば海外(abroad)の学校でも学びたいと言っていた。
入会されたのは去年の四月(April)のこと。受験の年の八月(August)にもかかわらず通ってくれている熱意(ambition)のある生徒さんだ。
レッスンにも熱心に出席(attend)してくれるし、質問も積極的に聞いて(ask)くれて、なおかつ(and also)、困っている他の生徒さんをアシスト(assist)してくれる、素晴らしい(amazing)な生徒さんだ。
瑛子は頭の中で生徒さんのデータを反芻する。
そうしている間にも、彼女の気持ちがどんどん暗くなっていくのが手に取るように分かった。
『こんな簡単なこともわからないなんて、私、だめな人間なんじゃ』
そう心の中で思っていそうな雰囲気(atmosphere)である。空気(air)がどんよりと重くなっていく。
怒っている(angry)ようにすら見えるその表情は、それだけ真剣に英語と向き合っている証だろう。誰も(anyone)がそこまでできるわけではない。
そんなに思いつめなくても大丈夫よ!
そう言って励ましてあげたい気分ではあるが、彼女が欲しいのはそんな根拠のない励ましではないだろう。実用的なアドバイス(advice)が欲しいのだ。
逃してはならぬ。
瑛子は心の中で拳を握りしめた。
生徒さんが教室を辞める時というのは、何かしら兆候がある場合もあるが、突如として『辞めます』告知(announce)をされてしまうことも多い。そうなると、すでに本人の中では意思が固まっているので、覆すことは難しい。
そうならないように、不安の目は早いうちに摘んでおくことが重要だ。アフターケア(after care)は大事。
去年の四月(April)に入会してくれて、早一年ちょっと。この八月(August)あたりからは、本格的に受験の準備に入るだろう。
できれば、受験を乗り越えて大学生になっても通い続けて欲しい。
「じゃあちょっとだけお話をしますね。一は英語でなんですか?」
「Oneです」
「では、一つのりんごは?」
女子高生は怪訝な顔をして瑛子を見た。
aかanでしょ?
でもその違いがわかんないから聞いてんじゃん!
という心の声が聞こえてきそうだ。
素直に感情を表に出せるその若さが羨ましい。
瑛子は苦笑して続けた。
「そんなに難しく考えなくて大丈夫ですよ。一を使うと、どうなります? 『一つのりんご』は?」
「One apple?」
こんなんでいいの? と首をかしげながら女子高生は答えた(answered)。
「そうです。では、二つのりんごはどうなりますか?」
「Two apple」
「そうですね。ただ、appleは可算名詞なので複数の場合は複数形になります。なので、applesですね。one apple、two applesです」
「そうか。そう、複数形。いつも忘れちゃうんです」
大丈夫ですよ、と瑛子は励ますように微笑んだ。
「実は、oneとa/anはどちらも語源が同じなんです。英語が英語になるよりもずっと前の語源なので、だいぶ昔ですけど」
へえ? と首を捻りながら、女子高生は瑛子を見た。
まあ確かにいまいちピンとこないだろうな、と瑛子は思った。英語が英語になる前なんて、それ英語じゃないじゃん、と言われてしまえばそれまでだからだ。
それでも、瑛子は話を続けた。重要なのは、oneとa/anは語源が同じということなのだ。
「同じ語源だった言葉がその後にいろいろな影響を受けて、a/anの不定冠詞が出来上がりましたが、細かいことを抜かせば、an appleは、実はone appleなんですよ」
もちろん、a/anの不定冠詞には、物理的な「一つの」という以上の意味もある。が、一番押さえておくべきポイントはここなのだ。
最初の段階でつまづいている人にそれ以上の情報を押し付けても、それは教える側の『説明責任を果たした』という自己満でしかない。この先のことは使い慣れてきた時に、徐々に教えていけばいいだけだ。
そもそも、数量をさほど意識することなく日々話をしている日本人にとって、いちいち物の数を考えて話す――つまり加算名詞か不可算名詞か、可算名詞だとしたら単数なのか、それとも複数なのか――と考えることが、すでにハードルが高いのだ。
それに、こういったシンプルな問題のほうが、ドツボにハマると訳がわからなくなってくるというもの。




