D as in Dog(ドックのD)、IV
『先生とか親みたいなつまんない大人にはぜっっったいになりたくない』
瑛子が書いたであろうその言葉を見たとき、瑛子はうめき声を上げながらソファーに沈んだ。顔から火が出るほど恥ずかしい。そして、その言葉がブーメランのように見事に自分に跳ね返ってきて、ダメージ(damage)が半端ない。
『つまんない大人』の実演(demonstration)のような自分に、身の置き場がない。十代の頃の瑛子の脳内の辞書(dictionary)には、『つまんない大人』の典型的な例として今の瑛子が載っているだろう。
ほんっとに、心の底からごめんね(I’m deeply sorry. )
そうあの頃の自分に謝りたい気分だ。
日々の生活(daily life)に追われている間に、大切な何かを投げ捨てて(dump)しまったのではないか。
その時その時で、ベストだと思った決定(decision)をしてきたつもりだけど。
どことなく引っかかるような気持ちになるのは、心の中(deep down)では、何かに後悔しているからなのか。
瑛子は勤勉な学生(diligent student)なわけではなかったが、それなりにしっかり勉強してきたほうだ。それでも、それだけでは足りないのだと、彼女のように突き抜けるような何かがないと、何も成し遂げられないのだと、突きつけられているような気持ちがした。
卒業してからはや数十年(a few decades)。今からやり直すには、時間が経ちすぎている。
「運命(destiny)なんてあるのかな」
瑛子はポツリと呟いた。
普段はこんなことが頭に浮かぶこともない。日々の雑用(day-to-day chore)に追われていて、余計なことを考える暇もないからだ。
でも今日のように、予期せずぽっかりと時間が空いてしまった時、『もしかしたらあったかもしれない未来』を想像してしまう。
かといって、今の生活を壊す(destroy)ほどの勇気も情熱(devotion)もない。
夢(dream)はどこまでも広がるわけではない。
時間に追われれば、あっさりと消え去ってしまうほど、儚いもの。
『たられば』を議論して(debate)も、仕方のないことなのだ。
はるか昔(distant past)に思い浮かべた理想の自分との差(difference)は、すでに埋められないほど開いている。
自分の人生はこれでよかったのか、などと疑って(doubt)いてはキリがない。
瑛子はダイヤモンド(diamond)がはめ込まれた結婚指輪を触った。
結婚して、子どもを育てて、働いて。
それが瑛子の人生だ。
たとえ夫のスーツのポケットから、くしゃくしゃになったレシートが発見(discover)されても。
イタリアンのディナー(dinner)、二名様分。
かなりよいお値段。
探偵(detective)を気取るわけではないが、瑛子はスマホでその店を確認した。
大変ファンシーなレストランで、『デート(date)にぴったりです!』といった華やかな口コミが多くついている。
接待? まさかね。もしそうなら、レシートをくしゃくしゃにするわけがない。
同僚と二人で? こんな、夜景が綺麗なところに?
スーツから漂うのは、ほんのり甘いフローラルな香り。柔軟剤ではない、香水のような高価な匂いだ。
だいぶダーク(dark)よりのグレーゾーンだが、問い詰める気力はない。
皺を伸ばしてデスク(desk)の上に置いておいたレシートは、いつのまにか消えてなくなって(disappear)いた。
――ピンポーン
インターホンが鳴った。
映像を見ると、ダンボールを抱えた男性が立っている。値引き(discount)をしていたから、日用品(daily necessities)をまとめ買いしたことを思い出した。
思考が一気に現実に引き戻される。瑛子はもやっとした考えを振り解くと、ドア(door)を開けた。
宅配(delivery)を受け取るのは、通常運転に戻った、いつもの瑛子だ。少女の心を引きずった女ではない。
だって。
自分はドラマのヒロイン(drama queen)にはなれない。性格的に、ぜったい(definitely)に、だ。
なら、自分の人生に折り合いをつける(deal with my life)しかない。死ぬまで(until death)、人生は続くのだから。
そして死は、遠い将来(distant future)ではないだろう。
今もこうして、時は進んでいるのだから。
やや乾いた(dry)心に蓋をして、瑛子は宅配のお兄さんにありがとうと告げた。




